ランディさんの好きなところは、色々な経験をしている
ということ。

しかも、積極的に経験を積もうという意識を常に持って
いるところがすごいなと思う。

今回のブログもそのことが十分に書かれてあった。

新聞販売所の様子なんて、普通じゃわからないもの。
そして、たぶん新聞社で働いている人達のこともわからない。
でも、これは、だいたい想像していたような人達だというのが
わかったけど。

人種が違うというのは、私も色々場面で感じる。同じ日本人
なのに、考え方、感覚全てが違う人って、ほんとに多いと思う。
でも、人種が違うからと言う一言で片づけちゃうのは、ちょっと
寂しいし建設的じゃない。

新聞販売所と新聞社が建設的な関係にもっていくようなことが
できるのかな?こうゆう関係ってすごく多いと思うんだけど、今
まで、それで建設的な関係を持ったとは聞いたことがない。

販売所を経営?している人は、販売所を失いたくないだろうから、
この方法に固執するだろうし、新聞社がわざわざ新しい方法を
開拓しようとすると反対に遭うじゃないかな。だから、やっぱり、
販売所で働いている人達の声なんて聞こえてこないんじゃない
だろうか?

今回は、ランディさんの声を通して聞けたけど、それ以上の声
って、たぶん聞けないのではないのだろうか?
虫の居場所が悪いって、言葉通りに虫がいるんだね。

虫って、苦手。虫の話を読んだ後、虫の居場所の悪い人が
ゴキブリに見えたり、アリに見えたりして気持ち悪かった。
虫特有の、触覚やら手?足?が小刻みに動く感じ。オエッ。

イライラするという言葉のイライラって、触覚が小刻みに動く
早さといっしょだ。上手く、言い現わせないけど。。。
 
虫の居場所の悪いまま死んだとしたら、来世は、虫になり
そうだね。いつも、イライラしてないといけないんだ。

昔、虫は違う惑星から来たと聞いてから、人間とまったく違う
=エイリアンという感覚が自分の中に、出来あがってしまって、
まったくダメになってしまった。都会暮らしは、嫌いなのだけど、
田舎暮らしも虫が多いから、住めないと思う。

うちの母親もイライラする性質で、10年前程に、メニュエール
病と診断されてた。伝染するなんて怖い。

気持ちの良い、さわやかな環境に自分を置く努力をしてみよう
と思います。
私は、お酒が飲めないので、飲める人が羨ましい。

お酒を飲むと自分の身体が自分でなくなる感覚が
出てきて、とても居心地が悪い。

たぶん、とてもコントロールフリークなのだと思う。

煙草もダメ。初めて、10代の頃に試した時に、眩暈が
して、それ以来吸ってない。

煙草好きな人に聞いたら、最初のその眩暈の感覚が
とても良かったので、それからやめられなくなったとか。

お酒も煙草もダメなので、お酒の席とかパーティーとか
すごく苦手。いつも緊張。皆は、その緊張を取るため、
飲んでいるのに、私は、飲めないから、皆が緊張が溶けて
ワイワイし始めると、もうみんなと相当な距離を感じてしまう。

お酒が飲めるともう少し、世渡りが上手になるのではないか
と思うんだけど。

お酒も煙草もだめだけど、たぶん、ヘロインには、ハマル
性格だと思う。ドラックのことが書かれた本や映画なんか
を観るとヘロインにハマっている人達って、それ以前は、
私と性格が似てると思ったから。

ヘロインをやっても、誰でも中毒にはならないらしい。合う
合わないって、やっぱりお酒と煙草みたいにあるみたい。

ヘロインをやる前に、そうゆう本やなんかを読んでおいて
良かった。でも、その前に、注射が全然ダメなんだけど。

私の推測ですが、アルコール中毒の人って、アルコールと
ぴったり相性が合っちゃった人なんだと思う。アルコールって
合法ドラック?だから、ヘロインみたいに、自分の選択
でやるやらないを決められないものね。試した時には、もう
遅いってゆうやつなんではないかと思う。

それにしても、二日酔いの一番の特効薬は、アルコールみたい
ですね。ブラディマリーを目覚めに飲むのがいいみたい。
去年辺りかに、中国のアーティスト達のドキュメンタリーを観た。

北京郊外の貧困街のようなところにアーティスト村みたいなの
があった。

めちゃくちゃアンダーグランドアートなところが、中国のような
いろいろ規制された国で生まれそうだなと思った。

全裸で路上をパフォーマンスする女性。

男性器を食べると宣言し、結局は、食べれなくて、男性器酒を
作りそれを酒盛りするアーティスト。(男性器が手に入るところ
がさすが中国と思った。)

自分の月経時に、全裸で経血が垂れている写真を撮るアーティスト。

死んでる胎児を真ん中にして、カップルがその胎児と血の
チューブで繋がれている写真を撮るアーティスト。

とにかく、びっくりするような芸術家がいっぱいいた。

確か、中国の若い女性のきわどい性生活の本、レズビアンだった
かな?の本も本国で売れていた気がする。

たぶんインディペンデントの映画だと思うけど、今どきの若者の
生活を淡々と撮っている映画も観た事がある。10代の美形な
ゲイのカップルもいたし、一人はバレエダンサー。ドラックもやって
いたりして、中国のイメージとは全然違った。

だから、ランディさんの本も売れているのは、納得できるな。
ランディさんの言っている外国人が持っている”理念”の
一つは、愛国心なのかなと感じた。

外国人の人達と話しているとみんな自分の国に対して
すごく誇りを持っている。そして、その国の人間だという
ことにも。

私は、誇りを持って日本という国について、日本人として
話したことがない。

これって、敗戦した時に、欧米の理念が入ってきて、
いいことずくめで、反論にしようがなかったからなのか、
もう、負けたから、反論もなにもできなくて受け入れる
しかなかったからなのか。

とにかく、日本人の誇りが、その時に無くなってしまって、
私達の世代にもそれが受け継がれてしまっているのかな。

私が育った環境では、身近な人で戦争を体験した人から、
自分がどんな体験をして、どれだけ傷つき、今、どんな
気持ちでいるのか一度も聞いたことがない。

傷つきすぎて、そのことが語れなくなっていたのだろうか。

誇りというか、日本人としての自信みたいなものが、日本
人にはない気がする。あったとしても、それは、ほんとに
日本国内だけの、ほんとに内輪の中だけである気がする。

外に向けて、日本人としての誇りや自信をアピールしなけ
れば意味がないような。アピールできるだけの力がないだ
けなのかもしれないけど。アピールして反論があると議論
ができない日本人だからなのだろう。もし、本当の、誇りや
自信があったならば、反論されても、ちゃんと議論できるハズ
だと思う。

でも、私自身にも当てはまるけど、自分自身に誇りや自信が
ないから、私に対して、何か反論されるとちゃんと反論してき
た相手と議論できない。

日本人のほとんどが同じなんだろうと思う。だから、いつも
お茶を濁した会話しかできないんだよね。

欧米では、子供もちゃんと意見を言う。そして、大人
も聞く耳を持っている。それって、大人としての自信があるから、
大人の意見に反論する子供の意見もちゃんと聞けるのだろう。

日本で同じことをしたら、子供のくせにとかこの若造が!みたい
に言われて、聞いてくれない。お互い、聞く耳を持てるもの同士
じゃないと、議論できない。大人でも子供でも。子供もこの人は、
聞いてくれるということを子供の時から認識して育てられたら、
大人になったら立派な議論ができる人に育つのだろう。

これからどうやって日本人が日本人としての愛国心を持ち、
日本という国を日本人というものを外に語っていくのかな?
私も長い間、居場所を探してきた気がする。
ここは、どうだろう、あそこはどうだろうとずっと
ウロウロしてきた。

ここは、居心地がいいなと思うところもあった気
がするけど、少し経つとここはやっぱり違う、も
っと居心地のいいところがあるハズだと、また
ウロウロしてしまう。

居場所がないから死にたいとは思わなかった。
きっと、自分の居場所があるにちがいないと疑わ
なかったからだと思う。

でも、ウロウロしている時って、現実を見ないで
生きながら死んでたような気がする。夢遊病者
のように。現実を感じないように、必死だったの
かも。だって、居場所がないとわかったら、死んで
しまう可能性があったから、無意識にこうゆう行動
をしていたのだと思う。

最近は、居場所は探すものではなくて、自分で作る
ものなのかなと思い始めてる。そこに他人が来て、
ここは居心地が悪いとか言われると、作ったり、保つ
気力がすぐ萎えてしまう自分だろうと思うけど、そこで
踏ん張れると作れるようになるのだろうと思う。

ランディさんの言うように、みんなが憩える、家族の
居場所を作れるようになるととても生きやすくなるの
かなと思った。これって、自家発電の生き方ではない
ものね。

まだまだ自家発電で生きてる私としては、自然の力を
借りたり、信じてみて、それを自分の力にするのは、
とても怖いことだなと思ってしまう。踏ん張れる力が自然
の力を借りた時に、発揮されるのかな。
私も星空を見ると哀しくなる時がある。

星空だけじゃなくて、綺麗なものを見ると
感動というより、哀しい気持ちになる。

この気持ちって、どこからくるのだろう。

私の場合、電車から見る、マンションや家の
明かりとかでも、哀しくなる。

昔は、ディズニーランドのパレードでも、
哀しくなった。

ランディさんの記事がインターネット上に戻ってきてから、
すごくエネルギッシュになって、1日に三本とか書かれて
いて、すごいなと思うと同時に、また身体を壊さなければ
いいなと思ったりしています。

ランディさんの書くものって、何も考えずに、サラサラと
読むということができないので、3本もあるともう頭が一杯
という感じに私の場合は、なる。

それだけ、何かを伝えてくれようとしているものがあるの
だと思う。そして、私は、そこから、答えみたいなものを求
めているのかもしれない。

だから、このブログで、ゆっくりと消化できていけるといい
なと思っています。

そして、このブログで、その答え見つかるとイイナ。