日本語文法 3 | 東京大学村上文緒愛好会

東京大学村上文緒愛好会

一つ一つの言葉にこめられた作者の思いがわかったとき、古典は本当に面白いと思った。古典を楽しみたい。その思いが古い言葉の意味を求めるきっかけにもなった。

文部科学省は批判されても学校文法を直さない
同じ文部科学省が、日本人に対しては、学校文法を教え、外国人に対しては、三上文法を教えているのである。なぜ同じ文法を教えないのだろうか。不思議である。
言語学者の町田健は、『間違いだらけの日本語文法』(町田 2002)で次のように言う。

学校で教わる内容であれば、本来ならば、学界でも正しいと認められていることをやさしく解説したものだと思ってしまうのですが、国文法については、不思議なことに学者の大多数がおかしいと感じていることが、堂々と教えられているわけです。
言語学者の矢澤真人は、「日本の文法を教育Ⅰ」(矢澤 2003)で次のように言う。
現在の中学校国語科で行われている新教教育文法を(文節を単位とした、いわゆる「学校文法」は、昭和6年の橋本進吉の『新文典 (初年級用)』に端を発し、昭和19年度の文省『中等文法』を経て、終戦後も、基本的な考え方は大きく変わらずに、現在に至っている。(中略)
戦後、学校文法への批判は、さまざまな立場から、幾度となく行われていきた。そのいくつかは、極めて的確に学校文法の欠点を示し、代案となる文法理論が示されもした。しかし、学校文法に、決定的なダメージを与えることなく、それらの方が消え去るか、教育現場での少数派の位置におかれてきた。
21世紀を迎え、新しい世紀の教科教育文法をめざそうという雑誌の特集や、新しい学習指導要領を元に現在の学校文法を考えるといった論考も、これまでにいくつも出されている。それらの動きが、これまでと同様に、学校文法を維持しようという流れに対して、さざ波にしかならないのか。それとも、流れを少しでも変える力を持ち得るのか…。
また、言語学者の森山卓郎も「文法をいかにして国語の学習に『役立てる』か」(森山 2001)で次のように言う。
学校文法については、ある意味でのディファクトスタンダードであり、これを本質的に変えることは現実には極めてむずかしい。とすれば、活用、品詞の形態的整理は利用できる。利用できるところは残して、足らざるところを補う、というのがとりあえずの現実的な解決かもしれない。(もっとも根本的な問題である部分は少しづつでも改めていく必要はある)「妥協」という点で、ベストではないがベターでリアリスティックな解決。

これは、なかば学校文法を直すのをあきらめているような発言である。そして最後に、言語学者の金水敏の「国文法」(金水 1997)から引用しよう。
学校文法が奇妙でゆがんだものであるのは、制度のゆがみを反映しているだけでって、言語自体が特殊なわけではないのである。
学校文法のゆがみを直すには、制度のゆがみを直さねばならないのである。

PS Vita『ガールフレンド(仮)きみと過ごす夏休み』発売日:11月19日

ガールフレンド (♪) 公式サイト



東京大学村上文緒愛好会 (u_tokyo_fumio)

第89回 東京大学五月祭 

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村