アメブロをみることが減ったのは、投稿が減ったからというのもあるけど、そもそも、どう使っていくのがよいのか定まっていないからなのかも。


他の人のアメブロ投稿を見ると、本名というか活動名を出して、自身の活動内容とプライベートな内容がうまく投稿されていて、個人情報保護が!とか気にするのではなく、本来のあるべき姿でブログが動いているように思う。


私のブログは、プライベートな内容気味だったけど、仕事とリンクさせても良いのかもしれないな。炎上とかしてしまった時に、仕事にも影響が出るのかもしれないけど、炎上しなくても、うまく行かずに店じまいとなることもあるし、


あまり気にせず、でも、独りよがりになることなく、広めたい今、を発信してみるのもありなのかもね。とは言ってはみたものの、そんなに発信したいものがあるわけでもないので、たまに気になった時に書くことにしよう。


近況としては、建築士になるべく、勉強をしようと思いつつ、日々の仕事に追われ、気づけば、業界的に需要のない人になりつつあり、焦っている。


目標である建築士を目指して頑張るか、別業界に転職するかの決断の時が迫っている年度末なので、一先ず、一つ一つ整理して、着実に進められるようスケジュールを見直そうと思う。








雪のニュース投稿を多く見た昨日。流石に騒ぎ過ぎだろうと感じた。

小さい頃(1990年前後)は毎年、大雪が降っていた印象がある。

日本海側の雪国だったからかもしれないが、かまくらや雪だるま、滑り台などを作るのは当たり前だったので、

背が小さかったからそう見えたのでは?と言うには無理があるほど降っていたのは確かだ。



仙台に引っ越してきてからも雪は積もっていたけれど、いつからか雪が珍しくなったと感じるようになった。

都会化、温暖化の影響なのだろうか。



昔、寒い時には厚着をしたり、ちゃんちゃんこというか半纏を着たりして、寒さをしのいでいたのに、

今ではエアコンつけてばかり。スキーに行ったりすることも無くなった。

だからこそ長生き社会になったと言えるのかもしれないが、人類として何か間違っている気がする。

でも快適なのだ。

電気が足りないとか電気代が上がったとか言われるところをみると、原発とは言わないまでも、

エネルギーは地産地消で乗り切れる社会にならないといけないんだと思う。

変な思想家になるつもりはないけれど、冬は寒いので嫌、と言うのではなく、

季節毎の特徴を楽しみながら生きたいものだ。






ビフォーアフター。微妙に撮影位置が異なっていたか。

回り近所から苦情が出たため今日は屋敷に100年近くあるケヤキなどの木々を業者にお願いして倒木したり強剪定したりした。

来年はセミや鳥の鳴き声も激減するのかな。

自然と共存していたのだけれど、世の中は法律でさえも伐採を選ばせる、自然を大切にさせない今の日本。悲しいけれどどうしようもないな。

いつまでも江戸明治大正時代のままではいられないから、次の時代に進むということにする。

今は紅葉が美しい季節。残りの木々がいつまで残せるかはわからないけれど、落ち葉がある風情を楽しめる人間でいたいものだ。


追伸。どんなことがあっても、屋敷や土地を切り売りして手放してはダメという意味がわかったここ数年だった。なぜ先祖はお金のために屋敷の一部を切り売りしてしまったのか。売らなければこんな自然破壊をせずに済んだのに。

とはいえ今の時代は高く売れるときにバンバン売るほうがよいのだろうし。こんなにも広い屋敷を維持できなくなり手放すことにもなりかねないのだから、過去に縛られる必要はない無いのかもししれない。

どうあるべきなのか。もう少し悩んでみよう。