6/21に退院して2週間後の7/4まで家でのんびりしたり

たまには散歩に出かけたり。

湯船は入れないのでシャワーのみだったけど

冬じゃなかったので楽だった~


ただ、なんかすっきり体調がいかなくて

このころから空咳もではじめて、手術の時、酸素入れてたからなぁ。

とか散歩してもすぐに疲れちゃってぐったりとか。

治りが遅いなぁと感じてたけど特に腹痛とかなく

↑手術痕は痛いけど...それも日に日に軽くなる

術後診察で職場復帰時期を確認しなくちゃと思ってた。


7月4日

母親と帰りに買い物しよう~なんていいながら病院へ。

右側のドレーン入れていた場所(私は以前手術した盲腸痕から入れてた)

が痛むので診察室に入った時に

「右側痛いのいつ治るんですかねぇ~」とのんきに聞いて

先生はちょっと困った顔しながら

「とりあえず内診しよう」と言い内診の最中に

「子宮は大きくなってないね」

と先生自分自身に確認するようにつぶやいていて私は

『なんで子宮の大きさ確認するんだろ...腺筋症取ったはずなのに???』

と???だらけの中、診察室に戻り先生との話へ。


「んー病理の結果良くなくて癌細胞が出たんだよね

ここでは治療が出来ないから教授先生のいる病院に行って

治療してもらってください。今、予約取って手紙かくから」


「。。。。。」

あーやっぱり癌だったかぁという気持ちと

病理の結果、出たらすぐ連絡くれればよかったのにという

自分勝手な思い(笑)が交錯して

「そうですか」という言葉しか出てこなかった。

(だって手術から10日後位に病理の結果出てるはずだし

それから1週間位も経っちゃってるしーーー。)


そして左側の卵巣が手術の際に

ぺちゃんこで干からびたみたいになっていたこと

病理の結果がしょう液性腺癌であることから

卵巣からきている癌ではないかと話していた。

何故なら子宮体癌でしょう液性はかなり珍しく卵巣癌ではポピュラーらしい。


しょうがないかぁ。治療やんなくちゃ。と思っていて

比較的冷静な対応だったので

先生が本当にわかっているのか心配だったのか

「これから大変になると思うよ」

という言葉を何度も繰り返した。


この時は皆がやっている治療なんだから私にもできるはず

と思ってたしとにかく教授先生の見解を聞きたかった。

大体、お腹あけてあきらかに病変していれば子宮全摘とか

親に確認とったろうし...


一応、「仕事は出来ますかね」と聞いてみたら「ちょっと難しいかな」と返事。

あぁ仕事辞めなくちゃかぁ。。。

せっかく長く続けたいと思ってた職場だったのに。


今、手紙書くからと言われ診察終わって

外で待っていた母親に「癌だった」と告げた時は

母親が可哀想だった。

手が震えてたし...

それを見て事の大きさに自分で初めて気付いた。


結局、帰りに買い物する気にもお昼ご飯食べる気にもなれず

まっすぐに家に帰り父親と妹に話をした。

教授先生の予約は2日後の月曜日、7/6の午後。

それまでにネットとかで情報集めて教授先生に詳しく聞かなくちゃ

と思い土日を過ごした。