数年ぶりに東京都渋谷へ

目的はフラのホイケの為

フラのホイケとは

ハワイ語で「Ho'ike」と書き

発表会という意味

ホイケはイベントとは違い、日々のレッスンの成果を発表する場、仲間との絆をさらに深める良い機会


私の習っている先生と他の先生2人で

3人の先生の合同ホイケ

第一部約1時間で13曲、第二部約1時間で12曲

私達は一部二部に一曲づつ、エンディングに一曲

ホイケでみんなで楽しく過ごせました



フラのこの様なホイケに参加すると

ドレスが綺麗、つけまつげを付け

メイクが日常とは違い、芸能人になった気分

ステキな年配者の方への憧れも

人生の良い刺激になる



私は渋谷には全く縁はない 

街には馴染みがないが

渋谷は100年に1度の再開中


主人は私のフラには興味が無いが

大学が渋谷だった為、渋谷の街には興味津々

フラホイケが終わった頃に主人と待ち合わせして

渋谷で食事


渋谷スクランブルスクエア13階

つるとんたん渋谷店




美味しかったラブ



屋上の渋谷スカイのチケットは完売で残念


渋谷は外国の方が多く、日本一の観光地かも 


スクランブルスクエア10皆のフロアーから


まだまだ再開発中の工事とスクランブル交差点


渋谷から新宿方面


渋谷の夕方



非日常で楽しかったラブ

諏訪湖から松本まで車で約1時間弱

国宝のお城

松本城、姫路城、彦根城、犬山城、松江城


松本城は、天守の築造年代は1593~4年

江戸時代以前に建設された天守が残る「現存12天守」のひとつ、現存する五重六階の天守としては日本最古の城

松本城は、松本の街のシンボル


大河ドラマ『どうする家康』を観て石川数正・康長父子が入城し、城と城下町の整備を進めため松本城に興味があった


松本藩の歴代藩主6家




松本城は標高590メートルの盆地内平地に位置

平地に築かれた平城



本丸へ入る重要な入り口

この門を入るとかつては本丸御殿

本丸御殿に通じる格調高い正式な門

当時の最高の色調である黒の名を冠して「黒門




明治以降松本城の保存に功績のあった人

・左が市川量造(いちかわりょうぞう)

競売になった松本城で五回の博覧会を開催し

その収益と寄付金で天守を買い戻した

・右が小林有也(こばやしうなり)

寄付金を集め、天守の明治の大修理の中心人物



天守閣の見学は狭い段差の有る階段の上りくだり

怪我の無いように注意⚠️

大天守、乾小天守、渡櫓の3棟は戦国時代に建築

戦国大名が戦いを繰り返して領地を争っていた時代であったため、戦闘を想定した造りになっているのが特徴。

鉄砲を撃つための「鉄砲狭間」や矢を放つための「矢狭間」と呼ばれる、小さな窓が115ヵ所も設置されています。また、石垣から迫ってくる敵兵に石を落としたり熱湯をかけたりするための窓「石落」が計11ヵ所設置


黒い漆塗りで彩られた外観が美しく、背景にある北アルプスの山々によく映える美しい城


天守閣の最上階天井には二十六夜様をお祀り




↑辰巳附櫓で見られるのは、「花頭窓」と呼ばれる仏教建築の優美な窓


江戸時代に増設された「辰巳附櫓、月見櫓」は

平和な時代に建築されたため、どちらも戦の備えをほとんど持たない優雅な様式


↓月見櫓は3方向が開口部となっており、これを開け放して月を愛でたと言われています。月見櫓の設えや、朱色の漆が塗られた「刎ね勾欄」(はねこうらん:先端が反り上がった手すり)


異なる時代の建築が共存している天守は

全国で松本城ただひとつ

戦いの時代と平和な時代における城





大河ドラマで話題になった石川数正の花押と石川家の家紋である笹竜胆を用いた松本城御印


↓大名町大手門井戸 

松本市内には20箇所の井戸有り

松本は周囲の山々から生まれでる清らかな水を地下にたくわえた町、松本の水は「名水」と選定




渋滞を避ける為、早めに帰路


中央高速双葉SA 

車から降りると『空気が熱い』と感じる

山梨の暑さにびっくりびっくりマーク


山梨県が果物王国の理由を感じる

内陸性気候で日照時間が長く、昼夜の寒暖差が大きいいため、果物の栽培に適している

また、昇仙峡観光で豊富な水資源も恵まれいる



山梨はやはり武田信玄愛

つけ麺ほうとう蕎麦と世界一アップルパイ

お土産はやはり桔梗屋さんの信玄餅やカステラおねがい




今回の旅行では、山梨県の昇仙峡などに外国人はいなかった。穴場かも?諏訪大社でも!

よく考えて見ると『台風の影響だ』

バスツアーの中止が原因だろう

こんな時は、外国人やバスツアーで人気の忍野八海も行けば良かったと、ちょっと後悔スター


諏訪湖 遊覧船乗り場


諏訪湖 初島 花火の打上場所





諏訪湖間欠泉センター

令和4年3月より高い噴出が出なくなった





間欠泉センター3階に諏訪湖の花火模型


2024諏訪湖の花火ポスター↓
昨日8月15日が湖上花火大会
湖上ならではの水上スターマインをはじめ
圧倒的なスケール感を誇る
四方を山に囲まれた諏訪湖から打ち上がるため
音が山に反響し体の芯まで 響き、迫力満点


諏訪湖沿いに16㌔のサイクリングロードや

クッションの効いたジョギングロード



宿泊先はビジネスホテルの為

夕食は上諏訪駅近くの定食屋さんで

ミニ信州そばと味噌カツ丼



夜は諏訪湖サマーナイト花火

約10分音楽に合わせた500発花火ラブ

山に花火の音が反響して迫力ラブ


コンビニでアイスを買って

宿泊先ルーピアイン南湖へ


諏訪湖

約260万年前の糸魚川静岡構造線の断層活動によって地殻が引き裂かれて生じた構造湖(断層湖)、地震によって出来た湖が諏訪湖


以前は今の倍以上の諏訪湖の大きさだった

昔は泳げていた諏訪湖だったが、高度成長期とともに生活排水、工業排水が流れこみ水質悪化、少しずつ水質改善はされていますが、泳げるとはまだまだ遠い


私が見ても諏訪湖は綺麗とは言えないのが残念

臭いも気になるガーン

湖畔で足湯を利用する気にならないびっくりマーク


本当に残念


諏訪⼤社 四社の御祭神は

前宮 八坂刀売神、本宮 建御名方神

春宮秋宮は

建御名方神、八坂刀売神、八重事代主神


諏訪湖の南側に上社前宮・本宮

    北側に下社春宮・秋宮が鎮座


本宮、春宮、秋宮は本殿を持たず

自然そのものを御神体とする


かつての諏訪湖は水位が高く、上社と下社が湖畔に位置していたともいわれている


諏訪大社下社 春宮


石鳥居





神楽殿

幣拝殿/左右片拝殿








西側には砥川という清流が流れている

中央にある浮島は、どんな大水にも流されたことがないため、下社の七不思議のひとつに数えられている


丸ブルー万治の石仏まんじのせきぶつ


伝承では春宮の鳥居を造る際、この石にノミを入れたところ血が流れ出し、驚いた石工が霊の宿る石として阿弥陀如来を祭ったという。

高さ2mの自然石の上に小さな頭がのった石仏で、画家の岡本太郎が「こんなにおもしろいものは見たことがない」と話したことから観光客が訪れるようになった。




諏訪大社下社 秋宮





旧中山道と甲州道中(現在の甲州街道)の分岐点という交通の要所に鎮座し、境内の手水からは御神湯が流れています。樹齢八百年ともいわれる「ネイリの杉」は下社秋宮の御神木


幣拝殿/左右片拝殿



御神紋  梶の葉

葉が3枚あるので三本梶ともいい、

足の数4本が上社、5本が下社の神紋


天覧の白松

片拝殿前にある珍しい木は幹の色から

白松と呼ばれる三葉の松

丸レッドいいなり地蔵尊


無事に4社巡りが出来、スッキリおねがい

山梨県から長野県諏訪湖に移動


八ヶ岳PAでひと休み、台風が関東付近のため

雲が多く残念な風景




諏訪大社巡り

全国の諏訪神社の総本社

国内最古の神社のひとつ

諏訪湖の南に上社があり前宮、本宮

北に下社の春宮、秋宮と四社で構成される


関係の摂社末社は60数社が郡内全域に鎮座

7年に一度、寅と申の年に行われる

「式年造営御柱大祭」通称柱祭(おんばしらさい)

宝殿の造営と長さ約17m、重さ10tにもなるモミの巨木を人力のみで曳き、各お宮の社殿の四隅に建てる

諏訪大社で最大の神事


四角グリーン諏訪大社 上社 前宮





十間廊↓

鳥居の左側の大きな建物で間口三間、奥行が十間

三月酉の日の神事御頭祭

鹿の頭七十五頭、鳥獣魚類等独特のお供え物をし、大祝のお使い(神使)神霊を奉じて、信濃国中に出発する為の大祭




前宮本殿

内御玉殿から約二百メートル登った所にある

諏訪大神が最初に居を構えた地と言われる高台

豊富な水と日照が得られる良き地あり

諏訪信仰発祥の地

現在の御殿は昭和七年に伊勢の神宮の古材を以って建てられたもの



↑若御子社





四角グリーン諏訪大社 上社 本宮



入口御門 布橋

御門は1829年建立

地元の宮大工 原五左衛門が棟梁

長廊は約70m、三十八間あり、明治維新までは上社の大祝のみ通った所で、その時に布を敷いたことから布橋



塀重門

幣拝殿 / 左右片拝殿 /脇片拝殿

本宮の幣拝殿は独特の形式

正面に幣殿と拝殿が続き

その奥に本殿はありません

拝殿の左側を右片拝殿、右側は左片拝殿

山を背にした建物を脇片拝殿




一之御柱付近↑

布橋のはずれ、玉垣の外にある柱が長さ五十五尺の一之御柱、御柱の奥の大きな石は諏訪七石の一つお沓石

真ん中の凹んだところが、お諏訪様のお沓のあとだとか、お諏訪様の召しておられた御神馬の足跡とか伝えられている



雷電像

諏訪大神は昔から力の強い神様、相撲とは関係が深く、多くの力士が参拝いる

この像は江戸時代に活躍した信州出身の大力士「雷電」かつての横綱「柏戸関(鏡山親方)」がモデル



御朱印


諏訪大社 下社へ 移動