この『○○な馬の話』シリーズ、ネタが古過ぎてあまり共感してくれる人がいない気もしますが、気にせず書きます(^^)



私が社会人になりたての頃--。

木曜の昼食時の楽しみと言えば決まって『ゴマ油で揚げたとり唐弁当』を食べながら見るスポーツ新聞のケイバ欄」でした(笑)


まだ、スポーツ新聞でしか競馬の情報がとれなかった時代。

木曜のスポーツ新聞に追い切り情報が載ってあり、唯一馬の状態をチェックできたので毎週2紙買ってましたね。

それを読んだらあとは週末まで妄想です(^_^;)


で、その頃、よく新聞紙上で目にしていたくそデカイ級数のコピー、それは


『西の秘密兵器』


なんだか印象深いコピーではありませんか。

1990年あたりはまだ関西馬より関東馬の方が実力的に上と見られていたそう。

しかし栗東に「坂路」が出現し、次第に関西勢力が関東を上回っていきます。


また、関東では全休日があったり、仕事として割り切った感があったのに対し、関西は「持ち乗り制」により厩務員が常に馬のケアをする体制があり、そういった面での「差」も成績に現れていたと思います。


そんな関西勢は『関西所属』というだけで恐れられ、皐月賞などを目指して東上する際、なんとか本番に間に合った馬を『西の秘密兵器』と言いました。


そして私の中で、西の秘密兵器と言えばそう…



ドージマムテキ!



改めて成績を見てみると、皐月賞の前に中山のジュニアカップで1番人気で1着、弥生賞にも東上しているんですが。。。

すでに面も割れているのに、なんで秘密兵器だったんでしょうね~(笑)

新聞にはデカデカと書いてあったと記憶しています。

とにかくドージマムテキが皐月賞の穴馬であることを疑わなかった私は馬連で勝負します(当時はワイドも三連複もなし)

ま、今から振り返ればビワハヤヒデやウイニングチケット、ナリタタイシン、ステージチャンプ、アンバーライオン等に勝てるわけないんですけどね~。

そして過去を振り返れば私の馬券の下手さ加減がわかります(汗)

きちんと秘密を保持して終了~。


さて、このドージマムテキ。

結果は出ませんでしたがかなり『タフ』で、引退までに地方や香港、フランス遠征までこなし、50戦走り抜きました。

で、馬券圏内に来るたびに「さすが西の秘密兵器だ」と思っていたことを思い出します(^_^;)


そんなドージマムテキ、京王杯オータムハンデでジェニュインを好時計で下しているように適性はマイラーでした。

ただ、いろんな条件に使っていたので馬も大変だったのではないかと。

フーチャンことノースフライトのようにマイルだけ使っていたらもしや??なんてオールドなファンは少なくないかも知れませんね!



●ドージマムテキ

『永遠の西の秘密兵器』

父・テュデナムキング
母・ドージマビクトリー


生涯成績 50戦4勝
地方2戦0勝
海外5戦0勝

・1993年 マイルチャンピオンシップ3着
・1995年 京成杯オータムハンデ、BSNオープン1着