二三子、我を以て隠せりと爲すか。吾は隠す無きのみ。
にさんし、われをもってかくせりとなすか。われはかくすなきのみ。
二三子、我を以て隠せりと爲すか。吾は隠す無きのみ。
われおこなうとしてにさんしとともにせざるものなし。これきゅうなり。
吾行うとして二三子と興にせざる者無し。是れ丘なり。
(自己視点)
自己視点 子供視点 家庭視点 経営視点 述而第七に戻る
諸君、私は何か隠し事をしていると思うか?私は隠し事などしない。
全ての行動は諸君と共にある。これが丘(孔子の名)なのだ。
この言葉には、「人としてのあるべき姿」について、二つのメッセージが込められています。
1.オープンであること。
「隠し事をしない」の言葉通り、孔子は常に誰かと行動を共にしていました。
孔子にとって、全ての時間が公(おおやけ)であった。私(プライベート)な時間はほとんどなかったはずです。
孔子までとはいかなくとも、オープンであることは信用につながります。隠し事・秘密が多い人はどうしても信用しきれない。弟子達が絶大な信頼を寄せていた理由の一つがここにあると思います。
2.人を育むのは、言葉ではなく生き方であるということ。
教育というと、人は"言葉で伝えること"を選択しがちです。でも、言葉で伝わるものは非常に少ない。
『百聞は一見にしかず』と言いますが、100の言葉を用いて説明するよりも、自分の生き様を診せることで弟子たちを育てたのが孔子という人でした。
まず信用してもらわなければ、どんな言葉や行動も相手の心には届きません。
そして、言葉よりも行動で示すほうが、よっぽど相手に伝わるものです。
オープン性、そして言葉よりも行動のほうが雄弁に語ることを意識していきます。
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二三子、我を以て隠せりと爲すか。吾は隠す無きのみ。
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諸君、私は何か隠し事をしていると思うか?私は隠し事などしない。
全ての行動は諸君と共にある。これが丘(孔子の名)なのだ。
この言葉には、「人としてのあるべき姿」について、二つのメッセージが込められています。
1.オープンであること。
「隠し事をしない」の言葉通り、孔子は常に誰かと行動を共にしていました。
孔子にとって、全ての時間が公(おおやけ)であった。私(プライベート)な時間はほとんどなかったはずです。
孔子までとはいかなくとも、オープンであることは信用につながります。隠し事・秘密が多い人はどうしても信用しきれない。弟子達が絶大な信頼を寄せていた理由の一つがここにあると思います。
2.人を育むのは、言葉ではなく生き方であるということ。
教育というと、人は"言葉で伝えること"を選択しがちです。でも、言葉で伝わるものは非常に少ない。
『百聞は一見にしかず』と言いますが、100の言葉を用いて説明するよりも、自分の生き様を診せることで弟子たちを育てたのが孔子という人でした。
まず信用してもらわなければ、どんな言葉や行動も相手の心には届きません。
そして、言葉よりも行動で示すほうが、よっぽど相手に伝わるものです。
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中人以上には、以て上を語るべきなり。中人以下には、以て上を語るべからざるなり。
ちゅうじんいじょうには、もってかみをかたるべきなり。
中人以上には、以て上を語るべきなり。
ちゅうじんいかには、もってかみをかたるべからざるなり。
中人以下には、以て上を語るべからざるなり。
(自己視点)
自己視点 子供視点 家庭視点 経営視点 雍也第六に戻る
中級以上の人には上級の話をしてもよい。
しかし、中級に満たない人には上級の話をすべきではない。
基本を身につけていない状態で上級の技を教えてもうまくはいかない。
むしろ、怪我をしたり、大きな失敗につながってしまうことさえある。
これは、スポーツや武道において共通する考え方です。
以前も引用しましたが「守破離(しゅはり)」という言葉があります。
守。基本の型、師匠の教えに対して忠実であり、しっかりと守ること。
破。他流も含めて広く学び、師匠の教えから発展し、自らの境地を開拓すること。
離。守に囚われず、破も意識せず、独自の新しい領域を生み出すこと。
※関連 學びて時に之を習う、亦説ばしからずや
破に至らないときに離の話をしてはいけない。それは相手のためにならない。
相手の成長段階を見極め、相手に合った次のステップを考え、導いていく。
それができて、はじめて指導者となれる。そう思います。
少しでもよき指導者となれるよう、努力し続けていきます。
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中級以上の人には上級の話をしてもよい。
しかし、中級に満たない人には上級の話をすべきではない。
基本を身につけていない状態で上級の技を教えてもうまくはいかない。
むしろ、怪我をしたり、大きな失敗につながってしまうことさえある。
これは、スポーツや武道において共通する考え方です。
以前も引用しましたが「守破離(しゅはり)」という言葉があります。
守。基本の型、師匠の教えに対して忠実であり、しっかりと守ること。
破。他流も含めて広く学び、師匠の教えから発展し、自らの境地を開拓すること。
離。守に囚われず、破も意識せず、独自の新しい領域を生み出すこと。
※関連 學びて時に之を習う、亦説ばしからずや
破に至らないときに離の話をしてはいけない。それは相手のためにならない。
相手の成長段階を見極め、相手に合った次のステップを考え、導いていく。
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歳寒くして、然る後に松柏の彫むに後るるを知るなり。
としさむくして、しかるのちにしょうはくのしぼむにおくるるをしるなり。
歳寒くして、然る後に松柏の彫むに後るるを知るなり。
(自己視点)
自己視点 子供視点 家庭視点 経営視点 子罕第九に戻る
日々寒さが増し、他の草木が凋んでいく中で、松や柏の緑が変わらないことに気づく。
比喩表現となっており、解釈に大きな幅のある一文です。
『人も苦しみにぶつかって、はじめて真価がわかる』という解釈が一般的です。
私はこれを、『苦しみにぶつかってこそ、人はその価値に気づく』と解釈してみようと思います。
世の中は変化し続けます。一年後の未来が、今と全く一緒であることは絶対にありません。
一方、どんなに時を重ねても変わらない大切なものや、真理、原理原則というものもあります。
例えば、トレンドに乗って事業を成功させた社長がいたとします。
しかし、一時の成功に慢心し苦境に立たされる。
日に日に借金が増え、信用が低下し、銀行も取引先も、ちやほやして近づいてきた人達も離れていく・・・
そんな状況にあって、ふと自分の周りを見渡したとき、
家族が支えてくれていたこと。
お金が無くなっても親身に話を聞いてくれる人がいること。
自分が生かされていたこと。などにに気づく・・・
これは、本当に多くの方が経験されている事例です。
苦境に立たされたことで、家族の愛情や友達の友情を感じることができるようになる。
本当に心から感謝することができるようになる。
苦境には、そんなメリットがあります。
『愛』や『感謝の念』は、人類の歴史において常に大切なものだと言われ続けている普遍的なものです。
でも、なにもなく、普通に生きているとその大切なことに気づけないまま過ごしてしまっていることも多いのではないでしょうか。
何の変化もない毎日の中で「変化しないもの」に気づくことは難しい。
周りの人にちやほやされる中で「感謝の念」を持ち続けることは難しい。
周りの人に馬鹿にされ続けている中で「実現したい目的・目標に向かって進み続ける」ことは難しい。
『禍福は糾える縄の如し』と言います。
一般的に言う"禍(わざわい)"がなければ、気づけないこともある。
そのような観点から見れば、禍も"福(ふく)"である。と私は考えています。
日々寒さが増していく今日この頃。
そんな自然の変化を感じながら、孔子がそこから感じ取った"真理"について、私も考えてみたいと思います。
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日々寒さが増し、他の草木が凋んでいく中で、松や柏の緑が変わらないことに気づく。
比喩表現となっており、解釈に大きな幅のある一文です。
『人も苦しみにぶつかって、はじめて真価がわかる』という解釈が一般的です。
私はこれを、『苦しみにぶつかってこそ、人はその価値に気づく』と解釈してみようと思います。
世の中は変化し続けます。一年後の未来が、今と全く一緒であることは絶対にありません。
一方、どんなに時を重ねても変わらない大切なものや、真理、原理原則というものもあります。
例えば、トレンドに乗って事業を成功させた社長がいたとします。
しかし、一時の成功に慢心し苦境に立たされる。
日に日に借金が増え、信用が低下し、銀行も取引先も、ちやほやして近づいてきた人達も離れていく・・・
そんな状況にあって、ふと自分の周りを見渡したとき、
家族が支えてくれていたこと。
お金が無くなっても親身に話を聞いてくれる人がいること。
自分が生かされていたこと。などにに気づく・・・
これは、本当に多くの方が経験されている事例です。
苦境に立たされたことで、家族の愛情や友達の友情を感じることができるようになる。
本当に心から感謝することができるようになる。
苦境には、そんなメリットがあります。
『愛』や『感謝の念』は、人類の歴史において常に大切なものだと言われ続けている普遍的なものです。
でも、なにもなく、普通に生きているとその大切なことに気づけないまま過ごしてしまっていることも多いのではないでしょうか。
何の変化もない毎日の中で「変化しないもの」に気づくことは難しい。
周りの人にちやほやされる中で「感謝の念」を持ち続けることは難しい。
周りの人に馬鹿にされ続けている中で「実現したい目的・目標に向かって進み続ける」ことは難しい。
『禍福は糾える縄の如し』と言います。
一般的に言う"禍(わざわい)"がなければ、気づけないこともある。
そのような観点から見れば、禍も"福(ふく)"である。と私は考えています。
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