【はじめに】 勝敗だけに振り回される観戦者だった自分へ
私は毎週、応援しているサッカーチームの試合を観ている。
勝ったときは嬉しい。負けたときは悔しい。
これまで、勝てば選手や監督を称賛し、負ければ「チームが弱いからだ」と嘆いていた。そんな自分に最近違和感を覚え始めている。
果たしてこのままでいいのか?
悔しさをチームのせいにして、自分はただ結果に振り回されるだけの存在でいいのか?
自分が感じるこのモヤモヤの正体は「応援する側の責任感の欠如」ではないのか?
そう考えるようになった。
今回は、そんな私自身の変化について書いてみたい。
【第一章】 自分の“応援マインド”に疑問を持ち始めた理由
きっかけはシンプルだった。
応援しているチームが負けた試合後、SNSでチームへの不満や監督批判を目にするたびに、強い虚無感に襲われた。
「勝てないのはこのチームが弱いから仕方ない」
「またかよ……」
そんな言葉が頭をよぎりながらも、私はある疑問にぶつかった。
「この悔しさ、全部チームのせいなのか?」
いや、違う。
自分の「応援の仕方」に問題があるんじゃないか?
このままでは、ただ勝敗に振り回されるだけの“受け身の観戦者”だ。
この違和感が、「応援マインド」を見直すきっかけになった。
【第二章】 受け身の観戦者から主体的な観戦者へ
「勝って嬉しい」「負けて悔しい」
この感情そのものは、どのサポーターも持つものだろう。
でも、
“負けて嫌な気持ちになるのはチームのせい”
という思考に陥っていた私は、完全に“受け身の観戦者”だったと気づく。
・試合を見て評価するだけ
・勝ったら喜ぶ、負けたら嘆くだけ
・応援しているつもりでも、行動はただの消費者と変わらない
この状況に危機感を覚えた。
本当に自分は「応援している」と言えるのだろうか?
この問いを繰り返したときに、ひとつの考えにたどり着いた。
【第三章】 「チームが弱いのは自分の責任」というマインドの意味
衝撃的かもしれないが、私はこう考え始めた。
「チームが弱いのは自分の責任だ」
もちろん、選手がミスしたり、戦術が機能しなかったり、そういう“ピッチ上の事実”はある。
でも、それを見て悔しい・腹が立つときに、
「チームが弱いのは俺のせいだ」と思うことで、
自分がただの傍観者から**“当事者”**になれる感覚が生まれた。
このマインドが自分に何をもたらしたか。
それは、
「自分にできることは何か?」
を考え始める大きな一歩になった。
【第四章】 小さくてもいい。自分にできる貢献とは
じゃあ、自分に何ができるのか?
私は選手じゃない。戦術指導もできない。
大金をスポンサーとして出せるわけでもない。
それでも、小さな貢献ならできる。
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試合前にSNSでポジティブな発信をする
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チームへのリスペクトを込めて応援歌を歌う
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現地に行けるときは、声が枯れるまで声援を送る
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試合後に悔しい気持ちを整理しつつ「次また応援する」と表明する
どれも些細なことだ。
でも、これを全てのサポーターができるようになったら──?
クラブの空気感が変わる。
チームの雰囲気が変わる。
「この街、このクラブに関わってくれる人たちは絶対に信じられる」と選手たちが思えるようになる。
つまり、サポーターが文化をつくる。
【第五章】 勝敗だけに左右されない観戦者の姿とは
このマインドにたどり着いてから、試合後の気持ちが大きく変わった。
勝ったときはもちろん嬉しい。
でも負けたときも
「この悔しさを次にどう生かすか」
「自分にできることは何か」
を考えるようになり、前よりずっと前向きになれた。
なにより──
「応援すること自体が目的になる」
これがすごく大事だと思っている。
「勝ったから楽しい」「負けたからつまらない」
そうじゃない。
「このチームとともに歩む、その過程そのものが喜びだ」
そういうサポーターが増えていけば、クラブの雰囲気も変わる。
応援文化が変わる。
結果として、その積み重ねが**「強いクラブ」**をつくると信じている。
【終章】 「主体的に応援する」という覚悟
**「応援=ただの観客」**ではない。
「応援=チームの文化を育てる当事者」
このマインドを持つことで、負けたときの悔しさも「成長の材料」に変えられる。
最後に伝えたいのはこれだ。
「自分の応援でクラブが変わるかもしれない」
それを本気で信じられる人たちが増えれば、
もう勝敗だけに振り回されるサポーターはいなくなるだろう。
私もまだまだ未熟だ。
でも一歩ずつでも、主体的に観戦する「応援者」であり続けたいと思う。






