こんにちは!
ふくドラ@中小企業診断士です。

 

 

なんの脈絡もなく、

唐突な話題で恐縮ですが——

 

 

実はワタシ、

腕時計にだけは、

少しこだわりがあります。

 

 

いわゆる、

超高級ブランドではないもの、

一般的に高級時計と称されるものを、

シチュエーションで使い分けています。

 

 

ただし!

 


それ以外の、

身につけるものは、

驚くほど「質素です(笑)

 

 

スーツも靴も、

カバンもネクタイも、

すべて総合スーパー等で揃えるのが常。
 

 

むろん、

自家用車も国産です。

いわゆる「大衆車」に乗っています。

 

 

かつて、

経営者のはしくれとして、

それなりの高収入を得ていた頃でも、

ず〜っとそんな感じでした。

 

 

毎月の小遣いだけは、

少し多めに女房から受け取りつつも——

 

 

でもそれは、

部下に奢る食事代のため。

自分の贅沢に使うことはほぼ「皆無」。

 

 

 

 

何も知らない人が見れば、

外見は普通サラリーマン

 


私のいでたちからは、

バブルのかけらも感じないはずです(笑)

 

 

当時の、

経営者仲間からは、

奇行に映っていたでしょう。

 

 

私自身も、

その自覚はありました。

だって確信犯でやっていたのですから。

 

 

では一体、

なぜそうしていたのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

■質素であることの必然性

 

 

むろん――

 

 

単に「節約のため」ではありません。

 

 

もともと、

少し貧乏性の傾向はありますが、

決してケチンボウではない(つもり)。

 

 

質素に生きることには、

中小企業の経営に携わる上で、

ふたつの必然性があったからです。

 

 

 

ひとつ目は――

 

 

小売業を営んでいたから。

 

 

ビジネスにおいて、

コンシューマを顧客としているなら、
 

 

一般人の感覚

 

 

それを失うことは致命です。

 

 

自分の生活水準を、

むやみに上げていけば、

無意識のうちに「当たり前」は変わる。
 

 

すると、

商品の値ごろ感や、

価値に対する経営判断がズレてくる。

 

 

小売業に携わるリーダーは、

庶民感覚から逸脱してはならないのです。

 

 

 ~~~~~

 

 

ふたつ目は――

 

 

代理店下請けとしての事業部を、

いくつか担当していたからです。

 

 

企業同士は、

建前上は「対等の立場」です。

 


でも実際には、

発注側受注側では、

 

 

厳然たる力関係

 

 

というものが存在します。

それが当たり前でしょう。

 

 

もしも、

発注側の担当者さんに、

 

 

儲かってそうだね?
 

調子にのってるんじゃないの?

 

 

そんな印象を、

与えかねないブランド品を、

不用意に身にまとえば何が起きるか?

 

 

値下げ圧力を強められるかもしれない――

やっかみで仕事を干されるかもしれない――

 

 

いずれにせよ、

余計な「摩擦」を生みだしかねない。

 

 

代理店・下請けの事業を行うなら、

発注元刺激する贅沢はご法度なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

■従業員は「階層意識」を嗅ぎ取る

 

 

この原理原則は――

 

 

従業員に対してだって同じでしょう。

 

 

どの企業でも、

給与は役職に応じて上がっていきます。
それ自体は当然のことです。

 

 

しかし、

給料の上昇にあわせて、

不用意に生活レベルを引き上げていくと、
自分の中に階層意識が芽生えてくる。

 

 

厄介なことに、

そうした感覚は空気として伝わります。

 

 

従業員というものは、

上司から漂う「その手の臭い」を、
驚くほど正確に嗅ぎ取るものです。

 

 

その結果、

ドラッカー流に言えば、

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

・「われわれ」という一体感から、

・「あいつら」という分断に変化する 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

私自身――

 

 

自分のキャリアを、

「月給16万円台の販売員」

そんな最下層からスタートしたので、
ドラッカーの指摘はよく分かるのです。

 

 

だからこそ、

質素であり続けることは、

彼らと共に働く上での大前提でした。

 

 

それは、

たんなる「美徳」というよりも——
 

 

関係性を壊さないための、

必然的な行動規範だと言えます。

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

■メザシの土光さんと清貧

 

 

みなさんは、

 

 

メザシの土光さん

 

 

そんな風に呼ばれた、

土光敏夫氏をご存知でしょうか?

 

 

かつて、

危機に陥った東芝の再建を果たし、

経団連会長も務めた名経営者です。

 


その私生活は、

驚くほど質素だったことで有名です。

 

 

メザシと玄米の食事――

古く小さな自宅――

自分の経費は極力安く済ませる――

 

 

仏教徒でもあった彼は、

リーダーのとるべき姿勢として、

 

清貧

 

と称する経営思想を掲げました。

そして、実際に率先垂範したのです。

 

 

なぜ彼は、

質素な生活に、

こだわり続けたのでしょうか?

 

 

 ~~~~~

 

 

メザシの土光さんは、

徹底した現場主義を掲げ、

社員との腹を割った対話を重視しました。

 

 

労働争議が激しかった時代――

 

 

たった一人で、
喧嘩腰の組合に乗り込み
経営の実情を率直に語り続けました。

 

 

また、

社長室のドアを開けたままにし、
意見がある社員の出入りを自由にしました。

 

 

もし彼が、

豪奢な生活を送り、
遠い存在のままであったなら——

 

 

同じ言葉を、

熱心に語ったとしても、


「社員から信頼は得られなかった」

 

そう言えるのではないでしょうか?

 

 

清貧にこだわる、

日々の振る舞いそのものが、
言葉の説得力を支えていたのだと思います。

 

 

 ~~~~~

 

 

むろん——

 

 

メザシの土光さんの、

清貧な生活へのこだわりは、

 

「変わり者」

 

と映る場合も多かったでしょう。

新聞で揶揄されたこともあったようです。

 

 

彼の経営思想について、

受け止め方は人それぞれだと思う。

 

 

でも私は――

 

 

額面通りに受け止めました。

 

 

たしかに、

小さな中小企業においてこそ、

 

 

従業員からの信頼

 

 

それを得るために、

絶対に必要なことだと思ったのです。

 

 

そして実際に――

 

 

課長時代から、

取締役を退任するまでの間、

従業員目線での生活を維持し続けました。

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

■贅沢は「文脈」で価値が決まる

 

 

では——
 

 

中小企業の経営者は、

一切、贅沢すべきではないのでしょうか?

 

 

むろん、

そうは思いません。

 

 

冒頭で触れた通り、

私は「腕時計」にだけは、

少しこだわりをもっています。

 

 

巧な部品のムーブメント――

 

匠の技が光る文字盤――

 

熟練工による手作業での組立――

 

 

小さな機械の中に、

詰め込まれた技術と美しさには、
ロマンを感じてしまいます(笑)

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

仕事で疲れたとき、
ふと左手首に目を落とすと――

 

 

ほんの少し、

踏ん張る力が湧いてくる。

 

 

私にとって腕時計は、

単なる装飾品ではなく、
気持ちをアゲてくれるツールです。

 

 

おそらくですが

 

 

重要なことは、
それが「何であるか」ではなく、

 

 

「どう持つか」にかかっている――

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

■贅沢は「文脈」で価値が決まる(続)

 

 

「単に高級ブランドを身につける」

 

 

そんな振る舞いは、

あまりスマートとはいえないでしょう。

 

 

往々にして、

 

「成金趣味」

 

と受け止められるのがせいぜいです。

 

 

だからこそ、

庶民にとっての贅沢品には、

 

 

必然性なかで、

嗜みとして手に入れ、

こだわりをもって愛用する

 

 

そんな成熟必要なのだと思う。

 

 

つまるところ――

 

 

大切な人からのプレゼントや、

何かを成し遂げた時のご褒美といった、

 

「文脈」

「ストーリー性」

 

が欠かせないのです。

 

 

その有無によって、

身につけた高級品の印象は、

まったく変わってしまうのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

■息子達と高級時計

 

 

この春、

長男の就職祝いに腕時計を贈りました。

 


私が長年愛用してきた、

機械式の「グランドセイコー」です。

 

 

もちろん、

事前にオーバーホールに出し、
新品同様の状態にしてから渡しました。

 

 

彼の職場は、

公的な研究機関であり、

単に高級時計を身につけていれば、

新人としては少し浮きそうな気がします。

 

 

でも――

 

 

「就職祝いに父の愛用品を引き継いだ」

 

 

そんな文脈があれば、

身分不相応とは思われないでしょう。

 

 

また彼は、

少し寂しがりな面があります。

 

 

だから、

家族の気配が残るような形で

自分が使ってきたものを渡したかった。

 

 

 ~~~~~

 

 

そして、

次男は来春から社会に出ます。

 

 

彼には、
ややカジュアルなデザインの、

新品の高級時計を贈るつもりです。

 

 

彼は会計士試験に合格しており、

ビッグ4某社への内定も決まってます。

所謂パートナー面接を経ての入社なのです。

 

 

おそらくは――

 

 

いずれ社会的地位もあがり、

それに応じた付き合いも始まると思う。

 

 

そうなったら、

もっと本格的な高級時計を、

彼自身の収入で選びなおす様な気がします。

 

 

その時、

私のプレゼントしたものは、

普段づかい用に落ちつくでしょう。

 

 

そんな使い分けも、

彼の人生を彩っていくような気がします。

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

■さいごに

 

 

結局のところ、

われわれのような庶民にとっては――

 

 

贅沢品や嗜好品とは、

価格だけではなく

意味で測られるべきもの

なのだと思います。

 

 

ただ単に、

高いものを身につけるだけでは、
成金趣味と紙一重です。

 

 

しかしそこに、

文脈ストーリー性があれば、
同じモノでもまったく違う輝きが出る。

 

 

 ~~~~~

 

 

そして、

中小企業の経営者にとっては、

 

ブランド品へのこだわりも、

 ・土光氏のような経営思想の実践も、

 

本質は同じではないでしょうか。

 

 

ただ

上っ面だけを「気に入り」、

安易に「飛びつく」のではなく、

文脈を持てるかどうかが重要です。

 

 

中小企業の経営者など、
しょせんは庶民の延長線にすぎません。

 

 

だからこそ——

 


背伸びではなく、

 

「文脈のある振る舞い」

 

を選びたいものだと思います。

 

 

むろん、

私自身だって、

その様にし続けるでしょう。

 

 

 

 

ここまで読んでいただき、

誠にありがとうございました!

 

 

そして今回も、

お疲れさまでした!

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
マネジメント/管理職/店長/ドラッカー/人材育成
リーダーシップ/経営者/福山市/商工会/ビジネス

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

こんにちは!
ふくドラ@中小企業診断士です。

 

 

のっけから――

 

 

少しオカルトめいた、

話題になって恐縮ですが(笑)

 

 

みなさんは、

言霊ってご存じでしょうか?

 

 

歴史作家 井沢元彦氏が、

著書で詳細に説明していますが、

 

「日本人に特有の感性」

 

だとも言われています。

 

 

古くは、

万葉の時代から――

 

 

縁起の悪い言葉避ける

 

 

この国には、

そんな「風習」が根付いています。

 

 

たとえば、

結婚式のスピーチでは、

 

「別れる」

「切れる」

 

などの忌み言葉を避け、

前向きな単語のみを使うのが普通です。
 

 

なぜでしょうか?

 

 

言葉にすると現実になる

 

 

日本人は、

心のどこかで、

そう信じているからです。

 

 

井沢氏は、

それこそが「言霊」であり、

社会文化的な特徴だと論じました。

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

■言葉と現実の混同

 

 

「そんな馬鹿な!」

 

 

と思うかもしれません(笑)

 

 

しかし、

井沢氏はこんなシーンを例にあげます。

皆さんにも似た感覚はないでしょうか?

 

 

・・――――――――――――

 

 

小学生たちが、

明日の遠足を楽しみにしています。

 

 

幸いなことに、

天気予報は「晴れ」です。

みな喜んでいます。

 

 

ひとりだけ、

天邪鬼な子どもがいて、

「明日はきっと雨が降る」

などと言ったとします。
 

 

そして翌日――

 

 

本当にが降って、

遠足は中止になってしまいました。

 

 

悔しい同級生たちは、

こんな風に彼を責めました。

 

 

「お前が変なことを言ったからだ!」

 

 

・・――――――――――――

 

 

むろん――

 

 

科学的に、

因果関係などありません(笑)

完全に「言いがかり」でしょう。


 

しかし、

この言い回しは、

妙に成立」してしまう

 

 

そして、

 

「あいつは厄病神だよな……」

 

そんな妙な感覚は、

卒業するまで漂いつづけたりする。

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

■①ネガティブな言葉を避ける

 

 

ことほど左様に――

 

 

日本文化では、

「言葉」「現実」を、

どこかで結びつけて捉えています。

 

 

博打好きが、

スルメを「あたりめ」と言い換えたり――

 

一部の地域では、

ナシを「ありの実」と呼んだり――

 

 

それらの風習も、

同じ文脈で説明できるでしょう。

 

 

ただの「言葉」を、

 

 

縁起でもない!」

 

 

などといって、

「現実」と混同させがちなのです。

 

 

 ~~~~~

 

 

では――

 

 

ネガティブな言葉が、

自分自身に向かうとどうなるか?

 

 

「自分はこれが苦手だ」

 

「君には無理でしょう」

 

 

そんな言葉を、

耳にしてしまうことで、
苦手意識は単なる感覚ではなく、

 

 

前提

 

 

に変わってしまいがちです。

 

 

いわゆる、

ピグマリオン効果というやつです。

 

 

そして――

 

 

日本固有の感覚である、

 

言霊の心理がそれを助長する

 

といえるでしょう。

 

 

 ~~~~~

 

 

「言葉にするとそれが現実になる」

 

 

日本人は、

そんな風な、

混同をしがちだからこそ――

 

 

ポジティブな言葉を、

意識的に多用するべきだと思います。

 

 

そうでなければ、

苦手を克服するハードルは、

不必要に高さを増すだけでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

②苦手だからこそ「向き合う」べき

 

 

次に、

苦手を克服するには、

どんな行動を心がけるべきでしょうか?

 

 

まずは、

思い込みで「食べず嫌い」をせず、

とりあえず接触することでしょう。

 

 

すこし、

個人的な体験談をします。

 

 

私は理学部の化学科出身です。

そこで専攻した物性化学の分野では、

いわゆる「熱力学」が必須です。

 

 

その勉強で、

最初につまずいたのが、

 

 

エントロピーentropy)

 

 

という概念についてでした。

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――

■エントロピーをどう克服するか?

 

 

エントロピーは、

しばしば「乱雑さ」と表現されますが、
それだけではどうにも腑に落ちません。

 

 

ちなみに、

似たような言葉で、

エンタルピーというのがあります。

 

 

こちらは「熱量」という意味です。

直感的にも理解しやすい(笑)

 

 

一方で、

エントロピーは――

 

 

・目に見えず、

 

・触れることもできず、

 

・感覚的な手がかりがない

 

 

こうした「概念」は、

どうしても苦手意識を生みやすいものです。

 

 

では、どうするか?

 

 

 ~~~~~

 

 

当時の教授が、

私にこんな助言をしてくれました。

 

 

「ふくドラ君は難しく考えすぎ!」

 

 

「エントロピーなんてねー、

 

100回言えばただのエントロピーだよ」

 

 

「・・・・・!!!」

 

 

大雑把なようでいて――

 

 

本質を突いている、

私にはそう思えました。

 

 

要するに、

「分からないから避ける」のではなく、
「まず使ってみろ」ということでしょう。

 

 

実際のところ、

概念が感覚的に理解できてなくても、
数式として扱うこと自体はできます。

 

 

そうやって、

ぎこちなく使い続けていくうちに、
ある瞬間、ふっと腑に落ちる気がしてくる。

 

 

少なくとも、

当初に感じた様な、

 

「得体の知れないもの」

 

では、徐々になくなってくる。

 

 

ここに、

一つの示唆があります。

 

 

苦手とは、

能力の問題である以前に、
 

 

接触回数の問題

 

 

そうである場合も、

けっして少なくないのでしょう。

 

 

「習うよりも慣れろ」

 

 

そんな「昭和スタイル」な姿勢も、

時として必要なのです。

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――

■③「好きではない」は苦手とは異なる

 

 

3つ目の視点に移ります。

 

 

人は誰しも、

得意不得意を持っています。

 

 

ドラッカー経営学に従えば、
 

強みに集中する」

 

それが成果をあげるための秘訣です。

 

 

これは、

極めて合理的で、

正しい行動原理だといえます。

 

 

苦手を、

無理に克服する努力より、
得意で成果を出す方が生産的でしょう。

 

 

しかし、

その一方で、

こう自らに問うてみるべきです。

 

 

今、避けていることが、

本当に「向いてない」といい切れるか

 

 

 ~~~~~

 

 

単に――

 

 

・何となく嫌な印象がある

・たまたま最初に失敗したから

・縁がなかったので良く分からない

 

 

そんな風な、

ふわりとした感覚だけで、
 

 

「自分には向いていない」

 

 

そう思いこんだだけではないか?

 

 

もしそうなら――

 


それは、

実際の能力ではなく、

思い込みによって固定された、

ただの「認識」です。

 

 

いうなれば、

ただの食べず嫌い

 

 

ないし、

そこから派生した、

苦手混同でしょう。

 

 

そして、

その「混同」が、

自らの行動にをはめてしまい、
結果、本当の苦手を作り上げてしまう。

 

 

ここには、

「避けるべき弱み」とは、

まったく別の問題があるのです。

 

 

思い込みで作られただけの苦手

 

 

それは

貴方のポテンシャルを、

大きく損なってしまうでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――

■まとめ

 

 

ここまでの議論をまとめます。

 

 

苦手を避けること自体は、

決して悪いことではありません。

 

 

しかし、

その前に一度だけ、

 

「立ち止まって考えてみる」

 

そんな努力も必要ではないでしょうか?

 

 

それは本当に、

「避けるべきもの」なのか?

 

 

それとも――

 

 

①ただネガティブな言葉に縛られてないか?

接触回数が足りないだけではないか?

嫌いと苦手を混同してないか?

 

 

もしそうであれば、
やるべきことは案外シンプルでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――

■さいごに

 

 

そもそも私たちは――

 


目に見えている、

現実そのものだけでなく、
 

 

「どう解釈したか?」

 

 

そんな認識の中に生きています。

 

 

本稿の締めとして――

 

 

三島由紀夫の「豊穣の海」に出てくる、

法相宗の思想についての歌をご紹介します。

 

 

 ――――――――

 

手を打てば
 

鯉は餌と聞き
 

鳥は逃げ
 

女中は茶を持つ
 

猿沢の池

 

――――――――

 

 

いかがでしょうか?(笑)

 

 

受け取る側が、

「どう認識するか?」で、

それぞれの現実も変わります。

 

 

苦手意識だって、

決してその例外ではないでしょう。

 

 

だとすれば――

 

 

「苦手」とは、
対象そのものの問題ではなく、

自分の解釈の結果なのかもしれない。

 

 

ならば、

克服すべきは「こちら」です。

 

 

そして――

 

 

たとえ少々、

取っつきにくいことであっても、

 

 

「100回言えばただのエントロピー」

 

 

案外、

それくらいの感覚で、

なんとかなるものなのですから(笑)

 

 

 

 

ここまで読んでいただき、

誠にありがとうございました!

 

 

そして今回も、

お疲れさまでした!

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
マネジメント/管理職/店長/ドラッカー/人材育成
リーダーシップ/経営者/福山市/商工会/ビジネス

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

こんにちは!
ふくドラ@中小企業診断士です。

 

 

みなさんは、

ジャーゴン(jargon)

という言葉をご存知でしょうか?

 

 

ジャーゴンとは、

特定の業界などでのみ通用する、

専門用語や隠語を意味します。
 

 

普通に暮らしていれば、

およそ耳にすることのない、

 

「マニアックな言葉」

 

を表していると言えるでしょう(笑)

 

 

 ~~~~~

 

 

ここで――

 

 

少し、妙な話になります。

 

 

そもそも、

ジャーゴンという言葉も、

初耳の方が多いのではないでしょうか?

 

 

少なくとも、

私自身はそうでした(笑)

 

 

いうなれば、

 

 

ジャーゴンは、

それ自体ジャーゴン

 

 

そんな笑い話にしか、

ならないのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

■専門用語のメリット/デメリット

 

 

ジャーゴンに限らず――

 

 

カタカナ用語や、

専門用語といった類の単語は、

とにかく「分かりにくい」ものです。

 

 

もちろん、

専門用語には、

重要な役割があります。

 


・複雑な定義

・言い換えが難しい概念

 

 

それらを、

ひとこと表現できることです。

 

 

専門用語があるからこそ――

 

 

詳しい者同士の間では、

やりとりも効率化すると言えるでしょう。

 

 

 ~~~~~

 

 

そんな理由もあって

 

 

とかく、

専門家というものは、

専門用語多用しがちです。
 

 

それは決して、

悪いことではありません。

むしろ、プロとしては自然なこと。

 

 

しかし、

その一方で、

デメリットだってあるでしょう。

 

 

たとえば、

 

 

①他からは理解しづらい人になる

②組織と外部に小さな壁を作ってしまう

 

 

そういった類の副作用も、

決して否定はできないはずです。

 

 


 

 

 

 

――――――――――――――

■ハッカー?それともクラッカー?

 

 

ここで、私自身の、

中小企業での経験をお話します。

 

 

かつて私は、

IT商材の販売部門の、

責任者を兼任担当していました。
 

 

そこで、

UTMという機器の販売をめぐり、

ちょっとしたもめごとが起きたのです。

 

 

まず先に、

「UTM」を簡単に説明すると――

 

 

ファイアウォールやウイルス対策を統合した

中小企業向けのセキュリティ機器です。

(Unified Threat Management)

 

 

 ~~~~〜

 

 

あるとき、

営業チームが作ったチラシに、

こんなキャッチコピーが書かれていました。

 

 

ハッカー対策もこれで安心!

 

 

マーケティングが専門の私から見ても、

かなり訴求力が高いデザインでした。

 

 

しかし――

 

 

このキャッチコピーに、

技術チーム噛みついたのです。

 

 

彼らいわく、

 

 

「本来、ハッカーという呼称は、

高度なIT知識を持つ人を示します」

 


悪意を持って侵入する技術者は、

クラッカーと呼ぶのが正しい!

 

 

だから、

チラシも「作り直すべき」と、

彼らは、強くそう主張したのです。

 

 

営業チームのメンバーは、

目を白黒させ戸惑ってしまいました(笑)

 

 

 ~~~~~

 

 

技術チームの言い分は――

 

 

専門家としては間違っていません。
むしろ定義としては正確なのでしょう。

 

 

なんなれば、

チラシの文言から、

技術者(ハッカー)である自身への、

侮辱的ニュアンスを感じたのかもしれない。

 

 

ただ思うに――

 

 

普通の人の、

常識感覚からすれば、

 

 

ハッカー=不正アクセスをする悪い奴

 

 

そんな認識が一般的でしょう。

 

 

だからチラシ上は、

「ハッカー」という言葉の方が、

はるかに販売に繋がりやすいはずです。
 

 

このとき私は、

専門家と、世間の間にある微妙なズレを、

あらためて実感したものでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

■言葉は生き物である

 

 

思想家 西部邁(にしべすすむ)の講演で、

興味深い話を聞いたことがあります。

 

 

現代では、

Prescriptionという英単語は、

普通は処方箋を意味します。
 

 

しかし、

ラテン語の語源をたどれば、

 

 

Preは「あらかじめ」を意味する接頭辞

Scripitionは「書かれたもの」の接尾辞

 

 

つまりは、

「前もって定めたもの」という意味になる。

 

 

ここから転じて、

中世哲学の文脈では、

 

伝統」「常識

 

に近いニュアンスになるそうです。

 

 

彼はニーチェの研究者ですから、

感覚としてこちらに近かったのでしょう。

 

 

 ~~~~~

 

 

だからといって――

 

 

現代において、

病院薬局に駆け込んで、

 

 

処方箋と訳すのは誤りだ!

 

 

などと強弁しても、

ただ滑稽なだけでしょう(笑)

 

 

西部の主張に沿えば、

そもそも「言葉」とは、

社会の中で「生きているもの」です。

 


語源や定義は大切ですが――

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーー

もともと専門用語であっても、

人々の常識感覚に揉まれていき、

少しずつ姿を変えるものである

 ーーーーーーーーーーーーーー

 

 

いまこの瞬間においてすら、

変化は「進行中」であることを、

忘れてはならないのです。

 

 

 ~~~~~

 

 

くだんのIT技術者たちが、

ハッカーの表現に噛みついたのは、

自らの「専門性への誇り」が故でしょう。

 

 

高度な技術用語なら、

なおさら「こだわり」もあるでしょう。

 

 

しかし、

そのままでは――

 

 

世間の人々とは、

上手くかみ合わないままです。

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

■専門家は現実に歩み寄れるか?

 

 

この問題を、

企業経営の文脈で鋭く指摘したのが、
経営学者ピーター・ドラッカーでした。

 

 

彼は、

専門家が貢献をするためには――

 

 

現実に歩み寄る

 

 

そのための、

具体的な行動が必要だと指摘しました。

 

 

専門知識や技術は、

それ自体は「素材」にしか過ぎない。
 

 

顧客組織にとっての、

価値ある成果に繋げない限り、

社会を豊かにする役には立ちません

 

 

 ~~~~~

 

 

そして、

成果に繋げるためには、

 

 

関係のマネジメント

 

 

組織には、

その視点が欠かせないと、

ドラッカーは強調しました。

 

 

専門能力を、

成果につなげるには――

 

 

他の部門や顧客と、

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーー

コミュニケーショを取り、

②互いの言葉をすり合わせねばならない

   ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

そうでなければ、

どれほど高度な専門知識でも、

結局は「意味あるカタチ」になれぬまま、

宝の持ち腐れになるだけです。

 

 

むろん、

先に歩み寄るべきは、

より「詳しい者」の方です。

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

■ジャーゴンと組織の成熟

 

 

つまるところ――

 

 

ジャーゴンや、

専門用語への過度なこだわりは、

 

「部門の閉鎖性」

 

そのバロメーターでもあるのでしょう。

 

 

もちろん、

専門性そのものは重要です。

 


しかし、

それが外部との対話を拒む原因になれば、

組織にはむしろ害悪になりかねません。

 

 

特に、

経営資源の少ない企業では、

専門部署が孤立するのは致命的です。

 


つまり、

地方の中小企業ほど――

 

 

専門知識を組織の成果に結びつける

 

 

その努力を怠れば、

コストだけが不相応に膨らみ、

事業に必要な収益自体が成り立たなくなる。

 

 

 ~~~~~

 

 

では、

どうするべきか?

 

 

専門職・技術者に対して、

現場との接点を持たせることです。

 

 

営業会議への参加

・顧客への同行営業

・工場などの現場視察

・現場職員へのインタビュー

 

 

そういったアクションを、

定例行事として義務化するのです。

 

 

そして、

ぎこちなくても良いので、

コミュニケーションを通じ、

 

 

「専門家が少しだけ言葉をかみ砕く」
 

 

その逆に、

現場職員の側も、

 

 

「専門家の視点を理解しようとする」

 

 

そんな、

小さな歩み寄りの積み重ねが、

組織を少しずつ強くしていくでしょう。

 

 

そうすることで、

顧客にとってのバリューは形になり、

具体的な「成果」もついてくるのです。

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

■さいごに

 

 

ジャーゴンは、

専門家にとっての誇りでもあります。
 

 

長年の学びと、

経験の中で身についた、

一種の勲章のようなものだからです。

 

 

しかし同時に、

それは組織の中に、

見えない壁を作ることもあります。

 

 

そして、

専門家本人のポテンシャルを、

かえって狭めかねないリスクになる。

 

 

 ~~~~~

 

 

専門用語への適度なこだわりと、

分かりやすい言葉とのバランス。
 

 

そのあたりに、

専門家としての、

成熟があるのかもしれません。

 

 

だからこそ、

最後にもう一度――

 

 

冒頭のジョークを、

あえて繰り返しておきます。

 

 

ジャーゴンとは、

それ自体ジャーゴン

 

 

これこそが――

 

 

専門家が、

時おり思い出すべき、
ささやかな戒めになると思うからです。

 

 

 

 

最後まで読んでいただき、

誠にありがとうございました!

 

 

そして今回も、

お疲れさまでした!

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
マネジメント/管理職/店長/ドラッカー/人材育成
リーダーシップ/経営者/福山市/商工会/ビジネス

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

こんにちは!

ふくドラ@中小企業診断士です。

 

 

この春に、

引越しをした友人から、

ちょっとした愚痴を聞きました。

 

 

彼は、

ご近所への挨拶回り用に、

手土産洗剤を購入したそうです。

 

 

その際、

高齢の母親が、

 

「駅前老舗百貨店

 

そこでの購入に、

強くこだわったとのことでした。

 

 

その言い分が、

何だったかというと――

 

 

「百貨店の包装紙でないと恥ずかしい

 

「ご近所さんにも失礼にあたる

 

 

 ~~~~~

 

 

彼は最終的に――

 

 

母親の意向に従ったそうです。

しかし、なんだか不満げでした。

 

 

「だってホムセンが近くにあるんだよ?」

 

「商品だって同じものだし」

 

「値段もそっちの方が安いのに…」

 

 

合理性で言えば、

まったく彼の「言う通り」でしょう。

 

 

ちなみに、

私もどちらかといえば、

そっち側の価値観の人間です(笑)

 

 

たぶん若い頃に、

貧乏学生→就職氷河期を経験したせいです。

 

 

多少なりとも、

金銭的に余裕ができた今でも、

 

 

・割引!

・コスパ!

・半額シール!

 

 

そういったキーワードには弱い(笑)

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

■商品には「3つの層」がある

 

 

しかしながら――

 

 

商売する立場で考えると、

母親側の感覚も、また正しいのです。

 

 

ここが、

受け入れられないと、

小売業を経営していくことは難しい。

 

 

必要なのは、

 

商品

 

についての概念です。

 

 

それは、

単なる「物体」を、

指しているわけではありません。

 

 

 ~~~~~

 

 

マーケティング理論では、

 

商品3つの層で成り立つ

 

と考えるのが基本です。

 

 

すなわち、

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

①  コア機能

・・(得られる便益・性能・量など)

 

②  形態

・・(ブランド・デザイン・包装など)

 

③  付随サービス

・・(保証・アフターサービスなど)

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

いわゆる「商品」という存在は、

この3層の掛け合わせで成立している。

 

 

顧客の側も、

その価値総合に対し対価を払う。

 

 

 ~~~~~

 

 

たとえば、

洗剤の中身そのものは、

あくまで「コア機能」の一層にすぎません。

 

 

その一方で、

百貨店の包装紙は、

「形態」の価値をもつでしょう。

贈り物では、ここの比重は高くなる。

 

 

友人や私の様に、

コスパ思考の人間ほど、

つい「コア機能」を重視しがちです。

 

 

「中身が同じなら安いほうがいい」と。

 

 

むろん、

その価値尺度だって、

決して間違ってはいません。

 

 

しかし、

重視しすぎれば視野は狭くなる。

 

 

■顧客の価値観さまざまで、

どの3層が大切かもそれぞれ

 

 

つまるところ、

百貨店の包装紙が――

 

 

銭(ゼニ)に見える!」

 

 

そうなって初めて、

商売人は一人前なのです。

 

 

いわゆる、

顧客志向とは、

 

自分の価値観をいったん括弧に入れる」

 

そんな営みでもあると言えるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

■「おまけ合戦」でのモヤモヤ

 

 

前職の中小企業で、

若手社員から不満が出たことがあります。

 

 

ある商品の販売促進で、

ライバル店との「おまけ合戦」が、

激しくなったことが原因でした。

 

 

市場シェアの高さ」

 

 

それが鍵を握る商品特性だったため、

競争がどんどんエスカレートしたのです。


 

むろん――

 

 

当時の店頭では、

「おまけ」以外にも、

さまざまな販売促進に努力しました。

 

 

スタッフに格安で提供し、

実体験で商品の良さを学ばせたり――

 

 

お客様に対して、

商品の良さを説明するための、

接客トークの訓練を実施したり――

 

 

それでもなお

 

 

単純に、

おまけを豪華にする度に、

衝動買いで売上が伸びたのです。

 

 

 ~~~~~

 

 

私に対して、

ある若手スタッフが、

 

 

商売としておかしい

 

 

すこし不満げにそう言いました。

 

 

言いたいことは――

 

 

とてもよく分かります。

道徳的に引っかかるのは当然です。

 

 

では、

彼女の感じた、

モヤモヤの正体は何でしょうか?

 

 

おそらくは、

 

自分ならそんな買い方はしない

 

そんな、

いち消費者としての主観でしょう。

 

 

しかし――

 

 

売り手個人の消費者感覚を、

顧客志向と混同するのは危険です。

 

 

顧客志向は、

あくまで顧客の価値観から始まるもの。

 

 

豪華な「おまけ」に惹かれ、

喜んで買った方にしてみれば――

 

 

いち社員の、

個人的な道徳観など、

 

「余計なお世話!」

 

と怒りを買うものかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

■「タバコ販売」でのモヤモヤ

 

 

自分の「消費者感覚」だけに限らず――

 

 

商売には、

道徳的な価値観と合わない、

モヤモヤ感がつきものです。

 

 

私は、

彼女への指導に際して、

 

「コンビニのタバコ販売

 

を、ひとつの例に話をしました。

 

 

健康だけを考えれば、

タバコには明らかにがあります。

 

 

だのに、

それを販売することは、

お店として正しいことでしょうか

 

 

 ~~~~~

 

 

むろん現実には、

多くのコンビニでタバコを扱っている。

 

 

その理由は単純で、

ニーズあるからでしょう。

 

 

顧客が、

コンビニに求めているのは、

 

 

品揃えが良い

近くてすぐ行ける

24時間やっている――

 

 

そういった「便利さ」そのものです。

(これを「利便性消費」と呼びます)

 

 

便利さへのニーズが、

健康的な店であるよりも、

大きいからこそ商売がなりたっている。

 

 

もしも、

売り手個人の道徳観から、

タバコを棚から外せば何が起きるか?

 

 

顧客は不便な思いをして、

別の店に移動し、そこで買うだけでしょう。

 

 

 ~~~~~

 

 

・自分の「道徳的」な価値観の重視

・それで「不便な店」と評価されること

 

 

それらの相克は、

どちらが正しいかは断定できません。

 

 

ただ、

最終的に店に何を求めるかは、

顧客の判断にゆだねるしかない

 

 

それもまた、

ひとつの「現実」なのです。

 

 

問われるべきは、

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーー

「何が正しいか」ではなく、

「誰の価値観」優先するか?

 ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

そういった取捨選択の問題なのです。

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

■「いち消費者」でもある売り手

 

 

ここまでの議論をまとめます。

 

 

売り手の主観と、

顧客側のさまざまな価値観――

 

 

この食い違いが、

モヤモヤの正体でしょう。

 

 

売り手自身も「消費者の一人」です。

そちら側の「価値観」も持っているため、

販売の現場には常にモヤモヤが付きまとう。

 

 

顧客志向とは何か?

 

 

むろん、

客の意向を尊重するあまり、

自分の価値観を捨てることではありません。

 

 

むしろ、

自身の経験から得た「消費者感覚」や、

倫理的・道徳的な「正しさ」は、

それ自体も大切にするべきです。

 

 

商売としておかしいと思う

 

 

くだんの若手社員のように、

そう言える良識は全ての土台であり、

それが無い人は何をやってもダメでしょう。

 

 

けれど、

それと同時に、

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーー

自分価値観囚われない

 ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

これが、

プロフェッショナルになるための、

最低条件でもあるのです。

 

 

百貨店の包装紙も、

おまけ合戦も、タバコ販売も――

 

 

これらの「モヤモヤ感」は、

 

「売り手の主観と顧客の価値観の衝突」

 

という、同じ構図の話なのです。

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

■さいごに

 

 

私自身は、

いち消費者としては、

 

 

・百貨店の包装紙に価値は感じないし、

・タバコだって吸いません。

・衝動買いも好きではありません。

 

 

それでも――

 

 

商売人としての自分は、

それを「どう選ぶか」において、

 

「顧客の価値観」

 

それに委ねざるを得ないと知っている。

 

 

経営者がなすべきことは、

さまざまな価値観を尊重した上で、

適切な「選択肢」を提供し続けることです。

 

 

そして、

相手の価値観を理解しようとする、

誠実な姿勢の中にこそ、

 

 

・販売員としての「伸びしろ」と、

・企業にとっての「ビジネスチャンス

 

 

つまり、

ポテンシャルが、

眠っているともいえるでしょう。

 

 

 ~~~~~

 

 

ドラッカーが指摘した通り、

「自分と異なる結論」に達した相手を、

「阿呆扱い」してはならないのです。

 

 

彼らは、

自分には見えない何かを、

見ているに違いないと考えるべきです。

 

 

正解は簡単ではない――

 

 

この少しモヤモヤした結論のまま、

本稿を閉じたいと思います。

 

 

 

最後までおつきあいいただき、

誠にありがとうございました!

 

 

そして今回も、

お疲れさまでした!

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
マネジメント/管理職/店長/ドラッカー/人材育成
リーダーシップ/経営者/福山市/商工会/ビジネス

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

こんにちは!

ふくドラ@中小企業診断士です。

 

 

4月といえば、

入社式の季節ですね。


真新しいスーツに身を包み、
まだ硬さの抜けない表情の新入社員たち。

 

 

彼らは、

将来への希望と共に、

少しの不安を胸に抱きながら、
同期の仲間たちと式に臨みます。


この日、彼らは、
会社という共同体に加わります。


そして、
経営者や上司は、

彼らに対して訓示を述べるでしょう。


 ~~~~~

 


私が関わってきた、
サービス業・小売業では、

「顧客第一主義」

そういった心構えを、

社員に求める経営者が多くいます。


だけど――

 

 

私はこうも思うのです。


入社式において、
真に問われているのは、
彼らがどんな心構えで働くかではなく、
 

 

むしろ、

経営者の側が、

 

 

どんな経営をするか?

 

 

その再確認ではないだろうかと。






 

――――――――――――――

■愛着があってこそ貢献したくなる



どんな組織に所属するにしろ――


人間は、
そこに愛着をいだくほど、
 

 

自分も貢献したい!

 


自然にそう思い、

頑張ろうとするものでしょう。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー
 共同体への「帰属意識は、
 良い仕事をするための条件である
   ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

このことは、

バーナードの「組織の3要素」等でも、

明確に指摘されていることです。

(共通目的・貢献意欲・コミュニケーション)

 


ではそもそも、
共同体への愛着自体は、
どのように育まれるのでしょうか?


この点を、

少し掘り下げて、

論じていきたいと思います。






 

――――――――――――――

■日本ファーストとアダム・スミス



このところ、

政治の世界では、


日本ファースト!」

 

そんなフレーズを、

耳にすることが増えました。


この言葉に、
変に過敏に反応する人もいれば、
生活への不安から強く支持する人もいます。


だが、

その善悪の前に、
なぜそんな言葉が生まれるのでしょうか?


 ~~~~~


有名な「神の見えざる手」で知られる、
経済学者アダム・スミスに答えがあります。


彼への高い評価は、

市場原理の研究にむけられがちです。

 

 

でも、

その本質を辿れば、

 

「人間の道徳感情」

 

を探究した思想家でもありました。


アダム・スミスの主張の中に、

以下のような指摘があります。

 


 ーーーーーーーーーーーーーーーー

自分家族生命・財産が、


所属する共同体繁栄に依存する以上、
 

そこに愛着を抱くのは自然感情だ。

 ーーーーーーーーーーーーーーーー


ここに――

 

 

共同体意識の、

心理的な源泉があります。



つまり、
生命・財産に直結しているからこそ、
共同体への愛着にも順序が生じる。


「自分自身→家族→友人→国家→人類全体」


そういった遠近感に沿って、

安全を実感できる共同体を優先する
 

 

そして、
守ってくれる共同体に、

②自ら責任を担おうとする


いうなれば、

生存戦略上の必然的な帰結なのです。






 

――――――――――――――

■理念と「安心」のすれ違い

 

アダム・スミスの理論にしたがえば――


「〇〇ファースト!」

 

 

そんなフレーズも、
理解できないことではないでしょう。


おそらく、
それを主張する人々には、
現状における多文化共生社会等の推進が、


・なんだか「一方的」に思える


・少し「急進的」過ぎる
 

・すでに「実害」を感じる人もいる


つまり――

 

 

自分安全脅かされている

 

 

そう映っている。

 

たとえ、
正しい理念だとしても、

直面する恐怖別の問題です。

 


脅かされている側に、

防御本能が起きるのは必然でしょう。
 

 

そして、

守ってくれそうな共同体を、

無意識に「ファースト」としてしまう。

 

 

 ~~~~~



では――

どうするべきか?

 

 

理念の重視であれ、
近しい共同体の優先であれ、

 

 

相手への想像力


それを大切する行動が、

双方に必要となるでしょう。
 

 

たとえば、

多文化共生を目指す政策であれば、

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーー

新参者の「暮らし向き」だけでなく、

先住者安全・繁栄も高める

 ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

そんな「進め方」でなければならない。

 

 

短絡的に、

「差別だ!」とレッテルを貼ったり、
「拒絶ありき」に思える主張をしても、

生まれるものは何もないのです。

 

 





 

――――――――――――――

■会社もまた「共同体」である


本題に戻ります。


国家においても、

中小企業においても、
共同体が果たすべき役割は、



生活安心繁栄


その担保だと言えるでしょう。



会社の側が、

もしそれを失えば、
理念も忠誠も、機能するわけがありません。
 

 

安心すら、

与えてくれない会社で、

 

「頑張って貢献しよう!」

 

そんな風に、

殊勝に考える社員はいないのです。


 ~~~~~



あえて、同義反復します。

 


会社「共同体」です。

その原則を忘れてはなりません。

 


社員は、

単に「労働力の提供」だけではなく、
彼らの人生生活を預けている


・給与
・社会的信用
・キャリア
・家族の将来、等

 

それらへの期待を含めて、
会社という共同体に参画している。


だからこそ――

 


入社式という入口は、

 


あなたの生活成長を、

この共同体で引き受けます
 

 

そんな宣言の場であるべきだと思う。
 

 

そうであるからこそ、

新入社員側も本気で頑張れる。

 


 ~~~~~



社員に対して――

 

顧客ファースト!」

 

を、心構えとして求めても良いでしょう。
 

 

だけど同時に、

経営者の側こそが――

 

社員ファースト!

 

を、方針として表明すべきなのです。

 

 

彼らのポテンシャルを、

最大限に引き出すためには、

安心の提供は「前提条件」だからです。

 





 

――――――――――――――

■さいごに



本稿は、

そろそろ結びとなります。



社長は、

入社式に際して、

・社会人としての心得
・仕事のやりがい

そういった「訓を垂れがち」です。


しかし、
ここまで縷々述べた通り――


むしろ、
そんな社長の側こそが、
入社式を奇貨として謙虚に学ぶべきです。



未来ある若者たちが、
社に愛着を抱き、仕事に励んでくれるか?

 

 

それは、


「ここは自分を託せる共同体か?」

 

その確信にかかっています。

だから彼らを「安心」させるべきです。



 〜〜〜〜〜


そしてなにより――

 


せっかく「年に一度」、
若人の新鮮な「気」に触れる機会です。


彼らひとりひとりの、

真剣な表情にしっかり向き合いながら、


社員を大切にする経営ができてるか?


経営者自身が、
思いを致す機会にすべきです。





最後まで読んでいただき、
誠に有難うございました!


そして今回も、
お疲れさまでした!

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

マネジメント/管理職/店長/ドラッカー/人材育成

リーダーシップ/経営者/福山市/商工会/ビジネス

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

こんにちは!
ふくドラ@中小企業診断士です。

 

 

私事となりますが――

 

 

明日は、

長男卒業式です。

 

 

彼もいよいよ4月から、

社会人として働くことになる。

 

 

私も式に参加するため、

朝イチの新幹線で上京の予定です。

 

 

そんな事情もあり、
本稿は経営理論から少し離れて――

 

 

子育て中の方々にむけた、

一筆啓上!とさせていただきます。

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

■子供に何を教えるべきか?

 

 

過去回でも触れた通り、
私には二人の息子がいます。

 

 

まだ幼少の頃から、

 

自分より頭の出来が良い

 

そう確信できる子どもたちでした。

 

 

なので、

生来、頭が鈍めの私には――

 

 

教育できるのかな

 

 

そんなプレッシャーが、
ずっと付きまとい続けたのです。

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

■月イチ登山での体験学習

 

 

自分なりに考えて――

 

 

教育には、

いろいろ工夫をしてきました。

 

 

なかでも、

月に一度のペースで、
登山に連れ出したのが正解でした。

 

 

まだ暗い早朝、

息子たちを車に乗せて、
コンビニでおにぎりを買って山に走る――

 

 

ガチ勢には及ばないものの、

近所の里山から3000m級まで――

 

 

彼らが高校を卒業する頃には、

100峰超山頂に立つことができました。

 

 

 ~~~~~

 

 

登山には、

多くの「学び」があります。

 

 

しかもその多くは、

体験学習といえるものです。

 

 

たとえば、

山ではどんなに辛くとも、

自分の二本の脚で登り切るしかありません

 


お金の力などで、

ショートカットはできない。

 

 

チートな手法や、

ごまかしが通じない世界なので――

 

 

・自らの決断と行動

・それが生みだす成功と失敗

・周りで起こるさまざまな事象

 

 

その全てが、

現実の結果に直結します。

 

 

つまり、

リアル学びやすいのです。

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

■計画・準備から学べること

 

 

まずはじめに、

リアルな学びを得るのは、

 

 

登山計画準備作業からです。

 

 

ルートの難易度や、

気温・天候に合わせて、
食料の量装備の選択は変わります。

 

 

装備を充実させれば安心感は増します。
代わりにザックは重くなり負担は増える。

 

 

だからこそ、

さまざまな要因を勘案し、

バランスする意思決定が求められます。

 

 

もしも、

判断を間違えれば――

 

 

その「報い」は、

自分ダイレクトに降りかかる

 

 

そして、

何が起こったとしても、

今ある装備で対処するしかありません。

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

■山行中は冷静・柔軟な判断力

 

 

そして、

山行中においては、

 

冷静かつ柔軟判断が必要です。

 

 

たとえば、

歩くペース配分を誤れば、

途中で誰かがバテてしまいます。

 

 

そうなっても、

狭い登山道では、

どこでも好きに休める訳ではありません。

 

 

さらには――

 

 

ハイキング程度の、

難易度が低い山だったとしても、

 

 

体調不良の可能性はあるし、

天候の急変のリスクは常に残ります。

道に迷うことだって起こり得る。

 

 

そして、

ピンチに陥った時ほど、

平常心を保つことが重要になります。

 

 

時として、

山頂が目前であっても、

引き返す決断が必要なことすらある。

 

 

自らの意思決定が、

遭難に繋がる可能性があるからです。

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

■登頂による自己肯定感

 

 

そうやって苦労しながら――

 

 

山頂に到達したときの達成感

 

 

それは、

確かな自己肯定感を、

我々にもたらしてくれます。

 

 

登頂できた!という事実は、

もはや一生覆ることはありません。

 

 

なにより、

下界の風景を眺めながら、

食べるおにぎりの味は格別なものです。

 

 

街なかの生活では、

絶対に味わうことのできない、

生きている実感がそこにあります。

 

 

 ~~~~~

 

 

ことほど左様に――

 

 

登山は、

子どもたちにとっても、
 

自己肯定感

・自らの判断がもつ意味

・大いなる自然への畏怖心

 

それらを実感できる機会です。

 

 

我が家では、

月イチのペースで粛々と、

登山での体験学習を繰り返しました。

 

 

息子たちに対して、

山が教えてくれたことは多いでしょう。

 

 

そして振り返れば、
学んでいたのは彼らだけでは、

なかった様にも思えます。

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

■「知覚」の教育が重要

 

 

確かに、

知識理論を教えることは大切です。

 

 

しかし、

いずれ親というものは、
教える側から降りる日がやってくる。

 

 

特に、

私のような不勉強な親の場合、
せいぜい小中学校までの勉強が関の山(笑)

 

 

大学受験が始まるころには、
学校、塾、予備校――

そして書物やネットに任せるしかなくなる。

 

 

少なくとも、

私にはそれが「現実」でした。

 

 

では親として――

何も教育すべきことはないのでしょうか?

 

 

それは愚問でしょう。

 

 

体験を通じ、知覚させる

 

 

まさに、

そこにこそ、
しかできない役割が残っています

 

 

 ~~~~~

 

 

経営学者ピーター・ドラッカーは、

 

 

・「頭での理解
・「知覚(perception)

 

 

その二つは、

まったく別物であると述べました。

 

 

心底から「腹落ち」し、

確信信念として根差したこと――

 

 

危機に際して、

おのれを正しく導いてくれるのは、

そういった知覚だけと言えるでしょう。

 

 

頭での「理解」にとどまったものは、

いざ当事者になれば、簡単に揺らぎます。

 

 

単なる理解では弱いのです。

 

 

 

ソクラテスが指摘した通り――

 

 

・自らが理解したことを、

・自らの行動「直ちに一致できない人

 

 

そこに留まれば、

 

分かっていないのと一緒」

 

そう評価されても仕方がないのです。

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

■「知覚」の教育をどう進めるか

 

 

では「知覚」は、

どう育んでいくべきでしょうか?

 

 

体験学習の積み重ね

 

 

それが、

最も確実な方法でしょう。
 

 

むろん、

やり方は人それぞれです。

 

 

我が家にとっては、

それが「月イチ登山」だったに過ぎません。

 

 

どんな親であれ、
どんな先輩・上司であれ――

 

 

体験を通じて、

相手に学ばせる機会を、
どう習慣化し、どう継続するか?

 

 

そのための、

 

 ーーーーーーーー

①環境整備

②仕組みづくり
 ーーーーーーーー

 

それこそが、

人材育成で「なすべきこと」だと思う。

 

 

あとは、

彼らが得た「知覚」を、

ちゃんと見守り承認してやり、

 

 

確信を深める手助けをするだけです。

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

■さいごに

 

 

本稿は、

そろそろ終わりとなります。

 

 

卒業式の翌朝からは、
就職先への引っ越しの手伝いです(笑)

私も東京に滞在できる日は限られています。

 

 

長男も社会人になれば、

帰省の機会はグッと減るでしょう。

 

 

なので、

引っ越し作業に追われつつも、

語り合う時間が取れれば良いのですが。
 

 

でも案外、

バタバタと走り切る方が、
気持ちも紛れるのかもしれません。

 

 

私は地元に戻り、
彼は六年間住み慣れた街を去る。

そして、新しい生活を始めます。

 

 

もはや親としても、

体験学習に手を添えることもなく、

少し、寂しい思いは否定できません。

 

 

その一方で――

 

 

大人になった子供たちとの、
新しい付き合い方も始まるのです。

 

 

それを、

夫婦で楽しむことが、

なにより必要な心構えなのでしょう。

 

 

子育てを通じ、

「体験学習」しているのは、

われわれ親の側でもあるのだと思う。

 

 

 ~~~~~

 

 

ここまでの学びを踏み台に、
長男が「さらなる高み」へと、

歩み続けてくれることを願うばかりです。

 

 

そんな彼との時間を思い返しつつ――

 


まだ小学生のころ、
一緒に山頂を目指しながら、

即興で詠んだ一句を記しておきます。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

息を切り はるか見上げた 前山を
 

いまは眼下に いざ星ヶ山――

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

おそまつ様でした!(笑)

 

 

でも、

最後までお読みいただき、
ありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

マネジメント/管理職/店長/ドラッカー/人材育成

リーダーシップ/経営者/福山市/商工会/ビジネス

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

こんにちは!
ふくドラ@中小企業診断士です。

 

 

ひと昔前まで、

サービス業の世界では、
 

 

お客様は神様です!

 

 

そんなスローガンが、 
常識として使われてましたよね。

 

 

むろん、

その精神じたいを、

否定するつもりはありません。

 

 

問題なのは、

それが「行き過ぎたときでしょう。

 

 

たとえば、

スタッフに土下座を強要する、

悪質なクレーマーの様に、

 

 

理不尽な要求


・人格を踏みにじる言動

 

恐怖を感じる態度

 

 

そういった行為を、

会社側が受け入れるとどうなるか?

 


もはや、

サービス精神を通り越して、
カスタマーハラスメントの容認です。

 

 

今の時代において、

とても賛同を得られるものではありません。

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

■「心構え」と「絶対ルール」の混同

 

 

本来なら、

お客様は神様!とは、

 

「接客上の心構え

 

にすぎない言葉です。

 

 

にも関わらず――

 

 

サービス業では、

会社の側も、顧客の側すらも、

 

「守るべき絶対ルール
 

との混同をしがちでした。

 

 

だからこそ、

カスハラも助長されたのでしょう。
 

 

シンプルな言葉がもつ弾力性

 

 

それがもたらす弊害と言えます。

 

 

むろん――

 

 

あてはまるのは、

サービス業だけに限りません。

 

 

単純でもっともな正論

 

 

これこそが、

中小企業全体にとって、

もっと丁寧に扱うべきものなのです。

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

■「シンプルな言葉」の独り歩き

 

 

どんな業種であれ――

 

 

方針行動規範は、
シンプルな言葉で表現されがちです。

 

 

それ自体は、

合理的な判断でしょう。
 

 

部下はくどくどした説明よりも、
分かりやすいフレーズを記憶するからです。

 

 

ただしそこには、

構造的な危うさが潜んでいます。

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

上司の言葉は、
シンプル明確なほど、

力強さを自然に宿します。

 

 

その結果、

部下の側は、

命令として受け止めやすい

 

 

いってみれば――

 

 

 ――――――――――――――――

◼︎上司は「心構え」のつもりでも、

◼︎部下は「絶対ルール」と認識する。

 ――――――――――――――――

 

 

本来は、

状況に応じて解釈する、

判断の指針にしかすぎないものが、

 

ひとり歩きをしてしまうのです。

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

■「命は平等である」という理念

 

 

ここで――

 

 

シンプルな言葉がもつ、

二面性を再確認しておきましょう。

 

 

私が良く例にあげるのは、

以下の「理念」についてです。

 

 

すべての命平等である

 

 

この分かりやすい言葉は、
一見、疑う余地なく正しく思えます

 

 

しかし――

 

 

現実の世界は、

そんなにではありません。

 

 

たとえば、

大災害時の医療現場における、

トリアージはその典型的な例でしょう。
 

 

もしも、

あなたが救命医で、

二者択一を迫られたならば、

 

これから未来がある子供
②既に
80年の人生を味わった高齢者

 

そのどちらの生命を、

優先して救うでしょうか

 

 

多くの人にとって、

直感的には答えが浮かぶと思います。

 

 

残された「命の量」を勘案すれば、

論理的に「命は平等ではなくなる」のです。

 

 

 ~~~~~

 

 

ここまでの議論を整理します。

 

 

シンプルな正論がもつ二面性

 

 

我々はそれを、

強く意識しておく必要があります。

 

 

心構えとしての「尊重」か?

絶対ルールとしての「遵守」か?

 

 

その「位置づけ」は、

明確にしておくべきです。

 

 

そうでなければ、

上司のシンプルな言葉は、

自然と「絶対ルール」になりかねません。

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

■規範を「戒律」で受け止めた店長

 

 

この点に関連して――

 

 

私自身の、

苦い経験をお話しします。

 

 

かつて、
債務超過に陥った事業の立て直しに、

悪戦苦闘していた時期のことです。

 

 

ある不採算店舗で、
売上不自然に伸びる月が増えました。

 

 

先に結論を言えば――

 

 

その店長が、

いわゆる自爆営業をして、
販売実績を作為的に作ったのが原因でした。

 

 

しかもそれは、

本人名義での契約だけに留まりません。

 

 

ご家族や、

友人にまで協力を仰いだ、
かなり「大掛かり」な違反行為でした。

 

 

彼はそこまでして、

架空の売上をつくり、

見かけ上の黒字を確保していたのです。

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

なぜ、

そんなことが起きたのでしょうか?

 

 

当時私は、

事業立て直しの絶対条件として、

店長の育成に力をいれていました。

 

 

店舗経営における原理原則

 

 

それを体得した、

プロ意の高い店長を増やすことで、

事業再生の原動力にしたのです。

 

 

 

・自店の採算に責任をもつ

 

・そのための方策を打ち続ける

 

・そして赤字店はいずれ閉鎖する現実

 

・だから身体を張って部下を守るべき――

 

 

 

もちろん、

私自身の意図はあくまで、

心構えとしての啓蒙です。

 

 

実際、

ほとんどの店長は、

そう理解してくれていたと思います。

 

 

しかし――

ひとつ、見落としていたことがあります。
 

 

生真面目な彼は違いました。

 

 

守るべき絶対ルール

 

 

私のシンプルな言葉を、

ストレートに受け取ったのです。

 

 

このままでは…

 

赤字で閉店してしまう…」

 

 

そんな重圧が、

彼を追い詰めていったのでしょう。

 

 

 ~~~~~

 

 

繰り返しとなりますが――

 

 

心構えや、

行動規範というものは、

 

「原則として、そう努力する」

 

いうなれば、

「できる範囲」の桎梏に留まります。

 

 

状況が酷すぎれば、

 

・一歩引く判断も、
・思い切って逃げる決断も、


十分に認められているはずです。

 

 

だのに、

彼は額面通りに受け取りました。

 

 

・業績の不振に悩み――

 

・閉店のリスクにおびえ――

 

・自分ひとりで抱え込み――

 

・何とかしようともがき続けた結果――

 

 

極端決断に至ったのだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

■「部下の誤解」では済まされない

 

 

この一連の出来事は――

 

 

アートデザイン違い

 

 

その原則を、

私に思い起こさせました。

 

 

すなわち、

 

アート自分のための表現であり、


デザイン相手のための表現です。

 

 

クリエイティブは、

その目的や意図に応じて、

伝え方変える必要がある。

 

 

 ~~~~~

 

 

このことは、

上司からの指針方針

経営理念クレドでも同じでしょう。
 

 

それらは特性上、

アート的になりがちですが、
デザインでなければならない

 

 

受け手はどう解釈するか?

 

 

そんな観点で、
発信者責任を担うべきなのです。

 

 

結局のところ、

上司側に求められるのは――

 

 

明快な言葉が、

誤解を生じる可能性を、
あらかじめ織り込んだ上で、



 ーーーーーーーーーーーー 

受け手志向説明する

 ーーーーーーーーーーーー 

 

 

つまりは、

真の意図を丁寧に補足するなど、

相手にあわせた行動への認識です。

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

■「知りながら害をなすな」

 

 

もう一点、

重要なアクションがあります。

 

 

くだんの店長も――

 

 

後になってみれば、
何かおかしい兆候を、
いくつも発していた様に思えるのです。

 

 

だのに、

それらのサインを、

 

 

ちゃんと受け止めなかった

 

 

そんな私の、

責任者としての甘さが、
事態を悪化させたことは否めません。

 

 

彼の直属の上司が、
店長の大活躍!として絶賛したのも、
油断した原因のひとつかもしれません。

 

 

でもそれは、

事故が起きたあとでは、

ただの言い訳にしか過ぎないでしょう。

 

 

 ~~~~~

 

 

経営学者ドラッカーは――

 


「ヒポクラテスの誓い」を引用し、

プロフェッショナルの心得として、

次のような規範を示しました。

 

 

知りながらをなすな!

 

 

むろん当時の私は、

事態を知ってはいませんでした。
 

 

しかし、

急な売上アップに、

何か違和感を感じながらも、

 


知る努力を怠った

 

 

それも確かなのです。

プロフェッショナルとして失格でしょう。



知る努力の欠如もまた、

害をなしたに等しいのです。



そして、

シンプルな正論は、

誤った解釈のまま人を動かし、

極端な行動に繋げてしまうリスクがある――

 

 

だからこそ、
経営者や上司は、
それを部下に求めたときほど、
 

 

行動規範として尊重しているか?

絶対ルールとして遵守しているか

 

 

自分の意図が、

正しく「実践」されるように、

 

 ーーーーーーーーーーーーー

①何度でも伝え続け

現場に赴き、自ら確認をする

 ーーーーーーーーーーーーー

 

それが鉄則なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

■さいごに

 

 

本稿は、

そろそろ終わりとなります。

 

 

くだんの店長は、

正式な処分を受けた後も、

いたたまれない気持ちが拭い去れず、

結局、職場を去ることになりました。

 

 

没交渉となり――

 

 

しばらくして、

私の知り合いの社長から、

彼の採用に際しての照会が入りました。

 

 

彼は地元の街に戻って、

同業での再就職を目指したのです。

 

 

すでに、

猛烈な反省をし、

十分なケジメはつけ終わっています。

 

 

そんな彼の、

再出発の邪魔をする訳にはいきません。

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

私のこの判断は――

 

 

同業の「経営者仲間」に対しては、

道義に反する行為だったかもしれません。

 

 

でも、

もしかすると

 

 

「もっともな正論」にも、

 

・時が過ぎ去り、

・置かれた環境が変わることで、

 

「曖昧な解釈」こそがふさわしくなる、

そんな余地が残されているのかもしれない。

 

 

「より善きこと」

 

 

そこに繋がると、

確信ができるのであれば、

きっとそうだとも思えるのです。

 

 

 

最後まで読んでいただき、

誠にありがとうございました

 

 

そして今回も、

お疲れさまでした!

 

 

 

 

 

 

こんにちは!

ふくドラ@中小企業診断士です。

 

 

人物評価というのは――

つくづく難しいものですよね。

 

 

深づきあいしてみたら、

「第一印象とは真逆だった‥‥」

そんなことも決して珍しくはありません。

 

 

歴史上の経営者たちも同様で、
誤解されたままの人物はかなり多い。

 

 

 ~~~~~

 

 

たとえば、

自動車王ヘンリー・フォード

 

 

ベルトコンベア方式により、

工員を「単純作業」に縛りつけ、
仕事から人間性を排除した経営者――

 

 

そんな風に、

悪人のように語られることも多い(笑)

 

 

チャップリン主演の、

映画「モダン・タイムス」は、
そのイメージを決定づけた代表例です。

 

 

歯車に飲み込まれる人間の姿―――
 

 

それは、

資本主義のもたらす「負の側面」として、

今なお、引用され続けています。

 

 

 ~~~~~

 

 

アメリカの経営学者、

フレデリック・テイラーも同様です。

 

 

彼の提唱した、

科学的管理法は、

ともすれば批判をされがちです。

 

 

人間を機械の一部の様に扱う――

 

 

そんな風な、

非人間的なコンセプトと吹聴され、
「管理の悪魔」と呼ばれることすらある。

 

 

では――

 

 

実際の彼らは、

どんな人物だったのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

■労働者思いなフォードとテイラー

 

 

フォードは、

工員の生活向上に、

強くこだわったことが知られています。
 

 

・世界で初めて週休二日制を導入
・「5ドル・デー」での賃金倍増など

 

 

当時はまだ、

労働者の権利が尊重されない中、

異例ともいえる経営方針でしょう。

 

 

時代を先取り、

実際の行動で結果をだした、

従業員思いな人物でもあったのです。

 

 

 ~~~~~

 

 

テイラーにしても同様です。

 

 

彼が目指していた目標は、

工員を悲惨な待遇から救うこと。

 

 

・高い賃金と、適正な労働の両立

・労使の双方が豊かになる経営など

 

 

そのための「手段」として、

生産性向上の研究に、

人生をかけて取り組んだ人です。

 

 

「冷酷な人」扱いは、

彼にとってフェアでないと思う。

 

 

しかし、

この二人の例に限らず――
 

 

人物の評価というのは、

歴史を経た後世においてなお、
誤解されたままになりがちなのです。

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

■第一印象はだいたい当てにならない

 

 

そういった誤解は、
歴史上の人物だけに限りません。

 

 

私たちの日常にも、
似たような話はいくらでもあります。

 

 

たとえば、
ウチのご近所のSさんは、

外見が強面オジサンです。

 

 

無表情で、

ぶっきらぼうで、

およそ「愛想」とは無縁(笑)

 

 

関わらないほうがいい」
 

 

そんな風に避けられがちな人です。

 

 

では――

実際はどうでしょうか?

 

 

「寡黙で優しい人」です。

 

 

例えば彼は、

たった独り「ボランティア」で、

団地の下り坂の枯葉を掃除しています。
 

 

理由を聞いてみると――

 

 

「以前ここで、

 自転車の中学生が、

雨に濡れた枯葉で転倒したんだよ」

 

「また誰かが怪我したら可哀想だし」

 

 

そんな言葉が返ってきました。

 

 

 ~~~~~

 

 

第一印象とは――

 

 

便利だが粗い」。

 

 

Sさんには、

そのことを痛感させられます。

 

 

人は無意識のうちに、
 

「分かりやすい像」

 

そのレッテルを貼り、

そこに相手を押し込めがちです。

 

 

自ら作り出した虚像にしばられ、
それ以上、見ようとはしなくなる。

 

 

そして、

その自覚が薄いまま、

誤解し続けていることも多いでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

■しかし上司は避けられない

 

 

しかし、

雑な理解のままでは、

済ませられない関係もあります。

 

 

そのひとつが、
職場の「上司

 

 

近所の、

強面オジサンなら、
距離を取るという選択肢もあるでしょう。

 

 

だけれども、

上司という存在は――

 

 

・選べない
・逃げられない

・無関係を装えない

 

 

だからこそ、

表層的な印象に囚われず、

本性把握する必要がある。

 

 

 ~~~~~

 

 

なぜでしょうか?

 

 

部下にとっては、

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

①上司を正しく評価し、理解する

②そして「上司の操縦」を可能にする 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

つまり、

成果に繋がる関係性に、

発展させることが必要だからです。

 

 

経営学者ドラッカーは、

 

上司のマネジメント

 

という表現を使い、

その重要性を指摘しました。

 

 

それは、

上司という「存在」から、

 

振り回されることを防ぎ、
成果への手助けをさせる

 

そのために必要な行動と言えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

■「3つの信」で理解する

 

 

まずは上司を、

ちゃんと「知る」ことからでしょう。

 

 

上司本性を理解する上で、
実用的なフレームワークがあります。

 

 

私はそれを、

3つの『信』


と呼んでいます。

 

 

すなわち、

上司にとって、

 

 ―――――――――――――

 

があること/ないこと
 

できるところ/できないところ
 

をもつこと/もたないこと

 

 ―――――――――――――

 

その3つの視点から理解するのです。

 

 

これは決して――

 

 

上司を分類し、

優劣をつける物差しではありません。

 

 

そうではなく、

どの様に付き合えば、
 

 

「こちらが無駄に消耗しないか?」


「上司を効果的に動かせるか?」

 

 

そのための、
現実的な整理法なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

■「3つの信」の具体例

 

 

たとえば、こんな具合です。

 

 

自分の上司について、

 

クレーム対応には自信がある人

②一方で、時間管理はルーズ

③組織の楽しい雰囲気にこだわっている

 

そんな風に、

整理できればどうでしょうか?

 

 

部下としても、

上司をマネジメントする上での、

処方箋作れるでしょう。
 

 

お願いした方が良い仕事

期待しないでおくべきこと
踏み越えてはいけない一線など――

 

 

いうなれば、

 

◼️効果的関わるための法則

 

それが明確になるのです。

 

 

その結果として、

部下が成果をあげるための、

上司のマネジメントが可能になる。

 

 

 ~~~~~

 

 

ただし、

注意点もあります。

 

良い上司

悪い上司

 

そういった、

感情的二分法からは離れることです。

 

 

理解とは――

 

 

相手を「美化」することでも、
逆に「断罪」することでもありません。

 

 

関係性を扱うためのツール

 

 

そう位置づけるべきです。

 

 

でなければ、
嫌な上司は腫れ物として、

遠巻きに関わるしか選択肢がなくなる。

 

 

それは決して、

健全な組織の姿とはいえません。

 

 

そして、

ネガティブな感情の反動は、

必ず自分にも跳ね返ってくるからです。

 

 

嫌な上司だからといって――

 

 

自分の成果まで小さくしてしまう

 

 

そんな行動をとるのは、

いかにも勿体ないでしょう。

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

■さいごに

 

 

本稿はそろそろ、

手じまいに入りたいと思います。

 

 

今、私の隣では、

飼っているインコたちが、
落ち着きなくこちらを見ています。

 

 

我が家では、

鳥の時間が決まっていて、

それが近づくとソワソワし始めるのです。

 

 

「仕事、まだ終わらないの?」

 

「はやく遊んでよ!」

 

 

まるでそう言わんばかりに(笑)

 

 

 ~~~~~

 

 

私は幼少の頃から、
動物に懐かれる特技(?)があり、

 

犬、猫、ハムスター、インコ――
 

歴代のペットたちは、
家族の中で私に一番懐くのが常です。

 

 

その理由は、

やはり「3つの信」だと考えます。

 

 

・彼らの気持ちにすぐ気がつく――


・毎朝欠かさずお世話するし――
 

・家族として対等に接する――

 

 

ペットから見れば、

 

「どう行動するか分かりやすい飼い主」

 

そんな単純な存在なのでしょう(笑)

 

 

 ~~~~~

 

 

何が言いたいかというと――

 

 

相手のことを、

理解しようと務めると同時に、

 

 

自分自身もまた、

理解しやすい存在になる努力をする。

 

 

それもまた、

相手との関係を築く上で、

有効な行動原理のひとつだと思う。

 

 

そうやって確立した、

相互理解による好循環こそが、

更なる成果をもたらす鍵となるのです。

 

 

むろんインコに限らず、

相手が「上司」であっても、

絶対にそうあるべきでしょう。

 

 

 

ここまでお付き合いいただき、

誠にありがとうございました!

 

 

そして今回も、

お疲れさまでした!

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
マネジメント/管理職/店長/ドラッカー/人材育成
リーダーシップ/経営者/福山市/商工会/ビジネス

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

こんにちは!

ふくドラ@中小企業診断士です。

 

 

私は20代半ばの頃、
長らく低迷が続く事業部に、
二年間あまり所属していました。


責任者だった上司も、
立て直しに必死だったと思います。


しかし、
結果は努力の甲斐なく、
ほどなく事業撤退が決定しました。


当時の社長と、担当役員は、
決まり文句のようにこう言っていました。


もっと経営者目線を持て!」


今にして思えば――

 


その言葉は、

叱咤激励というよりは、

「行き場のない苛立ち

その吐き出しに近かったかもしれません。


 ~~~~~



お二人の「真の意図」が、

どうであったかは分かりません。

 

 

ただ――

 

 

私の上司は、

社長と、担当役員の、

 

それぞれからの指示に、
右往左往させられていました


両氏の意向は、

様々な点で食い違っていて、
その調整で混乱していた様に思えます。


いったい全体、
上司が主体性をもって、

経営者のように振る舞う

そんなことが、
本当に可能だったのでしょうか?


そもそも――

 


いちサラリーマンにどこまで、
経営上のを求めるべきでしょうか?






 

――――――――――――――

■責任は「誰のもの」か?



 みなさんは、

山鹿素行をご存知でしょうか?

 

 

著書「中朝事実」で知られる、
江戸時代を代表する儒学者のひとりです。



彼の儒教体系は、

当時主流だった朱子学の枠を超え、



身分に応じた責任


その区分を明確に、

理論化した人物でもあります。


いわゆる

武士階級は――


生産活動には直接関与せず、
によって生活する身分です。
農民からの年貢なくして生存はできない。


だからこそ、
民の模範となる生き方をし(士道)、
常に学び、常に己を鍛える責任がある。


そして、
いざというときには、
命がけ民を守る義務を負う。


素行はこれを「人道」としました。


 ~~~~~


一方で、

農民階級の側は――


田畑を耕し、
生産によって社会を支えます


自然の中で農業を通じて、
天道」に従う営みを続けるのです。


彼らの責任は、

あくまでも「生産」にあり、

を賭した覚悟」

それを強いられる立場には置かれない


もとより――

 


山鹿素行の思想は複雑ですが、
私なりに意訳をさせてもらうならば、


 ーーーーーーーーーーー
責任とは、

立場に応じた権限と、

引き換えに課されるもの
 ーーーーーーーーーーー


そういった考え方なのです。





 

――――――――――――――

■権利はタダでは与えられない



この江戸時代の前提が、
大きく揺らいだのが明治国家の成立です。


徴兵制が始まり――

 


農民であれ、商人であれ、

男性であれば国民は等しく

を差し出すリスク

それを背負うことになりました。


一度失ってしまえば、
二度と取り戻せない「命」を託す――


それほどの責任を課す以上、
対価としての権利が与えられたのも、
ごく必然的な流れでしょう。


 ~~~~~



いわゆる、

普通選挙権もその一つでした。


それは、
欧米に目を移しても、

基本的な考え方は同様です。


たとえば、
永世中立国のスイスでは、
女性に「選挙権」が認められたのは、
なんと「1971年」のことです。
(州によっては1991年以降)


かなり「遅い」ですよね?

 

 

でも、
その論理的な根拠は明確で、

徴兵義務が「男性に限られた」ためです。


 ~~~~~



男女平等が当たり前の、
「現代の感覚」では違和感があります。


だけどその一方で――



自分の「命」関わる政治判断は、
実際に戦場に立つ人の票で決めたい


スイス人たちが抱いた、
その感覚も理解できなくはありません。


むろん、
ここで言いたいのは、
男女平等の「あるべき姿」ではなく、


 ――――――――――――――――
■責任と権利は「セット」であり、
責任だけを要求するのは間違いである

 ――――――――――――――――


そういった、
ごく当たり前の原理原則についてです。







 

――――――――――――――

■「経営者目線をもて」という理不尽



話を本題に戻します。


多くの経営者が、


経営者目線を持て!


そう社員に求めるとき、
裏にはこんな本音が透けて見えます。


「ちゃんと給料は払っている」

「だから自主的に動いてほしい」

「むしろ責任をもって全力でやるべき
――



 ~~~~~


だけれども、
それでは「不十分」なのです。


もしも、

社員に対し、

経営者目線を求めるなら、
 

 

経営者並み権限付与

 

 

その努力するのが筋でしょう。


そして、

私個人の経営経験から言えば、

最低限、5つ措置が必要になる。

 

  ――――――――――――――
 

経営理論の欠如への教育措置
 

②必要な情報・データへのアクセス権
 

人・物・金についての十分な決済権
 

成果でリターンが得られる報酬制度
 

指揮系統外からの干渉への拒否権
 

 ――――――――――――――


ポイントとなるのは、
これらが「精神論」としてではなく、

 

 

制度として確立していることです。


むろん、
すべてを最初から与える必要ありません。
いったんは「約束手形」でも構わないし、
実態に応じて柔軟に出し入れしても良い。


しかし、
事業の経営に必要な権限付与が、
そもそも制度として存在しないならどうか?


どの役職レイヤーであれ、

 

「名ばかり責任者」

 

に、実態は等しくなる。

 

 

これでは、
経営者目線を持つための、

動機は持ちにくいでしょう。






 

――――――――――――――

■社員も「ただ待っている」のはダメ



もっとも、
これは経営者だけを、

一方的に「責める」べき話ではありません。


権利というものは、
ただ「くれくれ」と要求して、
自動的に与えられるものではないからです。


実績を積み、
信頼を勝ち取り、
責任を引き受ける覚悟
を示す


そんな主体性を示すことで、
はじめて手に入るものでもあるでしょう。


 ~~~~~



つまるところ――

 


経営者目線というものは、
単に「与えられるもの」ではなく、
取りに行く姿もまた必要なのです。


経営学者ドラッカーは、
次のような指摘をしてします。

 ―――――――――――――

自らがなすべき貢献は何か?」

 

との問いからスタートする時、

 

人は自由になる。
 

責任をもつが故に、自由になる


 ―――――――――――――


もしも、

経営者目線を求められたとき――

 


それを「理不尽な要求」と考えて、
被害者ポジションに留まってしまうか?


それとも、
前向きに「機会」と位置付けて、

 


正当な要求と同時に、

正しい努力をおこなうか



全ては自分しだいでもあるのです。




 

 

 

 

――――――――――――――

■最後の「壁」は経営者の「覚悟」



それでもなお、

振れておくべきことがあります。

 


最大の「障壁」となるのは、
経営者の覚悟の無さであることも多い。


社員が自律的に動き、
想定を超える結果が出始めたとき、


不安になってブレーキをかけたり、
自分好みでない判断にケチをつけたり、
・名声や成功に嫉妬して邪魔したり、
・あまつさえ成功を横取りしてしまう――


そんな話は、

決して珍しくありません。


もしも――

 


社員や部下が主体的に動かず、
小さな仕事しかしていないとしたら?


それは、
社員の資質に責めを帰すべきでなく
経営者や組織が長年かけて、


委縮させてきた」

しらけさせてきた」

報いてこなかった


その結果だと、

大いに自省すべきかもしれません。





 

――――――――――――――

■さいごに



本稿はそろそろ終わりとなります。

 


もしも社員に、
経営者目線を求めるのであれば――
 

 

経営者自身にも、

地位にふさわしい成長を続ける

そういった自己研鑽が必要です。


権限を与える覚悟

・部下の失敗を引き受ける度量
 

 そしてなにより、

 

自分より優れた社員を許容する人間性――


 ~~~~~


それらが伴わない限り、

どんなに「制度だけ」整えても、
全ては「絵にかいた餅」に終わります。


経営者自身が、
自己研鑽を欠いたままで、

「経営者目線をもて!」

社員にだけそう求めるのは、
そもそも虫が良すぎる話です。


とどのつまり―――


経営者こそが、

自分自身に対して

 


経営者目線をもて!

 


そう叱咤激励する習慣を、

もち続けるべきなのでしょう。


それが、

中小企業にとって、

中堅企業への脱皮を果たすための、

必要条件のひとつとも言えるのです。




ここまで読んでいただき、
誠にありがとうございました!


そして今回も、
お疲れさまでした!

 

 

 

 

 

こんにちは!

ふくドラ@中小企業診断士です。

 

 

前フリもなく、

唐突で申し訳ないのですが――

 

 

私には、

師匠と呼べる存在がいません


むろん、
悩みごとを相談できる先輩や、
愚痴を言い合える友人はいました。
困ったとき助けてくれた上司もいました。


けれど、

 

人としての誤りを正してくれたり、
進むべきを示してくれる

 

いわゆる「師匠」には恵まれなかった。



今にして思えば、
それがビジネスマンとしても、
また「ひとりの人間」としても、
 

「自分の限界」

 

その原因になったように思うのです。






 

――――――――――――――

■語り部先生は正義の人?

 

そうなった理由は、

おそらく「単純」です。


自分の身の回りに、


「心から尊敬できる大人」
 

が、見つけられなかったためでしょう。


たとえば、
学校の先生もそうでした。


まだ小学生の時です。

 


アメリカの「初代大統領」を、
 

リンカーン

と教えるお婆ちゃん先生がいました。


おずおずと、
 

「あの‥‥ワシントンだと思います」
 

そう指摘したのを機に、
彼女が担任の間中ずっと、

目の敵にされる羽目になりました。


 ~~~~~


些細なことでも、

何かのきっかけを元に、
 

 

・クラス全員の前でつるし上げられ――
・体罰で「竹の定規」で叩かれる――


全く不愉快な思い出で、
今でもあれは、若干トラウマです(笑)


そして、
なおモヤモヤすることに


そのお婆ちゃん先生は、
空襲を受けた戦争体験の語り部でした。


子供向けの講演などで、
平和の尊さや、戦争の理不尽さを、
涙ながらに語る人でもあったのです。


むろん世間では、
平和の人の位置づけ。


小学生ながら――


学校の先生達を、

冷めた目で見る様になったのは、
これが始まりだったと記憶しています。


私自身は決して、
アイコノクラス(偶像破壊者)ではない、
そう自認しています。


しかし、
いかに立派だと思われている人でも、
本性は額面通りでないことも学んだのです。






 

――――――――――――――

■周りは「変な先生」ばかり



ほかにも――


通っていた中学校には、
授業中の雑談で人生訓を熱く語る、
生徒に尊敬されている先生がいました。


その彼が、
兄のバイト先の居酒屋で、
横柄な態度で、乱痴気騒ぎをしたり――


大学では、
自由な議論を説く教授が、
自虐的に日本サゲするレポート以外は、
まともに単位をくれない人だったり――


今振り返っても、
かなり「変な先生」が、

私の周りには多かった気がします。


もちろん、
人間という存在は、
そんなに立派なものではありません

 


教職員とて「ただの人間」です。


そもそも、
過度に「聖職扱い」するのも、
無理を言い過ぎるのも違うでしょう。






 

――――――――――――――

■師匠という概念の欠落



教師だけに限らず――


親族や、近所の大人、
職場における上司なども、
大なり小なり似たような人ばかりでした。


その結果、


師匠につく」

そういった概念自体が、
私の中からすっぽり抜け落ちた――


そんな気がしています。

我ながら情けないですがそうなのです。


 ~~~~~



30代の頃――

雑誌であるコラムを読みました。


そこには、
良い人生にお金は絶対条件でなく、


・一生つきあえる「友」
・一冊の良き「本」
・そして一人の「師匠」(!)


 

それさえあれば、

「十分に幸せに過ごせる」

そんな風に書かれていました。
 

 

なんだか妙に、

説得力があったと記憶しています。


この基準で言えば、
私など「完全に失格」でしょう(笑)






 

――――――――――――――

■独学のハードルは下がった



師匠がいなかった私は、
古典世界的名著に教えを求めました


経営者としても、
中小企業診断士としても、
ドラッカーなど泰斗に負う処は多かった。


けれど――


生来、
理解力が「少し鈍め」の私にとって、
独学は簡単ではありませんでした


まだ若い時分には、
インターネットも身近ではなく、
何をどう読むべきか手探りです。


本当の意味で、

「どんな難解書でも読破できる!」

そんな自信がつくまでには、
不惑を前にするまでかかりました


 ~~~~~


そう考えると――


今の「若い人」が羨ましい(笑)


古典を紐解かずとも、
有識者知識人の教えに、
SNS動画で簡単に触れられます


大学の講義や講演でも、
アーカイブで視聴できるものは多い。


たとえ、
難解な書物であっても、
解説手ほどきがネットにあり――

 


分からなければ
AIにも気軽に「質問」できます(笑)


「学ぶだけ」なら、
独学のハードルは劇的に下がりました






 

――――――――――――――

■「学び」と「道につく」のは違う



だが、

しかし、
そうであっても、


現代においても、

師匠」は必要だと思う。


何故でしょうか?

 

 

学ぶことと、

道につくこと
 

それは別ものだからです。


ひとつには、


道徳心人間力のように、
尊敬できる人からの感化なくしては、
身につきにくい徳性があります。


頭脳明晰で、
仕事もできる若手でも、

 


・どこか軽っぽい感じがする
・ドライで人間性に欠けるように感じる


それらの原因は、
昔よりも人から学ぶ機会が減ったことと、

無関係ではないでしょう。



やはり今でも、

 


リアルな存在としての
「師匠」につけるのであれば、
それに越したことはないのです。






 

――――――――――――――

■師匠から「道」を得る



もう一つ。


師匠につくことで、
初めて進める「道」があります。


小説家 司馬遼太郎のエッセイに、
彼の友人「やっちゃん」が登場します。


やっちゃんは、

城郭や神社仏閣の「に残る、

古の職人の技

それに魅せられ、
左官になる道を選びました。



総塗籠、白亜壁、渋紙色の聚楽の壁――


匠の仕事は、

彼にとっては、

まさに「目指すべき夢」でした。


 ~~~~~

 

 

しかしそこは、
 

「土こね三年」

とも称される、

長く、厳しい修行の世界です。


やっちゃんは、
まだ徒弟である間に、
戦争の本格化によって徴兵され、
修行の道は「中断」してしまいます


そして、
復員後に待っていたのは、
戦後復興や高度成長期の住宅需要です。


逆に、
まだ貧しかった日本に、
神社等に費やす予算は限られていました。

(この辺りの事情は、
 伝説の宮大工 西岡常一の著書が参考になります)



結果として彼は、
普通の左官の道を選び、
そのまま隠居の日を迎えます。


 〜〜〜〜〜


夢の実現のためには――

 

 

復員してからの、

再出発の場所が悪すぎました。


神社仏閣の壁を塗る仕事は、
京都の千家に出入りするような、

 

その筋の師匠に就かなければ難しい


経済的な点でいえば、
恵まれた人生だったかもしれません。


でも彼は、

夢を実現できなかったことを、
晩年まで司馬に愚痴っていたそうです。


やっちゃんが、
本当に望んだ道のためには、

師匠が必要だった

そう言わざるを得ないでしょう。






 

――――――――――――――

■尊敬できる師匠はどこにいるのか



では、

この時代において、
 

尊敬できる師匠

それはどこにいるのでしょうか?


教職員
マスコミ
宗教家
知識人
経営者
政治家――


現代はどこを見ても、
道徳的な劣化が進んだように感じます。


もちろん、
かくいう私も完全にその一人(笑)


多くの若者にとって、

師匠にふさわしい人」

それを期待するのは難しい時代です。


 ~~~~~


「どうマッチングするか?」


それは、
現代社会に残された課題でしょう。


多くの若い人が、
ここに恵まれるかどうかが、

真に成熟した豊かな社会

その条件なのかもしれません。


もしかしたら――

 


SNSが解決策の一つになるかもしれない。
少なくともその「可能性」はあると思う。


ただ、
明確な答えは、
私の中にはありません。





 

 

――――――――――――――

■さいごに



ただ、
ひとつだけ確かなのは――


私の抱える、
鬱懐症の一端は、

師匠に恵まれなかったこと」

これに尽きるという感覚です。


若い人たちには、
私の様な「過度な警戒」が、
良き師匠を得る妨げにならない様、
反面教師にしてほしいと願うのです。


そしてこれまで――


中小企業の経営に、
深く関わってきて、あらためて思います。


小さな組織ほど、
制度や仕組み以上に、


尊敬できるか?」


信頼できるか?」
 

 

そんな属人的」な要因が、

人の成長組織の風土を、
決めてしまう力学が働きやすい。


にもかかわらず、
そうした「背中」を、
自然体で見せられる人材は、
中小企業には決して多くありません


ともすれば、
人望のある人物ほど嫉視されて、
経営者が追い出したりしがちだからです。


多くの若い人が、
誰の背中も見失わずに
歩いていける環境が整うこと――


私はそれを願うばかりなのです。




最後までお付き合いいただき、
誠にありがとうございました!


そして今回も、
お疲れさまでした!

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

マネジメント/管理職/店長/ドラッカー/人材育成

リーダーシップ/経営者/福山市/商工会/ビジネス

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー