私の母の実家はお寺。
だから子供の頃、休みになり祖父母の家に預けられると いつも宗教関係の本や話を聞かされて育った。
だからといって、信心深く育ったわけでもなく、どちらかというと今の若い人たちのように、
都合よくお正月には神社にお参りし、子供の合格祈願を願ったり、クリスマスを祝ったり、
又、お盆には先祖の供養と忙しい!
子育てが一段落するころから、宗教について漠然と思うことがある。
ひとつには、その頃頻繁に ある宗教の奉仕活動の人たちが、入れ替わり家に来られていたからもあるが。
私としては、その来られていた人たちが信じていた宗教に興味があって質問したわけではないが、俄然いい人間を見つけたと言わんばかりに、それから仕事中でも平気でたづねてこられるようになった。
まだその当時 今ほど私も何でも言える人間ではなかったから、相手にそこそこ合わせて
勉強というその宗教の本を読まされ、どのように解釈をするかと教えられた。
それが数カ月過ぎたころ、私はどうしても納得がいかなく、
今まで読んできた宗教本を、確かに世界中の人たちが昔から人生の教えとして読んできたかもしれないが、触っただけで病気が治る、又 文章の中から今風に解釈してこういう風に教えているという現実ではありえないことを信じろと言われても私にはできない。
まるで大人向けの童話を読んでいるようだ。
そう言ったところ、
あなたには失望した!
あなたは悪魔に取りつかれている!いい人生を送れないだろう!
そう言われた時、私はもちろんショックを受けた。
悪魔とか言われたことは初めてだが、熱心に宗教活動をする人がこんな言葉を口にするなんてと言う驚きの方が大きかった!
私の中の宗教はどの宗教も人としてのあるべき姿を教えるもので、
悩んでいるときや、迷っているときなど、そんなとき心が休まる?又は支えてくれるものとして
人が最後に頼るものではないかと思っている。
だから宗教にばかり頼りすぎるのにも疑問がある。
宗教の良さは目に見えないからこそ、無心に信じられる。
私の母が亡くなり一年になる。
妹はそこから少しずつ変わり始め、最近は母が自分の側にいるのが見えるという。
菜食主義になり、肉魚の霊が取りついているのが見えるそうだ。
妹は母が生きているとき、自分の仕事が忙しく母に辛くあたっていた。
今は一人暮らしで考えることも多くあるのか、霊が見えるようになったと喜んでいる。
私の娘は、叔母さん おかしくなってきているから高い壺や石とか買わないように注意してと
言っている。
案外ありそうな話と笑っていたが、時間がたってくるとそれもありなんと心配。
気の流れや霊を勉強したいと仕事が休みの時、遠くまで習いに行っている。
これが、どういう結果になるのか、
私としては、妹がそこに自分の気持ちを向けることで、精神的に落ち着いていけるのかと思うと止めさせることはできない。