福音のあたたかみをお届けします。
今日は「人里離れた所での休み」です。
マルコ6:30-32 人里離れた所での休み
「さて、使徒たちはイエス様のところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。イエス様は、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。」(マルコ6・30-32)
イエス様は、食事をする暇もなかった弟子たちに、人里離れたところでしばらく休むがよいと言われました。イエス様が弟子たちにおっしゃってくださったように、休むということはとても大切なことだと言えます。イエス様も大事にするようにおっしゃった休みというもの、でもその休みとはただじっとしていて何もしないということではないように思います。
人間は誰でも気分転換が必要です。しかし気分転換のためにどこかに出かけたり、自分が好きなことをしたり、休むための時間をとったとしても、それでも十分に力や元気が回復しないということが起こります。人間の心と体というものは、単に休息するだけでは力を取り戻すことができない何かがあるように感じます。
自分の経験ですが、何かうまくいかないことやつらいことを経験した時、そのことをやり過ごすことよりも、そのつらい状態に変わりはなくても、何かそこに大事な意味を見つけることができたり、人から十分に理解してもらえなかったとしても、神様とのつながりの中で、神様がそのことをわかってくださっていると感じられる体験をしていくことが一番力になる気がします。
イエス様は人里離れた所で休むように言われました。人里離れた所は、イエス様御自身も求められた場所です。イエス様は朝早く人里離れた所に行って祈っておられました。人里離れた所、それは単に人から離れている所というよりも、神様に自分の心を向けることができる場所だと言えるかもしれません。
人間の見方や考え方ではなく、憐れみの心で接してくださる神様の見方で物事をもう一度とらえ直してみる。たとえ人には通じなくても、神様とつながり、神様がそれでよいと思ってくださる神様の正しさにつながって歩む。
自分の経験ですが、人間同士で理解し合うというのは、本当にむずかしいなと感じます。そのむずかしさの中で、神様にふれることを通して、生きる意味を見出し、元気づけられることができたらと願います。
人間の思いに引きずられることなく、神様の慈しみのまなざしに心の目を向けて、つらいことや苦しいことに出会っても、神様に心を開いて、神様に何でも話して、歩んで行けるように祈りたいです。
イエス様御自身も、何でも御父にお話しになって歩んでおられました。たとえ十字架につながる道であっても、その道を神の正しさを思いながら歩まれました。
祈りの中で何かを願うことだけで終わらずに、神様の目で自分のあり方を見つけることができたら、きっと自分の中から力を見出すことができるでしょう。そのために、神様にふれることができる場所、自分の生活の中に人里離れた場所を持っていたいと願います。
