「いまの子 むかしの子」
はじめに
「いまの若い子にはガッツが足らない。」「あのおっさんは頭がかたい。」今日の日本には世代間闘争があふれかえってるように思えます。たとえ声に出さなくとも、心で思ってしまう方々、私も「こは人の考え方は古いな。」と思うことがあり、それは仕方ないことだといのが持論です。
ではいまに生きる子とむかしに生きた子では、実際の能力や性格はどちらが優れていたのでしょうか。このような話題を考えると、「人と人とは違う。」「性格で人の優劣を決めるな。」と思う方々がいらっしゃると思いますし、その方々の考えは正しいと思います。ですが現に日本には世代間による考え方や、性格などが異なることは事実であり、過去と現在では日本の環境も異なるので、能力差は必ずあるというのが私の考えであり、残酷な考えだと思っています。
ではいまの子、むかしの子にはどのような能力の違いがあり、どのような性格なのか、私は考えました。ここにはそれを記述し、また能力や性格が異なることを理解し、どのように今を過ごすかをも私なりの考えを述べたいと思います。現在二〇二〇年、私は大学生でいまの子あたると思います。
ただ、これから述べることは完全に私の独断と偏見に満ちた意見であり、データなどは自分の近隣の人物の会話とインターネットの情報のみです。信憑性は皆無といっても過言ではありません。ただ私になり考えた結論であり、少なからず私の周辺にも世代間の思想の違いにより苦しんでいる方などがいます。私や私の周りにいるのならば、日本にも少なからずは同じ悩みをもった方がいると思い、ここに記述しました。少しでもそのような方の心に響いたら私は幸せです。
1. いまとむかしを論ずるまえに
いまとむかしを論ずるまえに、私の好きな本の著者が「今の常識で昔を裁くな」という言葉を記述してました。これは、飢饉により生活が困窮した江戸時代の人々が、自分の娘を町人に売り込んだという話から始まる。現代の常識で考えれば「なんて酷い親だ。」と思うでしょうし、それが普通です。そもそも現代では犯罪です。しかし当時ではあまりのひもじさに、家族をろくに食べさせられないため、苦肉の策として娘を金持ちの町人や風俗店に売りに出した。その見返りとして、家族は当然お金をもらえ、娘も金持ちの人の豊かな環境に移れるという常識があったのだ。実はこの常識は戦後の昭和でも少なからずあった。
それほど生活が困窮していたのだ。そのため、「今の常識で昔を裁くな。」とは、今とは異なる常識、価値観で昔の人々を裁くことは公平ではないという意の言葉である。私は納得したが、もう少し違った考えがあった。
それは「異なる価値観や常識で人を裁くな。」という考えです。昔の環境や今の環境も、全く異なるため、国の文化や常識が異なることのように、過去の常識も今の常識も異なるため、単純にこれがダメ、あれがダメと裁くのは不公平だということです。そのことを意識すれば、自分の異なる世代の人の意見も少しは理解できると思います。
2.いまの子とむかしの子の能力
結論から述べるといまの子とむかしの子の総合的な能力(仕事、人間関係、民度、趣味などなど)はむかしの子の方が優れているのと思います。理由はむかしの子の日本の環境が現代よりもモノの豊かさが少ないことだからです。そのため自分で問題を解決する能力が自然についてきました。自分で解決できない問題がある場合は人にアドバイスを聞くしかないので、対人能力も自然とついてきました。
いまの子は手元にスマートフォンがあります。私のイメージは、スマートフォンは諸刃の剣という考えであり、調べたいことはすぐに知るができるが、調べる以外の能力が育たない。少し話がそれますが、いまの優秀な子とむかしの優秀な子では、いまの優秀な子の能力の方が高いと思います。それはいまの優秀な子は昔よりも豊かな現代でなおかつ問題解決に飢えており、能力の向上が著しい。単純に考える。むかしの子はなにか情報を得るとき、人の話もしくは本からの情報が限界だったが、いまの子にはそれプラスインターネットやよりグローバルな人々との会話の簡易化などで、より膨大で正確な情報が得られるからです。例えが不謹慎かもしれませんが後発に発売する商品の方が優れていることが大半です。そのため、いまの子の方が能力としては高いはずなのですが、いまの子はインターネットなどで得られる情報のみで満足してしまい、また動画サイトなので実際に自分の代わりに問題を解決してくれる人や趣味を充実させてくれる方々がいるので、それらの動画を視聴して満足してしまう子が多くいるのは感じます。(私もインターネットで満足してしまう派です。)
ではいまの子はむかしの子であった大人たちにボロクソに言われても仕方ないのか。それは1章でも述べたように、現代と過去では環境が異なることです。現代で生きる上で、もはやインターネットなしでは暮らしていけないほど我々の生活に浸食しています。勿論インターネットを使わずに生活することも可能ですが、いまの優秀な子はインターネットを巧みに使います。またインターネットなしの生活では自分を表現する場も失われつつあります。SNSなどを活用しなければいじめにあってしまう世の中です。もはやインターネットなしでは生きられません。しかし、いまの子の大半はインターネットに生活、いや人生を侵食されているのは見てわかります。
何度も言うようにインターネットを正しく使う人もいます。しかしやはりインターネットに使われている人は多くいることは、むかしの子の能力との差を見れば明らかだと思います。そのため、いまの子は能力が劣っているが、インターネットに自分を奪われた被害者という一面もあります。一例にインターネットを挙げましたが、他にも昔にくらべ、モノが簡単に手に入るようになっていますので、努力してなにかを手に入れるという行動が奪われてしまったのが、いまの子だと私は思います