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 浅見光彦シリーズ、「北の街物語」は浅見光彦が住む街を舞台にした作品です。浅見家は東京都北区西ヶ原にあります。作者は、北区はあまりポピュラーな地域ではなくて、有名なのは、江戸時代、徳川吉宗の時代に桜の名所となった「飛鳥山」ぐらいしかない、と述べています、ところが、ある読者から、浅見光彦が住む街を舞台にした作品がないのはおかしい、という指摘に答えて、この作品を書いたということです。

 わたしは、昨年11月、二週間ばかり川口市に滞在しましたが、自宅は神戸で関西在住でしたから、特に、東京都北区から埼玉県南部地域の地理に関しては、まったく無知でした。今回この辺りをいろいろめぐって、多少、土地勘もできたので、「北の街物語」を読んで、自分の歩いた場所が出てきたり、近くにこんなところがあったのかと、興味深く読めました。それで、小説の中で、取り上げられた場所をまとめてみました。

 まず、最初に登場するのが、赤羽駅の一画、飲み屋が軒を連ねる通称「OK横丁」にある「うまい蕎麦屋」「清水庵」、実在の店です、小説では、赤羽界隈がちょっとしたブームになっているということで、赤羽がなぜ人気なのかを確かめる記事を書くという目的で浅見光彦が訪れます。

 小説では、「紺地に『清水庵』と染め抜いた暖簾をくぐって入る。まず、目に飛び込んだのは、御神輿(おみこし)の屋根を思わせる天井。これは圧巻だ。周囲の壁にはいたるところに浮世絵風の版画がかかって、江戸風を演出している。」と描かれています。そばでは、赤羽ではここが一番という評判の店だそうですが、2013年、店主が亡くなられて、閉店になったそうです。

 光彦は、この店で高校の後輩という末次瑞恵(すえつぐみずえ)に会います。彼女は、高校で浅見が部長を務めていた文芸部の1年後輩でした。浅見の通っていた高校というのは「小石川高校」です。 小石川高等学校は、東京都文京区本駒込2丁目にある都立の高等学校で、1918年、東京府立第五中学校として創立され、1950年に東京都立小石川高等学校と改称されました。さらに、2006年に中等教育学校(中高一貫教育の学校)として改編され、東京都立小石川中等教育学校となっています。「小石川」の名前は、所在地が小石川区(現:文京区)であったことによります。

 そばを食べ終わった二人は、喫茶店に入ります。小説では、「店をでてすぐのところに、ここも小ぢんまりした「珈琲」の看板を掲げたレトロっぽい喫茶店がある。」とあります。この店は名前がかかれていませんので、実際に行って確かめるしかないですが、まだ、この喫茶店はあるのでしょうか。

 浅見は瑞恵から、小松美保子の話題が出たので、どんな知り合いなのか気になって聞きます。小松美保子はシリーズ3作目「赤い雲殺人事件」に登場するヒロインで、光彦の母が絵を習っている美術グループの同じメンバーの画家です。この作品は、美保子の絵が盗まれ、それが殺人事件井まで発展するという事件を浅見が解決するという話です。瑞恵は志茂五丁目にある風呂屋の娘で、今、家業を手伝っており、美保子には、風呂場の飾る絵を描いてもらっていたということでした。その風呂屋は、「テルメ末広」という。赤羽の住宅街の一画、東京都北区志茂5丁目にある京都の町家風建築の銭湯です。

 近くには荒川と墨田川とをしきる岩淵水門(いわぶちすいもん)があます。小説では、浅見は小学校の遠足で一度、行ったことはあるけど、巨大な岩淵水門と、その周辺の墨田川と荒川が分岐してながれてゆく大堤防のある風景は、ここが東京とは思えない壮大な眺めだった記憶がある。」と書かれています。

 後日、浅見は、「テルメ末広」に入浴に行きますが、そこのふろ場で声を掛けられた倉持友末(くらもちともすえ)という老人から、事件の解決を依頼されることになります。(この稿つづく)