嫌いな言葉の一つ「感謝」。
曖昧な言葉で、これも主観だ。
感謝の精神を持って…と、流布してる人をよく見かけるが、その人の精神性がそれで見える。
しかし、そのレベルには、そういった対応をしなければならない。善ルールで覆われている世間一般にはそれを、そう思っていなくても、そうしなければならない。偽善が蔓延っている。
見える形で相手に何かを与えると、必ず、善ルールに右へならえで「感謝」が返ってくる。
本当に感謝しているのか、相手の真意はわからないが、言葉だけで、普通はそうだと思ってしまうのだ。
それが、とても嫌だった。
一方的に便宜を図った善意には、承認欲求がある。この場合、善意は悪意(承認欲求)となる。
感謝をされてしまったら、人徳は積むことになるが功徳は、相殺される。
人徳とは、善い人になることだと思っている。魂のレベル5の段階。
善い行いをする人は、承認欲求があるのだ。
承認欲求は欲。
これを満たすと、もっと満たされたいと、欲が増大し、悪知恵が働き、悪転換する場合がある。魂のレベルが4に落ちる。
その悪知恵を、悪だと思い、悪とは何かを分析して調べ、悪を知った状態で、善は悪だと理解出来れば、魂のレベル6に上がる。
それがわかると善意を見せることが恥ずかしくなってくるのだ。
レベル関係なく、元来、私にはこの心があった。感謝されることに歯が浮く感じがあった。
感謝されないように、相手に気づきを与えるにはどうすればいいか。
貨幣交換もそのうちの一つかもしれない。
もう一つは、相手に、それは何故だと思うかと質問をする。それで自分を見つめてもらう方法を使う。
シュチュエーションによって、対応は異なるが、そうすれば感謝されずに、相手が気づいてくれる。
「ありがとう」を相手に言わせない術。笑。
それが陰徳で、墓場に持って行くことの出来る唯一の物、功徳。
欲は出しても、求めてもいけない。
求めたら増大し、満たされることはないからだ。
数年くらい前から私は常にそれを心掛けていた。今はもうそれが自然で当たり前となっている。
他に何を求めることもなく、精神性がグイグイ上がって行くだけで、この資本主義社会に有用性はなくなる。それが自分の自然だから仕方ない。大きな欲は吐き気がするしね。
墓場って書いたけど、墓場には入りたくないなぁ。どうしても、絶対に、砂浜に散って行きたいという想いが強い。