日本語の論理と英語の論理 3 | 東京大学村上文緒愛好会

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一つ一つの言葉にこめられた作者の思いがわかったとき、古典は本当に面白いと思った。古典を楽しみたい。その思いが古い言葉の意味を求めるきっかけにもなった。

生成文法と認知文法も「主体の論理」
"A tall man opened the door"の生成文法流の木と、認知文法の行為連鎖モデルを (自動的に) 作ることはある程度までできるし、また、その逆に、認知文法の行為連鎖モデルから、生成文法流の木 (自動的に) 作ることもある程度までできると私は考えている。
認知文法と生成文法は、その文法観は大いに異なるが、具体的な分析結果に関しては、結構似ているように思われる。その理由は、認知文法の行為連鎖モデルも生成文法もともに主体の論理に基づいているからであろう。
生成文法は、言うまでもなく「主語-動詞-目的語」ありきで始まる。これは、誰かが何かに対して何かをする、という形を基本にしているので、その論理は主体の論理である。まず最初に、主語が人間の例を見てみよう。
He opend the door. (彼は戸を開けた)
この文は標準的な場合である。
次に、無生物が主語の例はどうか。
The wind opend the door. (風で戸が開いた)
英語を直訳すれば、「風は戸を開けた」もしくは「風が戸を開けた」である。風は戸を開けた原因であるが、この風を人間と同様に扱って、主語にしている。これは、擬人の比喩すなわち主体の論理である。
もう一つ無生物主語の例を示そう。
The key opened the door. (鍵を使って戸を開けた)
英語を直訳すれば、「鍵は戸を開けた」もしくは「鍵が戸を開けた」である。鍵は戸を開けた手段であるが、この鍵を人間と同様に扱って、主語にしている。これは擬人の比喩すなわち主体の論理である。
このように、英語の論理が主体の論理であることは、無生物主語の多さに現れる。ここで、『英語の論理・日本語の論理』(安藤 1986)に挙げられている三つの文を紹介しておこう。
① Failure drove John to despair.
(訳) 失敗して、ジョンは絶望した
(直訳) 失敗がジョンを絶望に駆り立てた
…失敗を人に見立てている

② What brings you here?
(訳) どういう訳で、ここに来たのか
(直訳) 何があなたをここに持って来たのか
…「何」を人に見立てている

③ Pain stung her into consciousness.
(訳) 刺すような痛みのために、意識がよみがえった
(直訳) 痛みが彼女を刺して意識にした
…痛みを人に見立てている

英文を読む機会の多い読者はよくわかると思うが、英語にはこの三つの文のような無生物主語を使った表現がきわめて多い。無生物主語は主体の論理の典型例なので、このことからも英語の論理が主体の論理を中心としているであろうと考えられる。
認知文法の行為連鎖モデルも、動作主が対象に働きかけるという枠組みで記述しようとする。これは、生成文法と同様、擬人の比喩であり主体の論理である。しかし、行為連鎖モデルだけでは記述しきれないため、先述したセッティング主語構文というモデルも提案されている。
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