沖縄1号との出会い(5月17日


沖縄県の行政としての養蚕関係資料は下記の報告書と技術資料が最後と思われます


染織 福木屋 (粟国蚕業所)in 粟国島(沖縄)-資料


「沖縄の蚕糸業」には沖縄の養蚕の起源から蚕種や桑の研究や平成8年八重山で最後の養蚕農家の繭生産の推移まで載っています。平成12年に県庁を訪ね頂いたのですがもう県の組織に蚕関連の課は消えてました。1500年代の首里王府から続いていた養蚕という産業が消えたわけです。


今朝 桑の葉を摘んでいるとおじより家の裏に桑があるから摘んだらいい「沖縄1号」だよ言われました。それを聞いて震えてしまいました。資料によると戦前より蚕業試験場で島桑の品種改良がされてきて沖縄1.2.3号と各々命名されましたが2号の成績がよく2号の研究保存がなされてきたようで他の二つの品種は失われたとありました。現在は2号の品種も養蚕業の壊滅で保存されてるか分りません。


蚕の飼育の研究も進み桑園を造る準備はしてましたが桑の品種にとまどっていました。古来より屋敷内に植えられている島桑では収量に難があると思ってましたので気が乗らず養蚕にももう一つ力が入りませんでした。

そういう事で「沖縄一号」の品種を聞いたときの興奮はブログを書いてる今でも続いております。


染織 福木屋 (粟国蚕業所)in 粟国島(沖縄)-沖縄1号

屋敷内の沖縄1号品種

染織 福木屋 (粟国蚕業所)in 粟国島(沖縄)-沖縄1号 条


染織 福木屋 (粟国蚕業所)in 粟国島(沖縄)-葉 縦


染織 福木屋 (粟国蚕業所)in 粟国島(沖縄)-葉 横


おじより「沖縄1号」の詳細を聞くと1955年に当時の琉球政府蚕業試験場(養蚕駐在技手:伊波重雄氏)より養蚕農家へ苗の配布があり植えられたようです。しかし植えられた年より島の養蚕は衰退し始め沖縄の本土復帰後一時盛り返した養蚕でも語り伝えられなかったようで現在2本の「沖縄1号」の桑の木があることが分りました。養蚕技手の伊波翁の先任者は父親で懇意にしてましたので何か縁を感じます

この品種は旱害(ひでり)や台風に強い品種です 今年は雨が少なく古代の島桑はもう旱害の影響で葉が黄変してきました


染織 福木屋 (粟国蚕業所)in 粟国島(沖縄)-挿し木

「沖縄1号」挿し木で増やしていきます