感情の赴くままに

長年あたためてきた


自分の思い描いている軸を大切に

丁寧に丁寧にけして焦らず慌てず諦めず

行動できたら幸せだなぁと思っています


かけがえのない経験プロセスの1つ通過点と捉え


結果だけにとらわれ左右されるのではなく


1歩踏み出して進むことができた感覚を

大事に大切にしていきたいです


症状にばかり悩まされていた時期からすれば

自分でもよくここまで辿り着けたものだと

まさかまさかの……!涙涙です



今だ経験したことなのない未知の世界がある


そこから見えてくる景色をある意味、

堪能しにだけ行こうと思っています


恐れ、不安、結果等から何度も挫折を味わい、

諦めかけた時期もありましたが……







元プロ野球名選手でもあり、名監督でもあった

故野村克也氏の言葉です


テスト生として入団して、三冠王やホームラン王など数々の栄光を獲得している人物なのですが

(球場に足を運びスタンドから応援するほど野球好きな俺)


失敗と書いて成長(せいちょう)と読む


または失敗と書いて成功(せいこう)と読む

と言っています


そして俺は成幸と書く


自らの数々の失敗の原因を分析し、

次の成功につなげていった結果


失敗なくして栄光もないと語っています


人にはそれぞれ個性があり良さがあります

自分を信じ失敗を恐れず


課題に正面から向き合い、

未来に大きく羽ばたいてほしいと願っていますと(1部省略)綴っているんですが


でもね

失敗ってあるのだろうか?


人と比較するから成功だとか失敗だとか思うのではないだろうか?


無人島で1人で生活をしていたら、失敗なんて事はなく、単なる人生のひとこま過程でしかないのではないでしょうかたぶんね?


プロ野球のように競争社会ではたしかにあり得ることかもしれないですが


俺も学生時代に悔やまれる失敗をしているが


何度かの就職活動でも失敗したと思っているが


メンタル不調になっても

毎日失敗の連続の日々おくってきたかのようにおもっていましたが



そんな経験、経緯を経て今の自分がある

良い悪いにつけ失敗のようなものがあったからこそ


こうして振り返りとして、アメブロにも書き込めるようにもなった


学びとして捉える事ができたとしたら成長とも成功とでもなり得ることなのではないでしょうか


自分を自分でコントロールできる感が芽生えてきたような気が少しします


そりゃ今でもつまずいたり挫折しそうになる時もいっぱいありますが


レジリエンス転んでも再び周りの支え、繋がり中で何とか立ち上がれる感覚も身についてきたように思います


時が経つにつれて少しずつ変遷できるようにもなってきたのかも知れません


見守ってくださり

ありがとうってしみじみ思います

また涙


いずれにしても経験あるのみですな学びですな

そこには善悪の区別などないような気がしてきました


ここまでこれたのも数々の対処法があるなかで

栄養療法で土台ずくりができたからです


一人言

きっと大丈夫だろう