指先の「動かし方」が、どこか「ぎこちない動き」をしているというときに、あなたは、体の「どこ」に原因を求めるだろうか。もちろん、「原因」を求めずに、「流れるまま」に流されて、そのまま、その「流れ」に逆らわずに、まるで麻雀や競馬でもやるかのごとく、結局、その「流れ」に乗っていたら、結果として、その問題(指の動かし方のぎこちなさ)も、結果として解決していたというケースも、実際の場面においては、それほど、少なくはないだろうなとは思う。このことは、その問題に対する「向き合い方」として、大別すると、「将棋」的なアプローチと、「麻雀」的なアプローチの二つのアプローチがあることを意味していて、「流れ」を読むのが得意な人の場合には、当然のことながら、「麻雀」的なアプローチをするほうが理にかなっているし、「先読み」をすることが得意な人にとっては、当然のことながら、「将棋」的なアプローチをするほうが理にかなっていると言うことができると言えることだろう。ここで、一つ問題になってくるのは、後者の「将棋」的なアプローチをする場合には、どうしても「思考体力(考え続ける体力)」、つまり、陸上競技でいうところのマラソンランナー的な能力、もっと言ってしまえば、ウルトラランナー的な能力が必要になってきてしまう可能性だ。はっきり言って、このこと(思考体力)は、問題解決を行っていくにあたって、どうしても無視することができない要素だろう。

 こういった思考体力の問題というのは、たとえば、麻雀を10時間プレイしても、徹夜で麻雀をしたとしても、全然、頭が疲れないどころか、むしろさえてくる感じがする(らしい)のに対し(僕はしたことがないので、そこらへんの「感覚」というのは、実感ベースとしては、よくわからないのだが。。)、将棋の場合、1~2時間ほど集中して対局しただけでも、「ああ、頭を使って(心地よい)疲れを感じた」といったような状態になることからもわかるように、将棋の場合には、この「先読み」をかなり高度な次元で、10時間以上ぶっ続けで行った場合には、どうしても「頭がさえてくる」といったよりは、「頭(左脳)が疲れてくる」といったような状態にならざるを得ないのではないだろうか。(こちらについても、どちらも、その領域には達してはいないので、またしても、あくまでも推測ベースの話になってしまうのだけれども。。)

 したがって、この「将棋」的なアプローチの方法・手法で、問題解決に臨む場合には、イメージとしては、coffee brake(コーヒーブレイク)のような時間が必然的に必要になってくる。簡単に言ってしまえば、いわゆる「息抜き」なのだけれども、単純に、「意識」を「抜く」のとは違って、「意識」を「緩やか」に「流す」といったような心持ちで、「コーヒー」本来のtaste(味)をじっくりと味わうような、そんなイメージを大前提とした「coffe brake的な過ごし方」が必要になってくるということは、それはそうなのかもしれない。

 ある人にとっては、ただ単純に、「コーヒーのtaste(味)をじっくりとあじわう」だけでも成立する人もいるだろうし、またある人にとっては、「コーヒーを飲みながら、小説やライトノベルなどのフィクションの世界に入り浸る」という人もいるだろうし、また、とある人にとっては、「(無心で)特打ちなどを使って、タイピング練習に励む」という人もいることだろう。いずれの場合にも、この「イメージにおける大前提」を、頭の片隅に置いておくということが大事になってくるということは強調しておくべき点だろうとは思っている。