40年近く、生きずらさ、しんどさを抱えてきました
自分に起きる不運なことの多さに疑問でいっぱいでした
うつをはじめ、色々な経験をして
たくさんのカウンセラーに出会ってきました
クライアントだったから、分かることがあります
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現在、心屋塾マスターコース77期・受講中
マスターコースで京都へ行ってから
何もやる気も起こらなくて
スーツケース放置してたら
母が洗濯物を洗って干してたたんでくれた
私はそれにすらありがとうね、だけ
やってもらって当たり前
なんでこんな薄情なんだろう?と思いながらも、思うものは仕方ないと
思ってしまうのだから仕方ない
今日も叔父に会いに行くと聞いて
勝手に便乗して、食べたいランチご馳走になって帰ってきた
父はマスターコース12日目に入院して
次の日に手術した
私はその日は帰らず京都で遊んでいた
前の私は家族が入院手術となれば付き添い
疲れ果てるまで頑張っていた
母の退院が決まってひと段落する間もなく
次は俺が手術決まったからと言われ
その時はかなり気持ちが落ちた
だけど母と違って幸い命に関わる手術ではない
他の家族が付き添ってくれる
私、1人いなくても何も問題ない
私がいたところで何ができるわけではないし
せっかく京都に行ったんだから遊びたい
父に話したら
手術後の姿を見せたくないから来なくていいと
父なりの愛情表現なんだろうと思った
だから私は気兼ねなく遊ぼうと思って遊んだ
前の私は、家族が手術をすることになったことすら、私のせいだと思って罪悪感まみれだった
今もこびりついた罪悪感は、簡単には消えないけど
全く関係ないことまで、自分のせいだと結びつけていたことだけは分かるようになった
そして今回、万一手術がうまくいかなかったとしても、それも私のせいではない
私がいなかったから、成功しなかったとか
私が遊んでたから、父が歩けなくなってしまったとか
そんなことは関係ないし
そんな想像もしなくていい
帰りの新幹線で、手術が予定よりも延びてて
まだ終わってないと聞いて
直接病院に向かおうとした
父の大好物の赤福を持って…