皆さんは、音楽の歌詞や、ドラマのストーリー(内容)など、共感しきることができる作品というのを、どれだけ挙げることができるだろうか。気にっている楽曲や作品であったとしても、その歌詞の世界観やドラマのストーリーそれ自体に対して、100%共感しきることができる場合と言うのは、意外と少ないのではないだろうか。たとえば、Mr.Childrenの終わりなき旅という楽曲の中の歌詞に、「高ければ高い壁のほうが、上った時、気持ちいいもんな。」という一フレーズがあるけれども、聴いている分には、心地の良い歌詞だし、気持ちの良い歌詞なんだけれども、いざ、「高い壁」を目の前にしてみると、「これは大変だから、もう少しハードルを下げてみるか...」という人が大半を占めているのではないだろうか。

 僕自身も、「高い壁のほうが、上った時、気持ちいい。」と、思ってはいたが、いざ、高い目標を掲げて、実践している時(具体的には、公認会計士講座になるのだが)、「これは辛いから、ハードルを下げざるを得ない!」といった気持ちになり、結局、ハードルを下げてしまった。

 このような事例からも、明らかなように、一見すると、(一回だけ、聴いた時は)共感できているような気持ちになってはいるが、その実、「それは理想論だよ。」と、かなり現実的な目で、自分自身の能力や体力・気力を見つめ直している自分も、常に存在している。もちろん、心の底から共感し、今日からそのフレーズを指針に行動してみよう!と、思えるケースもなくはないとは思うけれども、「感動すること」と、「実際の行動計画に落とし込めるレベルのこと」というのは、おそらく、どんな人であれ、有意な差があるのであって、だからこそ、作品に対して「感動する」という、感情が生まれてくるのだろうと推測される。

 だから、アーティストが、「ノンフィクション」よりも、「フィクション」の世界を好んで、ビジネス書や自己啓発書を読むよりも、小説やライトノベルを読む傾向が強いのは、おそらく、偶然ではないのかな?とも思ってはいて、言うなれば、「フィクション(作り話)」というのは、非常に感動を生みやすい前提条件がそろっているし、日常生活とは、すこしかけ離れたところに、その作品性が表現されているからこそ、一種の驚きや感動に近しい感情を生みやすいとも言える。もちろん、どちらがより優れていて、どちらがより劣っているというわけではないのだけれども、少なくとも、「創造性」を生み出すという点において言えば、「フィクション」を、普段から読んだり、観たり、聴いたり...している人たちのほうが、当然のことながら、良い作品を生み出す可能性それ自体は高くなっていくことだろう。

 とある本の著者が、良い小説は良いビジネス書であり、良いビジネス書は良い小説だ!と、言っていたが、小説をあまり読んできていないために、あまり、この著者の言っていることが、なかなかピンと来ていなくて、いつも、「どういうことなんだろう?」と、思ってしまう自分がいる。ただ、少なくとも、「創造性(creativity)」を高めようと思ったら、確実に、ノンフィクションよりもフィクションの作品のほうが、その効果(effect)は、圧倒的に上なのではなかろうか。

 林修氏が、言っている社会で必要な能力というのは、「創造」と「解決」のいずれかだ。と、言っていたが、この中の「創造」というものの中には、確実に、「作品を生み出す」というのも、入っているはずで、そして、この能力を磨くためには、「フィクション」の作品を読んだり、観たり、聴いたりすることを、日常生活におけるルーティーンに優先的に組み込んでいかなければならない...ということは、言うまでもないことだろう。

 これとは、ある意味において、対極に位置するのが、「実際の行動指針」というか、もっと言ってしまえば、普段の発言内容に関わる部分で、自分自身の発言を振り返ったり、そのクオリティーを高めて行く上において、役に立つと思われるのが、ビジネス書や自己啓発書などに類する書籍なんだろうなあ...と、これまで、ビジネス書や、自己啓発書を読んできた僕自身が、常々、そう思わせられている。もちろん、ドラマのワンシーンの発言内容なども、影響はしてくるのかもしれないが、その根本というか、根底にあるものというのは、ビジネス書や自己啓発書、心理学の本などから、学び取ったエッセンスなのではないだろうか?というのが、僕なりの一つの仮説だ。