fukuhara19960514のブログ

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ブログを書きます。

友達のブログを見て、ブログを書きます。


そうです影響されやすいんです、けど誰かに見せつけたいことを書くブログではないんです。

友達のブログには普段見せないような、見せなかったような彼がいました。知らない彼がいました。

私が知ってた彼は彼?ブログを書いてる彼は彼?
私には分かりません。

本当の自分もわからないような私に、他人が何を考えて何を感じているかなんか分かりません。

けど、私は人が好きです。

何を考えているかはわからなくても、好きです
人の考えを自分の都合のいいように解釈できるわたしは幸せものかもしれない。

みんなはどうなんだろう。例えばわたしのことはどんな風に感じているのだろう。
もちろん私も全てを他人にさらけ出しているつもりはない、けど隠しているつもりもない。いや隠しているか、みんなはどんな風に私を見ているのだろう。

私は、自分のシリアスな話を人にできない。
人の悩みは結構聞く方だし、相談されれば真剣に応える。友達が悩んでいたら、抱えるくらいならば話して欲しいと思っている、もちろんその時も全力で応えるつもりでいる。
けど、自分の話はできない、しないんじゃない、できない。
どこかで俯瞰で自分見てる自分がいる。
相談をして、心配して欲しいだけなんじゃないか?悲劇のヒロインを演じたいだけなんじゃないか?と問いかける自分がいる。

人の話を聞いても答は変わらないと思ってる自分がいる。

シリアスな雰囲気が苦手だ、いや、自分がシリアスの中心に居座るのが苦手なんだ。
楽しい雰囲気が好き。こんなブログを書いていて、と思われるかもしれないが、本当に楽しい雰囲気が好きなんだ。
その空気をせき止めてまでシリアスを発しようとは思わない。

そこは私の欠点だ。確実に欠点。
したい話があっても、伝えたい思いがあっても
おちゃらけた雰囲気を破ることができない

弱さだ。

いつも自分に一枚膜を張ってる
人に心配をかけたくない心配されたくない心配されたいと思ってる自分を見たくない、が故に膜を破れない。
これでは本当に大切なものが見えてこないんじゃないだろうか、伝えたい熱いものも冷めてしまう、そんな感覚は感じたことがある


まぁいいや。


この言葉が常に私を包んでいる。

こんなことを考えていると、余計に人がわからなくなる。多分私みたいな人は少なくはない。


だからこそ思いやりが必要なんじゃないかな
自分の精一杯の思いやりをぶつけるしかないんじゃないかな、それが人にどう影響するかなんてわからないけど、わからないものに心を消費してしまっては人と豊かに接することはできない、1番理解できる自分の最大限をぶつけるその思いやりが人との間に豊かさをもたらしてくれてる気がする。

わからない

これを言い訳にしているような気もするけど
今の素直な考えがこれなんだ、これには嘘はない
自分の中にきちんとある考えだ、色々考えて出した答えだ。

長いな。今日は終わろう。


おやすみなさい