自分の中に、溜まっているストレスを吐き出すかのように、ブログを書く...というのは、果たしてどうなのだろうか?と、思うことがある。カラオケであれば、その時の「自分の心情に合った曲」を選んで、歌いこむことで、それがひいては、自分自身のストレス発散として、よりeffect(効果)を高めていくことにつながるとは思うのだけれど、「ブログ」という記事を通じて、自己表現や自己開示をしていくことによって、得られてくる「ストレス発散効果」というのは、果たして、「カラオケ」ほどのeffect(効果)を得ることができるのだろうか?と、少し疑問に思う側面がないわけではない。もちろん、JPOPの歌詞というのは、男女の恋愛関係を歌っている曲が多いことから、恋愛におけるストレス(良い意味でも、悪い意味でも)を発散させてくれる曲自体は、たくさんあるとは思う。しかしながら、それ以外の局面(人間関係上のストレスや、仕事上のストレス)で発生してくるストレスを発散させてくれそうな歌詞を書いているアーティストというのは、非常に少ないと思われる。

 したがって、恋愛以外の局面で発生したストレスであるならば、基本的には、自分の心情を、ノートに書き出してみる...などの手法・方法のほうが、むしろ、effective(有効)である可能性が高いのではないだろうか。

 もちろん、「話をする」というのも、有効な手段・選択肢の一つではあるけれども、本当の意味で、「気持ちよく、話を傾聴してもらえる...」といった確率で言うのであれば、それは、どうしたって、プロのカウンセラーの右に出る者はいないだろう。ここに、「親友」や「パートナー」がいることの重要性がある。もちろん、ただ、「話をして盛り上がる」だけでいいのであれば、そこまで、親密な関係性である必要性はないだろうが、本当に親身になって、(無償で)話を聴いてくれる存在と言ったら、いわゆる「友達」や「知人」では、なかなか難しいものがあると、言わざるを得ない。もちろん、プロのカウンセラーでも、いいのだけれども、そのアプローチ手法が、臨床心理学的なプロフェッショナルな視点に限定されてしまう...といった点において、果たして、「その人」のことを本当にわかって(理解して)いると言い切れるのだろうか...といった懸念を完全には払拭しきれないというのは、おそらく、それはそれで、一つの(ある側面から見た)事実だと、どうしても言わざるを得ないのではないだろうか。

 よく、アーティストが、4人でグループを組んで、一緒に音楽活動をしていく仲間として、多くの時間を共有する...といったことがあると思うのだけれど、そのように、「より多くの時間を共有した仲間」というのが、一人でもいるだけで、ボーカルや作詞・作曲を手掛けている中心メンバーの人たちも、安心して、誠実に音楽活動に取り組んでいられるというのがあるのと同様に、この「親友」や「パートナー」の存在というのも、それだけで、安心して、日々の仕事に取り組んでいられる...というのが、ある意味において、実際問題、あるのかもしれないなあと、最近は思っている。

 だから、プロカウンセラーとのやり取りだけでは、共有しきれない経験や体験、視点というのが、各個人・個人、一人、一人に対して、確実にあると思っていて、これ(経験・体験)を共有できる「仲間」がいるということ、ひいては、親友やパートナーの存在がいるということというのは、改めて、お金では買うことのできないものなんだなあ...と、つくづく思う。僕は、正直、もっとお金を大事にして、貯金しておけばよかったなあ...と、思う一方で、それなりに、お金を使ってきてよかったなあ...ということも、思っていたりもしている。どちらが正解で、どちらが不正解ということではないのだけれども、お金を使ってきてよかったなあ...というのも、ある意味で、一方では、真実であったりもしている。ただ、もう少しだけ、計画的に、お金を使ってくればよかったなあ...というのも、本音だったりしている。

 結局、何をするにも、お金と言うのは必要不可欠になってくるのではあるのだけれども、その時々の旬になっているもの、言い換えれば、ブームになっているものに乗っかるというのも、大事だとは思っていて、例えば、パズドラが流行っている時に、パズドラをやりこむとか、英会話に熱が入った時に、一気にその勢いでやってみるとか...。結局、「お金ができたから、今、やってもいいよ」と言われても、もう熱が冷めていたり、エネルギーが湧いてこなかったりするもので、僕も、お金あげるから、今から税理士試験勉強をやってください...と言われたら、「面倒だなあ...。いまさら、やる気しないなあ。」というのが、現時点での本音だったりもする。もしくは、お金あげるから、パズドラなら、いくらでも課金していいよ!と、言われても、「いまさら、そこまでやりこむ気はしないなあ...。」というのが、本音だったりする。今風に言うならば、「遅いよ!」ということになってしまう。