粟国蚕が作る繭は一般的な方法では糸繰りは難しいです。


そもそも粟国蚕は日本の在来種で繭も小さく薄皮で煮ると綿状になり真綿にも引き伸ばせなく糸の解除率も大変悪い品種です。糸繰りの試みでそれを実感しました。一回目の養蚕では初めての経験で飼育が下手で繭もさらに小さく煮た時ぐじゃグじゃになった時はあきらめもつきましたが、今年は良い繭が出来てましたので試みましたがやはり繭の原型をとどめなくなります(煮具合にもよりますが)。この半年もやもやした状態でしたが蔵書の本がヒントを与えてくれました


[養蚕の始まりは中国ですが中国の神話に中国の祖先神といわれる黄帝の皇后るい祖は王鳳と呼ばれた娘時代に、繭を口に入れて糸作りの秘訣を会得したと語られています。また日本でも天照大神が口に繭を含んで糸を抽くことを知り、これから養蚕の道が拓けたと「日本書紀」は伝えています。生繭を噛み、汁をすった後の繭殻は繭糸がほどほどに解れて絡み合い、真綿の原型ともいうべきすがたをしていた考えられます。]

中国の史書では一粒の繭から幾本もの糸を一緒に抽引(ちゅういん)し、撚りかけして織った厚地の絹を「紬(つむぎ)」というと記されてます


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8年前日本真綿協会へ真綿紬とのかかわりを話して2冊頂き学校の図書館へ一冊寄贈しました

協会へは紬のテーブルセンターを資料として寄贈
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これをヒントにほぐされた繭綿より糸を引き出したところ2mくらいの糸になりました。これを芭蕉糸や麻糸のように結んでかせにします。粟国蚕にであったのもそういう事だったかも知れません。これで養蚕、糸まで繋がりましたがどういう織物にするかこれからです。


日本在来種の原種の粟国蚕などの繭は小さく薄皮でセリシンが弱いそうです。それで明治以後の繰り糸機械には向かなかったので実用種として養蚕されず国の蚕糸試験場で蚕種だけが保存されてきました。粟国蚕も昭和14年から蚕種の保存が現在までされて一般では飼育されてませんでした。在来種の中で小石丸という品種はセリシンが強く手繰りで繰り糸ができる品種です。

 日本は明治以降一時期、生糸の貿易で国力をつけた国です。蚕、養蚕、製糸については国の研究機関や大学で相当研究され筆者の思惑などは個々の分野ではすでに研究尽くされております。今後はそれを繋げて物づくりをするのがこれからの課題と感じてるところです。