粟国蚕 粟国蚕


 明治時代の沖縄で飼育されていた蚕種は古代種の多蚕繭(綿繭)で生糸として取れず真綿にして糸に紡いでいたらしい。

桑の栽培技術、蚕の飼育技術も低く細々と行われた状態だったらしい。

(筆者が飼育する粟国蚕も同時代の品種で当時の状況がうかがえる。飼育技術と栽桑技術については多分勝っているだろう)

 日本国内においては開国前より明治前半ヨーロッパで蚕の病気が発生し生糸不足になり輸出が増え蚕業の発展が

著しく、またアメリカでナイロンが出現するまでアメリカ、ヨーロッパへの絹糸の輸出で蚕業はますます発達した。そこで目を向けられたのが暖かい気候の沖縄でした。国内では蚕種(卵)の確保に冬場(2月頃)暖かい沖縄で蚕種を得るために国の指導の下養蚕が行われた。明治33年(1900)に日本種の蚕と支那(中国)種の蚕を掛け合わせた『角又』という品種が導入され沖縄の蚕の品質、飼育技術も高まった。

 日本で蚕業が最も盛んだったのは大正時代で、沖縄はその後開発された品種や有利な気候条件で蚕種製造のメッカとして注目されるようになった。昭和に入ってからも蚕業は発展してきましたが戦争で中断し戦後は新しい化学繊維や安価な外国の絹糸の輸入で蚕業は衰退してます。養蚕の歴史文化を維持するため頑張っている農家もいます。,現在沖縄では養蚕農家は皆無の状態です。

ここ粟国村でも昭和55年頃まで養蚕農家が十数戸いましたが解散してます。


※粟国蚕は 独立行政法人 農業生物資源研究所ジーンバンク事業により配布されたものです