「なんか、やる気しないな」あるいは、「なんか、面倒くさいなあ」と、思った時、それ(その感情)を我慢して、やりきる...というのも、それはそれで、一つの方法なんだとは思うけれども、そういう時というのは、確実に、productivity(生産性)が低くなってしまうことが避けられない(不可避的になってしまう)。なので、「やるべきこと」を「やるべきタイミング」で、「義務感」で行うというのは、時に大事になってくるけれども、いつも、いつも、そのパターン一色になってしまっては、残念ながら、ストレスは溜まってしまう一方だと言うこともできないだろうか。

 「あ、これ、今、やりたい気分だけど、やらなきゃいけないことがあるし、後回しにしておこう!」という決断は、決断で立派だと思うし、実際、僕自身も、何回も何回も、(仕事に限らず、時にはプライベートにおいても、)このような決断をしてきたから、一概に、こういった決断の類が悪いなんて言うつもりもないが、「それって、結果としてストレスが溜まっちゃっていない?」といった視点も、同時に持ち合わせていたいところだ。

 もちろん、「締め切り」がある場合には、その「締め切り」を間に合わせるために、「(締め切りから)逆算したら、もう今日からやるしかない!」といった算段が立ってしまっているのであれば、それはもう、文字通り、やるしかない。しかしながら、僕の場合には、特にプライベートにおいて、締め切りから逆算しても、まだ余裕がある...といった段階から、「どうしよう...やる気がしない...」となり、そして、しまいには、この「やるべきタスク」が残っているがために、遊んでいても、「遊んだ気がしない」といった気持ちに支配されてしまっていたケースが、正直なところ、結構、あったような気がしてならない。つまり、気持ちの切り替えが下手だと言うことができる。

 この、いつまでも、「残ったタスク」のことに意識をとられていて、今現在を「楽しめていない」という顕在意識の使い方は、(これは推測だけれども、)おそらく、その人の中にある無意識(潜在意識)に対しても、マイナスに働いてしまうのではないだろうか...とも、最近は思っている。よく、YOUTUBEで、中村天風さんの教えを、わかりやすく伝えている斉藤一人さんというYOUTUBER(本の著者でもあり、実業家でもある)が言っていることで、「(とにかく、)振動数を上げなきゃダメだよ!」と、言っているのだけれども、この「振動数(言い換えれば、「楽しい!」や「わくわくする!」、「美味しい!」などのポジティブな積極的な感情)」を、無意識の領域でも上げて行こうと思ったら、この「やるべきタスクが、いつまでも、頭の片隅にでも、残り続けている」といった感覚は、おそらく、(この振動数の)足枷になってしまうことだろう。

 だから、同じ「作業」を行うの一つとっても、その「タスク」が、期限から逆算して切羽詰まるようなスケジュール感でないのであれば、思い切って、その「タスク」のことを忘れてしまい(これが、僕にとってはなかなかに難しいのだが)、「今」・「この瞬間」に(顕在)意識を集中させて、「時」を充実させることに全エネルギーを注ぎ込んでみる...といったことをしてみてはどうだろうか。この「全エネルギーを注ぎ込んで」やっていると、運動やカラオケなどの、いわゆる「発散系の活動」でなかったとしても、意外と、リフレッシュ効果があるから、不思議だ。実は、このブログ一つとっても、この「全エネルギーを注ぎ込んで」とまではいかないまでも、ある意味、「リフレッシュしよう!」とか、「頭の整理をしよう!」といった感覚があり、(もちろん、仕事となったら辛いとは思うのだけれど、趣味としてやっている分には、)本当に、自分自身の中の考えを整理して、アウトプットすることで、ある種、「発散する」ということが、できている...と、言えなくもないのかもしれないなあ...と、これまで、ブログを書いてきた中で、改めて、そのように思ったりもしている。

 だから、「今日できることは今日中にやろう!」というのも、大事な教えではあるかもしれないが、「明日できることは、明日に回そう!」といった教えというのも、実に理にかなった教えだなあ...と、最近は、つくづく、そう感じていたりもする。

 結局、「勉強」というのも、「勉強やりなさい!」と、強制されるから、嫌な感情が発生するんであって、「好きにしていいよ!」という前提があった上で、「たまには、勉強してみようかな」という、自主的な勉強であったならば、ほとんどストレスを感じることなくできるはずだ...という仕組みと、根本的には、同じことなのかな。