私は両親に強く優しく、
のびのびと育ててもらいました。

故郷北九州では、
面白く、また楽しく、
育ててもらいました。

わらび座講師陣からは、
厳しく、そして温かく
育ててもらいました。

その後は、
自分はとても最低な人間で
死んでしまった方がいいんじゃないかと
思いました。

何をしても、何をいっても。
もしくは何も言わなくても。

必ず
「だからお前はだめだ」と
一斉に批判。

私は、自分が「役者」じゃなきゃ
生きている意味はないと思いました。

だから、腕を磨き、努力し、
何があっても、何を言われても、
逆らわず、まっすぐ要求に応えてきました。

その度に、倍の言葉。現状がやってきました。

頑張れば頑張る程、私の体は固まっていきました。声も気付けば、もとの声を忘れるくらい出なくなりました。
頭が空っぽで自己否定しかありませんでした。

そんな時、私を支え、勇気をくれたのは
両親
1番のファンの佐々木さん
ふるさとの仲間たち
でした。

私は、本当は、
舞台に立つこと。
寮の部屋から出る事すら苦しみでした。

部屋から一歩出れば、
私は1人でした。

でも、表現しないと
自分が壊れてしまいそうで
開演前は
誰にも見られない場所に隠れて
「生きよう」と都度覚悟を決め、
笑顔で舞台に立ちました。
これが終わったら、
次はいつ立てるかわからないから。

耐えられない時は、
演技と偽って
震え泣きながら舞台に立ちました。

それでも、

お客さんに喜んでもらいたい。
元気になってもらいたい。
私みたいなこんな気持ち味あわないで
懸命に生きてほしい。
あなたはそのままでいい。
そのままがいい。
だから、
頑張って。
お願い。生きて。

お客さんにそんな気持ちを思いながら
普段は出せない感情を舞台で放ちました。

どんな感情や状況も、
全て武器にしてみせる
と、この時から私は
怖くても舞台に立つ喜びを見出しました。

いつも、舞台に立つ以外の時間は
地獄でした。

私に人権はありませんでした。

私はもともと、その場所が
好きでした。愛していました。
私の生きる希望でした。

でも、どんなに愛を示し伝えても、
どんなに結果を出しても、
何をしても、しなくても、
私はそこにとって「おもちゃ」でしか
ありませんでした。

私にはここしかないと思ってきた。
ここで芝居ができないイコール、それは「死」だと痛感した。
だから、生きる為に必死に踏ん張ってきた。
いつか、日の目を見る日は必ずくると。

ああ、私は一生、
日の目は見れない。
確信に変わりました。

私の心も体も限界でした。
ズタズタでした。

「もういいんやない?帰ってきたら。
こっちにも劇団あるよ。松本さんに連絡してみたら。」

母のその言葉に
「私」という人間を思い出させられました。

私は、ただただ演技ができればそれで良くって。
寝るより、飯食うより、
歌や芝居が好きで。

そんな「演技バカ」だったと。

松本さんとは、
映画監督の松本動さんです。

私が高校生の時、
市民劇団での舞台を見て、
「いつか一緒にやりましょう」と言ってくれた方でした。

私は、自己否定で頭がいっぱいだったので
頭に浮かんでも、
私をいいと思う人なんか1人もいないだろう。
私なんか忘れられている。
幻滅されているだろうと思っていました。

でも、電話をすると、
「劇団に入っていたから頼みずらかった。」と、
フリーの役者になる上でのアドバイスと、
「いつか一緒にやりましょう。
だから経験を積んで経歴をつけてきて。」
と言っていただきました。

私は、希望で満ち溢れていました。

ここでなくても、

芝居ができる。
役者をやれる。
人前に立てる  と。

そして、

私はそこを辞めました。

辞める直前、
俳優養成所の講師に
はじめてこれまでの事を話しました。

入団してから
はじめて、寮以外の場所で
声を出して泣きました。

講師からは「これまでの事は忘れろ」と言われました。
そうしか言えなかったんだと思います。
私は、講師の方たちもまた、
そこでずっと、長い間見えないところで
戦っていたんだろうと思います。

私は、講師が大好きです。
秋田の自然が大好きです。
芸能が大好きです。
大切な宝物です。

秋田に来て、好きになりました。

でも、そこに入ってからの私は
常に「死」と隣り合わせでした。

私はそこを許す事は一生ないだろうと思います。

そこを旅立つ際、
講師が力強く、抱きしめてくれました。
私はあの愛を一生忘れません。

正直、辛い思い出があまりに多く
秋田に行く事はないと思います。

だけど、講師、恩人でファンの佐々木さんとは
またどこかで会えるような気がしています。

また、芸能、踊りや太鼓で
繋がっているような気がします。

秋田に来て、「芸能」が自分にとって
なくてはならないものになりました。

それは、芝居ができなかった中、
死にそうだった中、
私というものを表現し、
外に出してくれた一つの希望。命綱だったから。
「好き」という言葉では言い切れないものになりました。

正直、そこでのトラウマもあり、
「踊り」とは何だろう?という所にいます。

でも、養成所で講師からもらったものを土台に。根っこに。大事に持ち。
自分なりの、自分の踊りを見つけようと思います。

私は、アンチや否定、攻撃が怖いわけではありません。

アンチや否定、攻撃をする気もありません。

また、そこを擁護する気持ちもありません。

いい様に扱われたり、
子ども扱いされている方もいらっしゃるかと
思いますが、

これは私の親や、
仲間、恩人たちの話ではありません。

私を守ろうとしてくださる方々に
向けないでください。

これは、わたしの話です。

批判や否定があるのなら、
私に向けてください。

宜しくお願い致しますね。

2023.11.9.     早川二未

🌸応援団のみなさんへ🌸

この呼びかけは応援団の皆さんに対してではありません。

私は「応援団」ができて、皆さんが
入ってくださって、日々励まされてばかりいます。

気持ちが沈んだとしても、
私には応援団の皆さんがいるんだと
がんばろう!!!と
とても、とーーーっても力をもらっているのです。

嬉しくて嬉しくて、仕方がありません。

本当に、ありがとうございます。

何があってもめげずに頑張りますので、
どうぞ応援を宜しくお願い致します😊🙇‍♂️‼️✨✨

最後に、
北九州に帰ってから

マネージャーを名乗り出てくれた彩弓さん。
広報を名乗り出てくれた◯さん。

否定せず受けいれ、温かく応援してくれた
仲間のみんな。

お父ちゃん。お母ちゃん。

佐々木団長。

本当に、ありがとうございます。

感謝の気持ちでいっぱいです。