funkのブログ -7ページ目

funkのブログ

ツレヅレナルママニ・・・

のほほんな毎日

ぴぐ友のみなさん、、、、、


お疲れっす。。。


またまた支援ボランティアのお話しです。。。




5月15日、3度目の宮城県 南三陸町に有ります、


「志津川青年自然の家」に行ってきました。。



今回私達は人数が多かった為、本体とは別で、


自前の車で向う事になりました。


前日の14日 夕方に出発して、


一路、私のお袋の実家が在ります、


宮城県 登米市、豊里町へ。。。。。



もう長いドライブも慣れたもので、


移動にはそれほどのストレスは感じませんでした。。


宿泊させてもらうお袋の実家では、


田植えで朝が早いのにも拘らず、


起きて待っていてくれて、


突然の訪問にも快く受け入れて貰えました。。


ひとしきり再会を喜んで、寝床に入ると、、




ん?


うるさいぞ?



何と、同行の一人のイビキが、、、


ハンパじゃなくウルサイ!


眠りについていた一同が起き出し、


結局居間で雑談会に。。。。。


連れて来た手前、仕方ないとはいえ


眠い。。。。。。。。。。。。。。。



15日当日、、、寝不足で支度をし、


伯父さん家族との別れもそこそこに現地へ。。。


き、厳しいzzZZZ




そして30~40分程で現地到着。。。


現地に着くまでどんなイベントが有るのか


良くわからない状況でしたが、、


凄い人数と内容で、、、


正直圧倒されました。。。




前回に続き、


我々、ノンアレルゲン米粉たい焼き


ラーメン、焼きそば、焼肉、デザート、アイスなど。。


バルーンアート、キャラクターグッズ、靴、生活用品配布など。。


各種レスキュー保険、薬の相談。。。


横浜から三輪、四輪トライク試乗会。。


森友嵐士さん、舞坂ゆき子さんサイン会。。


森友さんのたい焼き初体験。。


施設内ではマッサージ隊。。


そして森友嵐士さん、舞坂ゆき子さん、ユッキーさん


による「ミニコンサート」。。


果てはマグロの解体ショーまで。。。


※書ききれなかったらごめんなさいww



支援ボランティアの中心者の気持ちと行動が生んだ


素晴らしい支援だと思いました。。。


なんだか一日で終わらせるのは勿体無いほど。。


しかもピーカンのいい天気。。。。。。


集まってきた被災者の皆さんもとても和やかで、


我々も負けじと声を張り上げ、、


声がガラガラにww


沢山の笑顔と「美味しい」を頂きましたwww


今回は、以前とは違った「苦しい現実」の助けではなく、


楽しい「お祭り」のようなイベントに成りました。



少しずつ「悲しい出来事」から「復興へ向けて」と


奮闘する現地の皆さんのエネルギーを分けて頂きました。。


しかし、センターを一歩出れば手付かずの被災地、、、


まだまだ苦しい思いをしている方々が居ると思うと


更に沢山の場所へ行くことを、


マタ勝手に決意しました。。。



帰りは速攻で帰宅、12時前には到着できました。。



そんなこんなで感謝のご報告でしたww









「願わくは美しい南三陸の景色をもう一度」


それまでは「上を向いて歩こう」







またね。。。

ぴぐ友の皆さん、、、、、



こんちゃっす!!


前回お話しした支援ボランティアのお話し、、


の、続きです。。。




4月9日に続き、4月24日に再度、


宮城県、南三陸町に在ります


「馬場中山生活センター」さんへ行ってきました。。。



今回は、以前と違い、大勢の参加者が集まって下さり、


総勢で70名を超えました。


その為、バスを2台チャーターしての訪問と成りました。。


避難所2箇所を分かれて交互に伺う計画で、


しかも、参加者の中には有名アーティストも参加され、


ボランティアで出来る事柄が更に広がりました。。。



現地に向うバスは、前回の乗り合わせと違い、


とても快適で、現地で最大限のパフォーマンスを


期待して下さっている、中心者の方々の心遣いを感じました。



途中のパーキングで何度も自分に気合を入れ、


エネルギーを満タンにしていましたが、


やはり、現地に近づき、


前回と変わらぬ様子を目の当たりにすると、


言葉が出なくなっていました。。。



目指す場所が目の前に迫る頃、


目の前の細道が行く手を阻みました。


行くも帰るも出来ない立ち往生の状態で


途方に暮れていると、


地元の若者たちがトラックの荷台に乗り込む形で


駆け付けてくれました。。


あっという間に木々をなぎ倒し、


路肩に溜まった泥を片付け、


何事も無かったかの様に去っていく彼らを見たとき、


「何処の誰か」では無く、「困っている人」


の為に行動する事の素晴らしさを感じました。。


しかし、それ以上に、


自分たちが支援に来て助けられて、正直、赤面物でした。。



「馬場中山生活センター」さんに到着した時は、


現地の皆さんと少し「距離」を感じましたが、


準備が進むにつれ、話をしてくれる様に成りました。。


何と、ボランティアが入るのは初めてとの事でした。




自分達は、今回も前回と同様の食べ物の提供をするので


作り始めると、2人の姉妹が見に来てくれて、


出来上がるまで、暫らく話し込みました。。


小学校高学年位の子に、


「何か得意なことは?」と聞いた所、


「習字が得意」と答えてくれて、


「凄いねぇ」と返すと、


「でもみんな流されちゃった、、、」


と、、、


言葉も無くしているとお姉ちゃんが、


「暗くなる事言わないの、、」と、


こんな子供達が


我々大人たちに想像もつかない


辛い思いをしているんだと言う事を思い知らされました。。


その後、18歳のお姉ちゃんの話を聞きました、


家族は無事?  大丈夫だった。


高校は?  卒業で就職したが、職場が流された。。


車の免許は? 就職のためマニュアルで取ったが、職場はもう無い。。。


そんな会話の後、励ましながら他愛も無い話をしている時、


「将来の夢は?」との質問に、


妹  「う~~ん、習字の先生かなぁ」


と恥ずかしそうに笑う妹に、続いて


姉  「普通が善いよ。。。」


と、、、、、、、


まだ年端も行かぬ子供達が、


何も我が儘を言えず我慢を強いられ、


変わり果てた故郷に望郷の念を寄せながらも


必死に強くあろうとする姿に感銘を受け、


自分達も更に根気強く支援を続けて行こうと


強く決意しました。。。。。



その後もご婦人方に囲まれてワイワイ話したり、


ご年配の方々とじっくり話したり、


中には着ていた上着を脱いで、


中に着ている白いシャツに「サインして下さい」


とせがまれたり、休憩は全く無い程


忙しくさせて頂きました。。



建物の外では、食べ物やマッサージで賑わって、


中では同行して下さったアーティストの方々が歌ってくれて、


現地の方々が本当に喜んで下さり、


前回の大きな避難所とは違ったアットホームな支援と成りました。


そして、一番の目的であった「食物アレルギーの子供達」


も来てくれて、楽しんでくれました。。





帰り支度を始め、バスに乗り込み、我々が見えなくなるまで


ず~~~っと手を振って下さった皆さんに後ろ髪を引かれる思いで


次の目的地に向かう途中、バスでは通れない場所に出くわし、


泣く泣く断念する事に成りました。






どれだけ準備をしても、全く予想外の事が起こり、


悔しい思いをし、寂しい思いをさせてしまう事も有るとは思いますが、


行動したことは決して無駄では無いと言う事は


毎回感じています。。。


そして、やはり今回も帰りの道中から、

次の支援への参加を決意して下さる方々が多数いらっしゃいました。。


自分も微力ですが、まだまだ支援を続けて行こうと思います。。






拙い文章になりましたが、少しでも長期間の支援の重要性を


感じてもらえたら嬉しいです。。。




P.S. 5月15日、伺えなかった避難所に行くことが


    決まりました。。。



マタカタイハナシニナッチャッタ。。。。。。。


wwまたね。。。。

ぴぐともの皆さん、こんちゃっす。。


ココでは、少し、まじめ?な話をします。。。



実は、私の知り合いのツテで、


東北地震の支援ボランティアに参加させて頂く事が出来ました。


手前味噌ですが、その時の事を綴らせて頂きます。。




まず、4月9日に宮城県 南三陸町に有ります


「ベイサイドアリーナ」と言う所に行きました。


このボランティアの趣旨が、


「避難されている方の中で、アレルギーにより


支給された食料を食べることが出来ない


小さな子供たちに僅かでも支援の手を!!」


との事でお話を伺い、私も子を持つ親として


その一助に成りたいと思い参加を決めました。



現地の状況は皆さんがTV等でご覧の通り、


ただただ瓦礫の山でした。


いつもTVで見ていた景色が、360度パノラマで、


正直足がすくみ光景を直視出来るものではありませんでした。


片道7時間を越えるドライブにめげず、


現地へ到着し、直ぐに自分のするべき事の仕度をしていると、


珍しさからか、沢山の人に囲まれました。




始めは年配の方が多く集まって来られましたが、


いつの間にか若年層も沢山集って頂けました。



提供する食料は、作っても作ってもあっという間に無くなり、


気が付けば、午前10時頃から午後4時過ぎまで、休む暇も有りませんでした。


しかし、集まって下さった被災者の方々は、とても喜んで下さり、


いつの間にか楽しく会話をして下さいました。。




アレルギー持ちの子供たちや、その親御さん達の弾ける様な笑顔が


印象的で、忘れられません。。


少しでも皆さんのお役に立てたなら幸いです。




TVの取材等もいくつも受けました。


もっともっと作りたいと思っていましたが、


時間と、材料、スタッフ皆の疲労等を考慮し、


4時半位に終了とさせて頂きました。




片付けをし始めたところに高校生位の女の子がやって来て、


申し訳無さそうに「まだ有りますか?」と聞かれ、


「ごめんね」としか言えなかった自分が悔しかったです。。



終了後、そのまま直帰する強行軍でしたが、意外にも不満の声より


「もう一度行こう!!」と言う言葉が圧倒的でした。。





この事柄を通して、現地では一ヶ月、二ヶ月と言う単位は


避難生活に何の変化も与えず、苦しい状況は増すばかりである事実と、


大きなマスで捉えがちな支援でなく、より細やかな支援の重要性を


ひしひしと痛感させて頂きました。


このような機会を与えて下さって、協力し合えたスタッフの皆様に感謝します。



この後、4月24日にまた支援に向かいましたが、長文になりましたので、


そのお話はまたの機会に。。



P.S.   5月早々にも行ってきます。。


カタイハナシニナッチャッタ。。。



またね。。。