食文化
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憧れの「沖縄第一ホテル」で朝食を食べた

その朝口にしたものを思い出すと、紅イモとウコンいりパン・手つくりジャムやゴマいりジャム・ゆし豆腐に島トウガラシの粉入れて・オオタニワタリ・ナーベーラー・ニガナ・水前寺菜・アロエ・田イモ・モズク・島ラッキョウ・島ニンジン・豆乳・シークアーサージュース・とうきびのジュースなどなど。覚えきれないほどの種類が、程よい量でだされ、とても健康的な朝食でした。

オオタニワタリは前の晩、某飲み屋でいただきました。それはアダンとオオタニワタリと豚三枚肉の炒め物で、筍のような歯ごたえのアダンとたいへんマッチしたお料理でした。

沖縄へいかれる機会があればぜひ、だまされたと思って一度いかれることをお勧めいたします。

久しぶりに沖縄にいって食べたもので印象にのこったものをあげますと、「タマンのマース煮」「ミーバイの刺身」「シャコ貝の刺身」などでした。照屋林賢さんのビーチパーリーでご馳走になった、「テビチーのから揚げ」もまことに美味な一品でした。ご馳走様でした。

朝食後、那覇空港に向かいました。空港の本屋さんで「美味しいものナ・ン・ダ?!」(双葉文庫)とか仲村誠司さんの「住まなきゃわからない沖縄」(新潮文庫)を買い込み、着ないで楽しく読みました。読めば読むほど、沖縄っていいところだなーと思いました。




小田巻蒸

寒くなると、京都の「蒸ずし」など食べたくなるが、蕎麦屋で小田巻も食べたくなる。ところがどんな蕎麦屋でもこれがあるわけではないから困ってしまう。江戸時代末期、中西某という下級御家人が長州征伐にでかけたおり、京都、大阪に長期滞在中しるした日記を読むと、結構大阪市中の蕎麦屋らしきところでこれを食べている。昔は小田巻はポピュラーなメニューだったのだろうか。

茶碗蒸しのなかにうどんが入っているだけの品だが、これが本当に寒い晩など美味しいものである。

サイズからいうと、「吉宗」(長崎・銀座など)のおおぶりの丼にはいった茶碗蒸しにうどんがはいっているくらいがちょうどよい。

東京は蕎麦が主流になっていったから、こんなうどんメインの品ははやらなくなったのかもしれない。

ラ・フランスに生ハム

天童から立派なラ・フランスが送られてきました。会社の皆様方と食べることにいたしました。

届いたばかりの時は、やや硬く、一日置いてみたら、やわらかさがでてきました。香りは今ひとつ

まだって感じでした。もっと熟したほうがおいしいんだという方から、硬い方が私は好きなのという方もいて、

いろいろです。でも、とってもおいしい果物でした。

調子にのって、生ハムと鴨の生ハムを買ってきて、のっけて食べることにしました。

今晩はきしくもボジョレ・ヌーボーです。いろいろなワインとともに、ラ・フランスを味わって、ひと時の

口福にひたった夜となりました。

あらためて、天童の「かどわき」さま、御礼申し上げます。



穴子鍋

先日、日本橋高島屋裏に穴子専門店「玉ゐ」なる店にでくわして、穴子の刺身で一杯と「箱飯」(穴子重)を食べた。

つい2,3週間前に開店したばかりとのこと、昭和初期頃の酒屋の建物を店につかった落ち着いた店だった。

で、ふと思い出したのだが江戸時代、幕末に紀州藩から江戸に単身赴任した酒井伴四郎という下級武士の日記に、蕎麦屋でよく穴子鍋をたべている記録があった。いったいこの穴子鍋どんなものだったのだろうか?

ネットをパラパラ探していたら明治時代の、仮名垣魯文作の蕎麦屋の引き札が引用掲載されていて、そこに穴子鍋ならびに「同なんばん」とみえていた。明治のいつごろか不明だがどうも明治のはじめごろのようだ。

そういえば幕末、第二次長州征伐のため江戸から大阪へ借り出された御家人の中西何某の日記にも大阪の蕎麦屋でこれを食べていたのではないか?

蕎麦屋と穴子鍋、幕末には密接な関係があったようだ。

ところが、いまや穴子といえばすし屋と天ぷらやの定番になっていて、蕎麦屋ではついぞ見かけない。穴子鍋にいたっては、なかなかお目にかかれない。

蕎麦屋との関係で想像してみるところ、「美々卯」のうどんすきには、確か焼き穴子がはいっていたような。さすればそばのおつゆで焼き穴子をにたようなものが当時の穴子鍋のイメージだろうか?

あるいは今日よくある穴子の柳川のように、牛蒡といっしょに出し汁で似て、玉子でとじたものだろうか?

と、そんなことをおもいつつ、この店で冬までには穴子鍋がでてきますよう願っていたのだった。



成田山のうなぎ

成田山新勝寺参道にはうなぎ屋が多い。近くにうなぎや鯉のとれる霞ヶ浦などがあるから、昔から名物だったようだ。「菊屋」という一軒は、なんでも天保のころ煮炊きやとして店をひらいていたらしい。成田詣では江戸時代終わりごろ、文化文政ごろだろうか、大変盛んだった。江戸市中から手ごろの旅程だったことや、近くに鹿島、香取などの名刹もあったし、潮来なんていうものもあったから、ずいぶん市民が出かけたようだ。

また、江戸っ子のヒーロー市川団十郎がなによりこの寺と深いつながりがあったことも影響している。

それだけ参拝者が多くなれば食べものやも大いに繁盛したに違いない。また、うなぎの蒲焼も江戸のおわりには大変な流行だった。そんなことで、昔から成田山のうなぎはつとに有名だった、と思うのだが文献などの証拠が管見にない。評判記、番付、日記といった類をどなたかお教え願えれば、ありがたいのですが。


参道にある「後藤だんご店」は創業が弘化年間とあった。いかにも昔の茶屋みたいで、奥のあがりに腰をかけて、団子をたべているとタイムスリップしていきそうな感じにおそわれた。

イシュケンベ・チョルバス

トルコには二日酔いを防ぐスープ「イシュケンベ・チョルバス」なるものがあるという。なんでも羊の胃とか牛の胃(「蜂の巣)を長時間煮込んだもので、ニンニク、レモン汁、卵黄、酢などが入っているという。とても美味しそうなのだが、食べる機会がない。新宿のトルコ料理店にはメニューにはあるものの、「本日は作っておりません」という。いつでも品切れ。どなたか、だしてくれるお店ご存知ですか?

ネットで検索したら”turkish tripe soup"なるレシピ発見。多分、これが、それに近いものかもしれない。

地中海世界には牛の胃をつかった美味しい料理がいろいろあるようだ。

先日は四谷のポルトガル料理店「マニュエル」で、蜂の巣とインゲン豆の煮込み”tripas a moda do porto"

を、またスペイン料理にはカジョス(”callos")がある。イタリアにはトリッパがある。

連休も近いから、上野に蜂の巣でも買出しに出かけることにしよう。

SWEETS

いま、読んでいる本はなかなか面白いのでご紹介いたします。お菓子に関心のあるかた、一読あれ。
SWEETS,A HISTORY OF CANDY,
BY TIM RICHARDSON.
PUBLISHED BY BLOOMSBURY,
N,Y
多分翻訳がすぐ出ると思います。

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