こんばんは

Juntyままです⭐️


久しぶりの投稿です。




この短い期間に色々ありました。

あの電話攻撃の父親が人生で初めて

救急車のお世話になり、

誤嚥性肺炎で入院しました。



入院当日、私は仕事でそんなことも

知らず携帯を飛行機マークにして

いました。



というのも、家で携帯を使う時に

wifiをオフにしていたのを忘れ

インスタを見ていたら



ギガ数がわずかになり、

残りの日数がまだ10日もあったので、

節約と思って......



そうしたら、妹や娘から連絡が入って

たのに気がつかずで、仕事が終わり

家近くの駅に着いてからとんぼ返り

でまだ電車に乗り




父親の施設に行って薬を持って来てと

言われ、いつもの薬を取りに行き、

そのまま病院に行ったら


今度はまた入院セットを取りに

妹と娘も会社の帰りに来てくれていたので、

一緒に施設に戻り、紙袋にタオルやら

下着やらを詰めて、



看護士さんからパジャマが足らないと

言われたので、途中パジャマを買い求め、

気がつけば もう夜の9時を回っていたので



早く食事をしないとお店が閉まるので

取り敢えず、ファミリーレストランを

探してさっさと済ませ、病院に荷物を

届け、看護士さんから話を聞いて

家に帰ったら23時を回っていました。



それから父親の入院生活が始まり

ましたが、最初の2日くらいは

電話はかけてこなかったのに



3日後くらいから電話復活

もういいわ〜電話


やめてほしい💢



熱が上がったり下がったりして

いたものの、ご飯を食べれるようになり

少しずつ元気になったけど、

私も妹も複雑な気持ち




認知なので、自分はいったい何で

ここにいてるとか、

(全部自分が招いたんじゃ)




退院したら

どこに帰ったらいいかとか

(決まってる。ケアハウスしかない,

自分のような我儘で、すぐにキレる人とは

一緒には住めん。ひとりで住めばいい)



そして23年前の記憶が蘇りました。



私も妹もまだ30代だったし、

子供も小さかったので本当なら

もっと助けてもらいたいのはこっちの方

だった。



23年前に父親の商売がダメになった時、

妹が父親と一緒に住み、私が病気の母を

引き取ることになり、その頃妹は子供が

まだ1歳。私の娘は3歳くらいで、

とてもじゃないけど、病気の母親を妹に

預けるわけに行かず、私が母親の世話を

することにしたわけですが。



今まで、父親にはさんざん嫌なことを

言われ嫌な思いにさせられ、

私や妹がどんな思いでやって来たか

父親には知る由もありません。



できれば父親と縁を切りたいとさえ

思っていました。



父親が認知になっているのに気付いたのは

2年前くらいでした。

電話で、何か自分に隠しているやろう?と

怒りながら言って、何も隠してないと言うと

秘密にしてることがあるやろう?と




凄い剣幕。(何のこっちゃ?何を言っておる?)

お母さんはどこへ行ったんや?と。

私は はあ?と思いました。



20年前に母が死んだことを言うと、

電話の向こうで真剣に怒って泣いてる。

(はあ?何を言ってるん?)



お葬式もちゃんとあげて親戚の人が

皆んな来てくれて、自分は喪主をして

たやんと言っても信じてくれす。

納得も断固としてせず。




父親はそれでなくてもしつこい性格で、

執拗に聞いて来るし、誰の言うことも

信じようとしない。



妹も私も呆れて、もう勝手に信じなくて

いいわと。



今だに


お母さんはどこへ行った?とか

(20年前に死んだ)



寂しいとか言う。

(その怒りん坊の性格で寂しいは、言ったらあかん,寂しいって言うんだったら お母さんが生きてる内にもっと優しくしてやってたら、鬱にもならんかったし病気にもならんかった。もっと長生きしてたかも知れん。全部アンタが招いたことじゃ!)



私の心の叫び!




ついに今日24日に退院!

迎えに行って、施設に戻り

妹は部屋を掃除機をかけてくれて



2人で片付け、洗濯物を乾かしたが

乾きが悪いものは部屋に干して帰って

来ました。



また様子を見に行こうと思うけど、

今施設はコロナの影響で、

部屋には行けないようになっている。

今日は特別に入れてもらえたので

良かった。



今日はお昼に妹と食事に行って


私は木葉丼とうどんのセット



そして妹は日替わりセットの生姜焼きのセット



満腹になりました。


ここまで読んでいただき

ありがとうございました⭐️







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