イルミナティ創設者ヴァイスハウプトについて<前編> | 宇宙の叡智を降ろすブログ

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◆イルミナティの創設者ヴァイスハウプトはシオンの議定書の著者なのか?

『シオンの議定書』を理解するために、まずはイルミナティ創設者であるアダム・ヴァイスハウプト(Adam Weishaupt,1748–1830)を理解する必要があります。

『シオンの議定書』の著者は不明ですが、一説にはヴァイスハウプトが著者であると言われているからです。

なおこの記事では、歴史的事実(それもネット上の情報であり、どうなんだよって話ですが)だけあげてあり、出典が怪しい説は取り上げていません。

 

◆ヴァイスハウプトの子供時代

アダム・ヴァイスハウプト
アダム・ヴァイスハウプトは1748年2月6日にバイエルン選帝侯領(現在のドイツ・バイエルン州)に生まれた。

ヴァイスハウプトが5歳のとき、父ヨハン・ゲオルグ・ヴァイスハウプト(Johann Georg Weishaupt,1717–1753)が亡くなる。そのためヴァイスハウプトは名付け親のヨハン・アダム・フライヘル・フォン・イックシュタット(Johann Adam von Ickstatt,1702-1776)の養子になった。そして7歳からイエズス会の学校で教育を受ける。

 

◆養父イクシュタット


ヴァイスハウプトの養父になったイクシュタットは、当時のドイツを代表する啓蒙思想家で、ヴァイスハウプトの父と同じくインゴルシュタット大学の法学教授であった。また、ドイツ独特の学校システムである実技学校(Realschulwesen)を確立した人物でもある。

 

イクシュタットは、ドイツの偉大な数学者にして哲学者クリスティアン・ヴォルフに学び、若いヴァイスハウプトに影響を与えたことだろう。

 

 

ヴァイスハウプトは優秀な人達に囲まれていたわけですね。



ここで、ヴァイスハウプトが暮らした当時のインゴルシュタットをみてみよう。

 

◆インゴルシュタット

インゴルシュタット
インゴルシュタットは、ドイツ南部、ドナウ川沿岸にある都市である。

806年の文書にはじめて登場し『Ingoldeの土地』と言及された。
1250年頃、インゴルシュタットは都市として認められた。

人口は1630年で6,500人。1871年で13,157人というのだから、ヴァイスハウプトが生きた時代でも1万人ほどの都市であったろう。

現代、2015年で人口13万人。自動車会社アウディがあるぐらいの地方都市である。また、有名人(?)と言えばフランケンシュタインぐらいのものである。

現代のインゴルシュタット旅行記→ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々 | あまり行く機会がない町、インゴルシュタット に行ってみた

 

 

 

◆インゴルシュタット・イエズス会大学

 
1472年にルートヴィヒ9世によってインゴルシュタットに創設された。北のプロテスタント系ライプツィヒ大学と対立して、長らくイエズス会の支配下におかれた。

 

1799年にフランスに占領されて破壊され、ナポレオン戦争の後の1826年にミュンヘンに移転再創設された。このとき、現在の名であるミュンヘン大学(Ludwig-Maximilians-Universität München)となった。ドイツ国内では、継続する大学のうち6番目に古く、世界でも最も古い大学に数えられる。


さて、ヴァイスハウプトは、そこでどうなったのだろう。

1763年、15歳で父と同じインゴルシュタット大学に入学し、哲学、歴史、法律、政治学を学ぶ。

1768年、20歳で法学博士号を取得して卒業した。

1773年、アイヒシュテットのアフラ・ソーセンホーファーと結婚した。

 

同年、教皇クレメンス14世はイエスズ会に解散命令を出した。これは多分に政治的理由からであったそうだ。このため各地のイエスズ会は解散され、インゴルシュタット大学のイエスズ会の教授達も大学を辞めざる得なかった。こうして運良く若いヴァイスハウプトに教授の職が降ってきたのである。

なお、イエスズ会は教皇の命令に従い即座に解散したが、影響力はそのまま維持していたようで、41年が過ぎた1814年に解散命令が取り消されたあと、イエスズ会はすぐに元の立場を取り戻している。

おそらく、インゴルシュタットにおいても、イエスズ会の影響力は依然として強かったと思われる。

 

そうして、1776年、ヴァイスハウプト28歳のとき、イルミナティを設立します。

さて、その頃エッカー(Ecker)という名の士官がバイエルン州ブルクハウゼンにロッジ(おそらく薔薇十字団)を建てると、彼の錬金術などが有名になりあっと言う間に近隣地域へその噂は広がっていった。1776年このロッジの会員の1人が、州の各地方で最も能力のある学生をスカウトするべく、インゴールシュタットにもやってきて、よりによってヴァイスハウプトの優秀な教え子であった学生の1人をスカウトして連れて行ってしまう。

ヴァイスハウプト自身も書いているが、彼にとってはかなりショックな出来事だったようだ。ヴァイスハウプトはますます孤立感を深めて、彼の生徒をイエズス会的な計略や薔薇十字団などの秘密結社から保護するため、そして特に生徒にその時代の精神的とも言える教会批判的な文献を供与するために、秘密結社を設立することを決意することになった。

オルタナティブを考えるブログ | 反陰謀論 真実のイルミナティ 【5】 たった3人での結成式

啓蒙主義の薫陶を受けたヴァイスハウプトは、教え子達を熱心にも教えます。そして、目をかけていた生徒が引き抜かれるとショックを受けたりしています。

 

1776年5月1日、インゴルシュタット大学の法学教授アダム・ヴァイスハウプトが、フランスのフリーメイソンや啓蒙思想家の影響のもとに「Order of the Illuminati」を創設。その目的は、社会に対するキリスト教教会の影響に反対すること、批評、議論、言論の自由のための空間を確保することだった。当時のインゴルシュタットは、宗教的・政治的保守主義に席巻されており、インゴルシュタット大学も含め、イエズス会系大学では講義内容までも検閲されていたため、ヴァイスハウプトは、宗教道徳が社会のルールとなることを良しとせず、宗教的偏見によって知識が弾圧を受けない、自由で道徳的に公平な国家を熱望していた。

TOCANA | 【ガチ】BBCが“イルミナティ実在の事実”を徹底報道! 創設者はヴァイスハウプト、発祥の地も判明「今も会合が開かれている」


今では世界中で暗躍していると言われる(?)イルミナティも、当初は大学教授と教え子による少数のグループだったのですね。

 

長くなったので、今日はここまで。
明日は、イルミナティの拡大とその解散についてです。

 

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