用心深いといったことが、いわゆる「長所」つまり、advantage(アドバンテージ)につながる...といった局面や状況というのも、もちろん、存在するし、あるにはあるとは思うのだけれども、そういった「用心深さ」が原因で、払わなくてもよい代金を支払うことになってしまったり、みすみすチャンスを逃すことにつながってしまうケースというのも、同時に存在する...というのが、実際だろう。例えば、僕は、先月、リモートワークにおける業務の引継ぎや、PCの設定で、「自分の携帯電話」から、「電話をかけて一時間以上、通話しなければならないケースが想定される」と、事前に、あらかじめ予測しておき、「通話かけ放題」のオプションをつけてしまった。ところが、電話は相手側から、かかってきており、かつ、今後のやり取りについても、MicrosoftのTeamsを使用するから、自分の携帯電話を、一時的にとはいえ、「通話かけ放題」にする必要性は、実質的には、生じなかった。これと似たようなケースとして、「精神的な面での取り越し苦労」というのがあるような気がしていて、つまり、実際には、そこまでserious(深刻)に考える必要性がないにもかかわらず、次から次へと、「深刻かつ重大な問題」だと認識してしまい、そこに対して、「エネルギー」のリソース(源泉)を取られてしまうといったケースが、これまでの僕の職場でのやり取りの変遷をたどっていくと、どうも非常に多い気がしている。

 これのどこか一番、大きな問題なのかと言うと、精神的なエネルギーのresouse(源泉)が、初めから、「スポイルされているのと同じ状況」で、始まってしまいがちだったり、efficiency(効率)といった観点からしたならば、非常に、非効率的なエネルギーの使い方をしているといった点だ。このことを、アニメで例えると、アニメ「ドラゴンボールZ」に出てくる界王神の「シン」の魔人ブウが誕生するまでの「表情」や「冷や汗」、「リアクション」を、悟空やベジータ、孫悟飯と比較してみると、非常にわかりやすい気がしている。この「表情」には出さなくても、「心の中で、大きなリアクション」をしているといった、精神力動や、動揺しているつもりはなくても、手の指先や、足の指先から汗が出ている...という状態が継続しているといった点を踏まえると、やはり、精神エネルギーの無駄な浪費をしている...と、言わざるを得ない側面が、ふんだんにある(あった)のではないだろうか...と、思わざるを得ない。手足の指先からの汗の量から、自律神経の安定度を測定するバイオフィードバック法という手法があるのだけれども、この数値を、ただ単純にコントロールできるようになるだけで良いのであれば、もちろん、自律訓練法という方法はeffective(有効)になってくるとは思うが、この界王神並みの「心の内面のリアクションの大きさ・大げささ」といった側面については、決して、自律訓練法はeffective(有効)だと言うことはできないだろう。

 まあ、この「心の内面のリアクションの大きさ」というのは、メリット・デメリットがあるから、一概に、この「リアクション」が小さくなればなるほど良いか?と、問われると、必ずしもそうとは言い切れない側面があるのだけれども、少なくとも、この「取り越し苦労」的なfactor(要素)や、「心の冷や汗」みたいなものを感じる確率を減らせるといった側面から考えたならば、「小さい」ほうが望ましい...と言うことも、十分に可能だろう。そして、このような文章に書き綴ることによる「クールな情報整理」(動画はホットなinformationなのに対して、ブログはクールなinformation。簡単に言うと、文字情報だけか否かということ)というのは、それなりに、その意味と価値を持つ可能性は否定できない(否めない)。