父が退院したので

様子を見に実家に行ってきました。



私が着いた時、父はお米30キロの袋を持ち、

精米に持っていこうとしていました。



うん。



元気そうだな。



午前中退院したばかりとは思えない元気さだな。





我が家は、喧嘩の絶えない家でした。



父が怒鳴り、母が泣き叫び、物が壊れる音を

部屋で布団にくるまりながら聞いて育ちました。



いつも父が怖くて、

帰ってきたら部屋に逃げていました。



大人になって心の学びを始めても

両親を許すことは難しく、

「私には分からないし理解したくもないけど、

親は親の価値観で、勝手に生きていってくれればいい。」

と突き放すように割り切るようにしていました。



でも、本当は全然割り切れてなくて。



去年ようやく、

父と母も思考に翻弄されて生きているんだ

ということを理解したら

「そりゃあ、子育てくらい失敗するよなー」と思ったし、

「それでも精一杯だったんだろう」とも思えるようになった。



そしたら

見えていなかった部分が見えてきたりして、

私が思っていた両親の姿は

少し違っていたのだとわかったんですよね。



父は自分の中の劣等感と戦う弱い人であったし

本来は面白い人だった。

多分、すごく私と父は似てる。


母は、いつも泣いてる弱々しい人ではなかった。

目的のためにコツコツと努力する強さと

先見の明みたいなものを持った人だった。





そして今回、

両親と私で話をしていたら

ビックリするほど穏やかな時間が流れたんですよね。



父の実家の方は墓仕舞いをしてあるから、

もし何かあった時は身内だけで、お寺さんに入れてくれるだけでいいとか

残せるものがなくてごめんな、とか言われつつ


私はその穏やかさに浸っていました。



残せるものなんて、無くていい。



私が今得ているものは、

そもそもが親がくれた体があってこそ得られているものだし、

つらいことばかりと思っていた毎日でも

与えてくれるものの恩恵は受けてた。



すでに十分、貰ってる。



それよりも、父や母がいなくなる前に

この時間があって良かった。



間に合って良かった。



この時間を持って逝ってもらえる。

(まだ死なないけど  笑)



すごーーーく時間がかかったけど

良かったな。