どうも前々から、疑問に思っていたことがあって、本(ビジネス書・自己啓発書)を読んでいると、まるで「漫画本」のように、すらすらと読めてしまうような本が、一部ではあるけれども、確実にあるみたいで、もちろん、その著者の本が、全部が全部、「スラスラ」と読めるかどうか?というと、実際にはそうではないのだけれども。そして、その一方で、同じ本でも、「読む」という行為それ自体に、しばらく、外を出歩いていない人が、久しぶりに、外を出歩くのと同じような「億劫さ」を打ち破るような、一種の「活動エネルギー」が、必要な場合が、どうしても、少なからずあるような気がしていて、昔から、自分の「プライベート」の時間で、漫画はどんどん読み進めているけれど、以前に購入したあの本、「いまだに読んでいない」とか、いわゆる「積読」になってしまっていて、いつ、「読み始める」のかが、全くといっていいほど、不明になってしまっているケースが少なからずある。

 たとえば、スターバックスとかに、その読むべき対象の本のみを持って、出かけるとかしていると、比較的、スムーズに読めていたりするのだけれども、これと同じことを、「自宅」で行おうとした場合、明らかにハードルが高くなってしまうようで、これは「動的なアクティビティ」つまり、「英会話」とか「ブログを書く」とかよりも、「静的なアクティビティ」つまり、「本を読む」とか「資格試験勉強をする」といったことのほうが、確実に、自分にとってハードルが高くなってしまっていた...ということを、意味しているのではないだろうか。あるいは、同じ「静的なアクティビティ」でも、「オーディオブックを聴く」であったり、「音楽を聴く」であったりといった場合には、いわゆる「音韻表象(おんいんひょうしょう)」と言って、「本を読む」のとは違い、自分の頭の中で、「音に変換して読み上げる」といったプロセスが、最初からなくなることが前提だから、これは、楽になるというのは、それはそれで、もちろん、「そうだよなあ...」というのは、納得のいくところだと思う。

 実は、この「音韻表象」という言葉を知ったのも、「耳からの読書」つまり、「オーディオブックを聴く」という行為を通じて、得た知識だ。このオーディオブックの一番、良いところというのは、もし「本を読む」という行為と同じレベルの「活動エネルギー」を必要としていたならば、なかなか、その本まで、「手は広げられなかっただろうなあ...」というのがあるということで、audiobook.co.jp(旧Febe)に出会ってからは、これまでであれば、手をつけなかったジャンルの本にも、「手をつけてみる」気になれたというところが、一番の大きな収穫だったかもしれない。漫画などでも、自分一人では、そこまで手を広げて、読む気がしなかったジャンルであったり、勧められなければ、「読まなかっただろうなあ...」という漫画や、「観なかっただろうなあ...」というアニメだったりというのが、確実に、僕自身、あったように、このビジネス書や自己啓発書、ちょっとした小説チックなものというのも、「耳から読書ができる」という前提がなかったならば、確実に、読まなかっただろうなあ...といったオーディオブックが、相当、あったように思われる。

 このことからも、「本を読む」という行為そのもの(それ自体)が、いかに「運動」と同じく、「活動エネルギー」を消費するものなのかということを、物語っているように思う。これは、見方次第では、「資格試験勉強」に、よくある「講義動画の視聴」といったインプット作業よりも、初めから「読む」という行為が入っている分だけ、「活動エネルギー」を消費させられている...といった見方ができるのかもしれないなあ...とも思う。もちろん、「漫画」も「読む」という「活動エネルギー」を消費させられること自体は、変わらないのだけれども、読む前の最初のワクワク感であったり、別の言い方をすると、新しい漫画を購入した時の「早く読みたい!」という、エネルギーがほとばしった感じであったり...と、あらかじめ、この「活動エネルギー」を消費させるための「動機付け(motivation)」が、あることから、自分自身で、奮い立たせて(inspire)「読む」エネルギーを絞り出す必要性がないと言う点で、大きく、その「前提条件」が異なってくると言わざるを得ない。

 また、この「動的アクティビティ」の場合には、ブログであれば、「文字を打ち込む」であったり、英会話であれば、「スピーキングをする」であったりと、少なからず、指先を動かしたり、口を動かしたりと、オーディオブックを、ただ聴いていたり、講義動画を、繰り返し視聴しているような「静的アクティビティ」とは違って、「頭を働かす」以外の具体的な身体的動作が伴うところが、一番、大きく違うのかもしれない。そういった意味では、「プログラミング」も、この具体的な身体的動作が伴うことから、「動的アクティビティ」と言えるのかもしれない。

 あとは、なんだかんだ言っても、「ブログを書く」の場合には、そこに、一種の「クリエイティビティ(創造性)」のようなものが出てくるから、スポーツで言うと、新たな技であったり、新たな球種を身につけるためのトレーニングをしているような感覚に近しいものがある。その分だけ、「ワクワク感」であったり、「期待感」であったりが、あるのかもしれないけど、これを仕事にしたらしたで、やっぱり、大変なんだろうなあ...というのが、僕の感想だ。