イメージの言語的側面が比喩である | 東京大学村上文緒愛好会

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一つ一つの言葉にこめられた作者の思いがわかったとき、古典は本当に面白いと思った。古典を楽しみたい。その思いが古い言葉の意味を求めるきっかけにもなった。

言葉の基盤としての比喩
想像可能性が記号操作可能性の基盤になっていることを述べたが、これを言い換えると、イメージ (想像)が言語の基盤になっているということである。それでは、言語の基盤であるイメージは、言語表現にどのような形で現れるのであろうか。イメージは比喩という形で言語表現に現れる。すなわち、比喩はイメージの言語的側面なのである。そして、この比喩の形式が論理なのである。
比喩は、英語ではメタファー (metaphor)であり、日本語でも「比喩」に似た語に「隠喩」という語であるが、ここでは「比喩」を用いる。比喩の例を以下に挙げる。
彼は社長の犬だの「犬」
この記事か今週号の目玉だの「目玉」
横浜の主砲村田が決勝戦で爆発の「主砲」や「爆発」
彼は一匹狼だの「一匹狼」
社会保険庁は腐っているの「腐っているの」

これらの比喩を理解する際には、イメージが必要である。言い換えれば、イメージ (想像力)によってこれらの比喩はそれなりに妥当な言語表現になっている。したがって、比喩はイメージの言語的側面と言えるのである。
このような比喩は、言葉を修飾するようなもので、言葉の周辺的なことがら、別の言い方をすれば枝葉末節のことがらと思われてきた。
確かに、「彼は社長の犬だ」は「彼は社長の言うとおりに何でもやる」という、比喩を用いない表現に書き直すことができる。しかし、すべての比喩が比喩なしの文に書き換えられるであろうか。
たとえば、「私の心は満たされた」の「満たされた」や「あなたの気持ちが僕には伝わってこない」の「伝わってこない」や「この料金には消費税が含まれている」の「含まれている」も実は比喩である。実際には、心の中が何かの物体で満たされたわけでも、気持ちというものが相手の身体から物理的に伝わってきたわけでもない。
「私の心は満たされた」では、心を容器として表現している。「あなたの気持ちが僕には伝わってこない」では、気持ちをパイプの中を流れる物として表現している。「この料金には消費税が含まれている」では、料金を容器として表現している。このように、われわれは、あまり自覚せずに比喩を使っている。これらの文を、比喩を用いない文に書き換えるのは難しいであろう。
これらの比喩は言葉の周辺の装飾的なことがらであるだろうか。いや、これらの比喩は、周辺であるどころか、中心的なことがらではなかろうか。このような比喩を抜きにしては、われわれは日常生活での会話さえできなくなる。ふだんわれわれが気づかないで使っているような日常的な比喩は、実に多いのである。比喩は単なる修飾的で周辺的なことではなく言葉の基盤なのである。
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