四半世紀前の日記

四半世紀前の日記

いろいろあった過去の私の記憶

Amebaでブログを始めよう!
30年前位になるお話。
そこ!えー?とか言うなw

まあ、聞いてw


私こと朱珠には、
中学2年生のときに
同じ私立の学校の高校2年生のタクヤ先輩という大好きな人がいました。
背が高くてひょろっとしてて
なんというか・・
シドビシャスみたいでしたね。

電車通学だった朱珠は
下校時、ストーカーのように
その先輩と同じ車両に乗ろうと
遅い時間の電車に乗ったり
同じ下車駅だったので
友達とあとをつけたりしていました。
今思うとタクヤ先輩って通学路線的に大抵一人でした。

今だったらそんな変態通報されちゃいますよね。

携帯とかなかった時代です。
そのころ私たちには流行がありました。
あこがれている先輩に
「質問に答えてお返事ください」お手紙ですw

お手紙に
・すんでいるところは? :
・好きな食べ物は?   :
・嫌いな食べ物は?   :
・好きな音楽は?    :
        等など

これを返信記載形式で。
アンケートみたいに書いて
返信用封筒も入れて渡すw


他の友達は結構返事もらえていたけど
タクヤ先輩はくれなかった。(記憶では

幸運なことに
私の同級生のお兄さんがタクヤ先輩と同じクラスでした。
なので情報は結構入ってきました。
好きな音楽や素行w

タクヤ先輩は
成績優秀、トップクラスです。
でもちょっと(ちょっとじゃない)変わった人でした。
構内音楽コンクールでピアノを弾く(超うまい)も
セックスピストルズのシドビシャス風味。
ほんと、自他共に認めるシドに似てましたw
異端児伝説盛りだくさんでしたw

何でかんでで
いきさつは忘れちゃいましたが
お茶してもらえることになりました!!!!
朱珠初デート(?)ですヾ(◕ω◕)ノ
30年前とはいえ
マダあの緊張したのを覚えています。

地元のちょっと大き目のおしゃれな喫茶店。(その当時はw)
デート(?)前に何故か直前に買ったハノイロックスの
レコード(CDじゃないよwでっかいよw)を
小脇に抱えて喫茶店へ。
たぶん私は、話題のきっかけがほしかったんだと思うw

案の定、「何のレコード買ったの?」
洋楽の話なら少しはできる私w
何はなしたかあまり覚えていませんが
タクヤ先輩はストローめっちゃカジカジしていたのと
私はアイスティのクラッシュ氷をがりがりストローで突っついていたのを覚えていますw
あまりいろいろ話さなかったなw

なんだかんだで
お手紙渡したり、ストーカーしたりで
タクヤ先輩にも顔「だけ」は覚えてもらえたと思います。
たぶん名前なんて覚えてくれてなかったと思う・・・

その後
いつもの仲良しメンバーで
たわいもない妄想的な恋愛話をしてすごしました。

ある朝、いつものたまり場の階段の踊り場に
(いつも6人くらいたまっています)
「おはよー」といくと
一人の友達が私から目をそらしました。
みんなを見るとみんな後ろ向いちゃいます。
そして沈黙。
一人が泣き出しました・・・
「え???なに??」
一人が重い口を開きました。
「タクヤ先輩って○○先輩と・・・」
みんな泣き出しました。
察しがつきました。
私が一番泣くところなんですが
不思議と平気でした。
何でみんな泣いてくれるの?
ほんと私の分泣いてくれて、私ぜんぜん平気!!!
その時そんな気分でした。

いつも「アンナ先輩やめなさい!」
とか言ってた友達まで泣いてくれてた。
私泣くタイミングなんてなかったよ!
後からじわじわきてつらかったけど
ほんとあの時は今でも覚えてる。
仲間って気遣ってそばにいてくれてるんだなって。

そして・・・
そんな憧れの先輩が
突然の退学。

理由は、たぶん・・・学校生活ってめんどくさいから。
そういう感じの人でしたw

。。。
タクヤ先輩との甘酸っぱい思い出はまだ続きます。
それはまた次回・・


古い思い出なので話が前後したりあいまいなところもありますが
最後まで読んでくれてありがとう。
生まれたときの事なんか覚えていない。

その時ママはとても喜んでくれていただろうか。
私は初めて空気を吸って幸せって思ったのだろうか。
そんな記憶私にはない。きっと誰にもない。

だから勝手に推測して考えるのはやめよう。
生まれてきて自分は幸せ、不幸。。。
そんなこと考えても
世間を知って知恵を得た今は
かっこつけて
言い訳して考えるだけ。

ママが何ヶ月もおなかに私を抱えてくれて
この世に出てきて名前を貰って。
生きることを与えてくれたんだ。

それだけで幸せじゃないか。
いろんなことを考える知恵を与えてくれたことが
幸せだと思う。

母に愛されて、父に愛されて
祖母に愛されて、たくさんの人たちに祝福されて

今考えると、なんて自分は幸せだったんだ。

意地悪されても、その人は自分の存在を認めてくれていることなんだ。

遠い昔のいやなことは
きっと今の糧になる。
現在のいやなことは
きっと未来の糧になる。

それを肥やしにできないのは私の悪い癖。


いろいろあっても
長い月日を振り返ってみると
絶対自分はひとりじゃないって
必ず誰か良くも悪くも見ていてくれた瞬間があった。

私はこの世を生きている。
誰かのために何かしようとしている。
自分のために何かしようとしている。

そんな徒然なこと
思い起こして書いていこうと思います。