こんにちは!

 ふくろう。です。

 

 

 僕は最近、

「何をしていても楽しくない」「自分らしく生きれていない気がする」「自分がイキイキとしてない気がする」

                                              と悩んでいたんですよ。

 

そんなときは本屋。本はその著者が人生をかけて研究してきたものをぱっと自分のものにできてしまう最強のお悩み解決ツール。

昨日、本屋で人類の叡智に助けを求めていたら、この悩み、原因わかりました。

 

 

結論から言うと、 「自分を見失っていた」 んです。

これは別に哲学的でも難しそうなことでもなんでもなく、日常における幸せを手に入れるための原則の一つです。

 

 

「自分を見失ってい」る状態とは、たとえば、

 

  ・これやったら皆にバカにされるかなぁ。

  

  ・皆はこれやりたがってるなぁ。

 

  ・あの人にこれ見せたらキモがられるかな...

 

とかです。 「自分は大丈夫」と思っていても、実は無意識にこういった状態に陥っているかもしれません。

 

こういった状態は頭の中で何が起きているかというと、

              「物事の判断基準が自分のものではなくなっている」

                                       ってことです。

 

 

(ちょっと難しくて長い話になりますが、より深く理解したい人はここも読んでい見てください。)

 

 

 

実はこの世界のあらゆるものごとには、プラスもマイナスもありません。

ただ、事実として起こっているだけ。 それが良いか悪いかというのは、人間が、自分の脳を通して判断してるんです。

 

「嘘つけ!殺人事件が起きたらそれは明らかにマイナスのできごとじゃないか!」と思ったそこのあなた!

 

少しひどい言い方になりますが、実は「殺人事件もマイナスの出来事ではありません。

 

そりゃ、人間から見たら殺人はとんでもない悲劇です。でも、野生のクマに言わせれば、「ああ、そうですか。」です。どっかの宇宙をただよう隕石からしたら、「だからなんですか?」です。我々人間だって、遠くの星が寿命で爆発しても「なんという悲劇だ!!!」とはなりませんよね。 つまり殺人が悲劇になるのは、私たちが人間だからなんです。別に人間じゃないものや生き物の立場からすると殺人などどうでもいいただの出来事にすぎない。あくまでも、人命が失われるというのは人間がつくりあげた社会のなかでの共通認識であり、なんでもない、意味のない出来事に人間が「人間」という立場でプラスマイナスという判断をつけた(これを「意味づけ」と僕は呼んでいます。)ということなんです。

 

 

(かといって意味づけを全くせず、すべての物事をただの出来事としてとらえてしまうと、なんの感情もない、退屈な人生になってしまいます。

だから、意味づけは必要です。プラスでもマイナスでもないただの宇宙の中での出来事に、「良い」だの「悪い」だの、自分にとっての意味をつけて勝手に喜んだり悲しんだりするから人生を生きる意味があるのです。)

 

 

 

僕がここで言いたかったのは、「僕たちは世界を色眼鏡を通してみている。」ということです。

色眼鏡ないとこの世界のすべての出来事には色がなく意味なんてなくてヒマなので、色眼鏡をかけることで感情を感じているわけです。

 

 

でもどうでしょう、あなたが今かけている色眼鏡、本当にあなたのものですか???

それ、周りの友だちや大人の色眼鏡を間違えてかけちゃったりしてませんか????

 

 

あなたの感じる感情は、あなたが好きだと感じるものは、あなたの行動は、あなたの感性に従って決めてください。

他人の判断基準で自分がものごとを判断しないように。

 

 

「他の誰かだったらどうするか」ではない、自分のことは自分で考える。

 

自分がどのようなものに対して「好き」「価値がある」と感じるのかは、他人の感じ方を真似しようとしても他人を追いかけ続けるだけの金魚の糞になってしまうし、他人の行動をみてそれに合わせるスタイルになるからおどおどしてしまうし、心から共感で

きないから楽しくないし、自分の本音ではないからイキイキもしない。

判断基準(=意味づけ、色眼鏡)を他人と一緒にしようとしては、どうしても苦しくなる。

 

逆に、

自分の判断基準で物事を感じれるようになったら、

自分の色眼鏡で世界を見れるようになったら、

 

もう他の誰のことも気にしなくていい。

ただ、自分の思うように生きていける。

その方がずっと楽しい。

 

 

だから、こんな長くて難しい文章を最後まで読んでくれたあなたには、価値判断の基準を他人に乗っ取られてほしくないです。誰かに追従するだけの自分の意思のない傀儡、操り人形にはなってほしくないんです。

(陽キャとか呼ばれる人とキョロ充とか呼ばれる人の違いっていうのは、根本的にはここにあると思うんです。人生楽しそうな人たちは何かを間違ったり、誰かと衝突したりしても自分の感性に従うところは曲げない。)

 

 

 

それではまたお会いしましょう。

自分の感性に従って生きてみてください。