自分の気が向いた時にだけ、自分の「できる」ことを淡々とこなしていく。このような姿勢・心の感情態度を維持・形成していくことが、

ひいては、フィジカルコンディション及びメンタルコンディションの安定(stable)につながっていく可能性は、極めて高いかと思われる。

もちろん、「仕事」となれば、このスタイルそれ自体を維持することが、物理的に不可能となってしまうわけなのだけれど、少なくとも、日常生活における活動(activity)を、「気が向いた」時に、「気が向いた」状態で、「気が向いた」作業のみを、淡々と行っていく...というのは、仕事などのビジネスシーンにおける「気が向く」可能性を高めて行く上においても、このような日常生活の過ごし方・考え方というのは、非常にeffective(有用・有益)なのではないだろうか。

 そうは言っても、絶対的に「やらなければいけない」ことが、プライベートの時間においても、必ずあるよ!と、言われてしまったら、「それは、その通りですね。」としか、答えようがないのだけれど、この絶対的に「やらなければいけない」タスク以外のタスクを、「今、気が向いていないから、後回しにしよう!」や、「今後も、気が向く可能性がなさそうだから、切り捨てよう!」といったような、判断・決断をしていくと、少なからず、少なくとも、プライベートの時間における「気が向いた時間」に遭遇できる確率が、(あくまでも確率論から言ったらの場合だけれども、)上がるのではないだろうか。これが、自分の気が向いた時にだけ、自分の「できる」ことを、(プライベートでも、)淡々とこなしていくことの最大のメリットだと言える。

 もちろん、新たな活動や、新たな試みをしていく際には、いい意味でも、悪い意味でも、この「気が向く」という状態それ自体を、度外視して、ただ単純に「挑戦する!」といったマインドを持って、積極果敢に挑んでいく姿勢が必要不可欠になってくるのだけれども、(それはプライベートにおいても基本的には変わらないと思われる)それにしたって、ある程度、挑戦して慣れてきた後は、「気が向きそうな状態や機会が、今後も定期的に発生しそうかどうか」といったことを、判断軸に、その活動を続けていくかどうかの判断・決断を迫られることには変わりはないと思われる。

 この「プライベートの時間」においても、「義務感」で行うタスクだらけで目一杯にしてしまうと、結局、エネルギーの補填(補充)をすることができずに、何らかの心因性の疾患にかかってしまうリスクを上げてしまう...という仮説が無きにしも非ずだ。

 このことは、スポーツ一つ取っても言えることで、なんとなく「義務感」でスポーツを続けていると、たしかに上達自体は、することができるのかもしれないが、その「スポーツの楽しさ」というか、「醍醐味」を味わうことができない状態のまま、上達してしまう。僕は、本来、スポーツというのは、楽しむためにあるものだと思っているので、それ(練習)があまりに苦しいのであれば、何もそこまで無理して練習に参加しなくても...ということを、中学校時代の自分に言い聞かせてあげたいぐらいで、それぐらい、中学時代の剣道というのは、「楽しさ」よりも、「苦しさ」のほうが、かなり勝っていた...と、どうしても思わざるを得ないだろう。こうした傾向というのは、「強豪校」であればあるほど、そのスポーツ本来の「楽しさ」を味わうことよりも、苦しさに耐えて上達した!という、成功体験を少しでも作ろうと躍起になってしまうため、この「義務感」めいた感覚なりセンスなりが、「当たり前」かのように錯覚する、きっかけを作ってしまいかねない。

 これと対局にあったスポーツの楽しみ方というのが、僕にとっては、趣味で続けていたバッティングセンターや卓球・ボーリングなどの活動(activity)で、それこそ、ボーリングに限って言えば、一人で10ゲームをやってしまったときもあったほどで、大して上達こそしなかったものの、基本的に、中学の部活動のような「苦しさ」とは無縁で、ただ純粋に、「スポーツ」それ自体を楽しめていたと、言い切ってしまっていいだろう。

 そして、この「義務感」で行う活動の代表例と言えば、学生時代の「勉強」や、社会人になってからの「仕事」だと言うことができると思う。これらを、本当に楽しめている人たちというのは、本当にほんの一握りの人たちで、そういった人たちというのは、たまたま、「やりたい」ことと、「できる」ことが一致していただけ...という捉え方もできるのかもしれないが、僕は、それだけではなくて、日常生活において、どれだけ、この「気が向く」活動を、「気が向いた」時に行うことができ、モチベーションのプラスのサイクルを回し続けられたか...というのも、確実に無視できない要素(factor)の一つだと言うことができると思っている。

 実際問題、そこまで単純ではないのかもしれないが、「できる」ことと、「やりたい」ことを一致させるようなポジションに就くことができない場合には、このような視点(insight)も、一つ、持っておくと、役立つ場面が出てくるかもしれない。