国語bは小澤征良さんが書いた「自分の道」というのもてすと範囲です。
参考程度に流してください。
自分の道
小澤征良
今から何年も何年もあと、どこかで
溜息まじりに私はこう話すだろう。
森の中で道がふたつの分かれていて、私は___
私は通る人の少ない道を選んだのだったが、
それがすべてを変えてしまったのだ、と。
これは、ロバート・フロストというアメリカの詩人の”The Road Not Taken’(「行かなかった道」)という詩の一部分。私はこの詩が大好きだ。私が高校に通いながら、受けていた個人授業中にアメリカン・スクールの国語の先生から教えてもらった。そのアメリカ人の先生は学校が休みになるとキャンバス地でできたリュックに自分の好きな本をたくさんつめて、ぶらっと旅に出てしまう。たいてい気の向くままにアジアの国をまわっていたみたいだった。「今月はタイに行こうと思います。」という具合に。
先生は行った先々で観光をするわけではなかった。海辺や知らない町のカフェで心ゆくまで本を読んだりするらしかった。その先生が詩人の説明とともに要約して教えてくれた詩の内容は、以下のようなものだ。
秋色が街をおおいはじめたある午後、詩の作者は黄葉した木々のなかを歩いてゆく。すると、林のなかで小道が二手に分かれる。ちょっと立ち止まり、どっちへ進もうか考えてみる。どちらの道も、木々に邪魔されて先が見えない。一方の道はすでに多くの人が通った形跡がある、もう一方はまだあまり人が通っていないようだ。立ち止まって考えた末、作者はまだ踏まれた形跡のない、草がぼうぼうとしている小道を行くことにした。そして彼は思う。___通る人の少ない道を選んだことが、すべてを変えたのだ、と。
「これは、ただ散歩のときの話を詩にしているのではく、人が人生と向き合うことを語っているんだよ。」と先生が私に言った。散歩のような日々の生活の小さなことのなかに、そんな大きなことを見ることができること。そして、それを詩という形で表してしまう作者に感動したのを、とてもよく覚えている。
そして、もしも私だったら、どうしただろう、と考える。もしかしたら不安になって、みんなが通ったほうの道を選んでしまうんじゃないだろうか。私には、あまり人が通ったことのない道をあえて選ぶ勇気があるだろうか、と。
オペラ歌手である友人のことを考えてみた。彼はあまり人が通ったことのない道を進んでいる人だ。私より少し年上のアメリカ人で、大変な苦労をしながら今の歌手としての地位を築きあげてきている。奨学金をもらって学校にゆき、日々ものすごい努力をして自分の才能だけをたよりに自らの道を切り開いてきた。
オペラ歌手は、オペラのプロダクションに入るたびに、見知らぬ外国の街で約一ヶ月の間、練習や公演のために滞在しなくてはいけない。とても孤独な職業だ。
「僕は一生、結婚できないんじゃないか、ってそう思うよ。」
彼の寂しそうな言葉が重く響いた。
「だって、こんなにいろんなところを転々とする生活をしていて、結婚生活がうまくいくわけはないもの。僕はそれを感じていたけど、歌手になっちゃったんだから、しょうがないよね。」
彼のご両親は恵まれない人生を送っていて、その結果、彼に精神的にもつらい思いをさせてしまうことがあるという。彼の成功を喜ぶより、金銭的なものを求めたりすることもあったようだ。そんな彼にとって幸せな結婚生活を営むこと、心を許せる家族をもつことは、何よりも望んでいることのはずだ。自分が望んでいるものを与えてくれないかもしれない道をあえて選ぶこと___それはとても勇気のいる決断だっただろうと思う。
私のよく知っている人でもう一人、あまり人が入ってゆかなかった道を、あえて自ら選択した人が思い浮かぶ。
血はつながっていなかったけど、私の伯父さんのような人だったタカベェ、藤江孝。私が生まれて母がすぐに電話した三人のうちの一人。タカベェは父の兄貴分のような人で、私は今まで毎夏を家族とタカベェとアメリカのタングルウッドで過ごした。彼は彫刻家としてパリに三十年以上暮らしていた。大学を卒業し、ある映画会社の仕事をしたのちに渡仏した。自分の彫刻を追及するために。
亡くなるぎりぎりまで、元気がありあまっているような人だった。登山家で、ガンジーのように細くても強い体をして、自分の哲学をもっていた、やや変わり者の頑固なおじさん。
タカベェは幼かった私が怖がるようなことをわざとよくした。たぶん、タカベェはものすごいテレ屋だったのでストレートにかわいがることができなかったのだろう。それでも私は彼を親と同じように信頼していた。
亡くなる前のタカベェはどこから見ても元気に見えた。だれも思いもよらなかったが、元気そうにふるまっていた彼の身体は病に蝕まれていた。きっと自分でも身体が痛くて「何か、おかしい。」と感じていたのかもしれない。それまで飲んでいたワインを「節約のため。」と言ってやめたり、「腰が痛いから。」と突然ヨガのような運動をはじめたり。命の終わりを、たった一人で予感していたのかもしれない。
そんなとき、タカベェの身体の変化などまったく知らなかった私は、自分のことで精いっぱいだった。小学校から行き続けた学校の大学へこのまま進むか、まったく違う世界へ行ってみるか。アメリカの大学に行くことも考えていた。だけど、決められなかったのはきっと勇気がなかったからだ。
小さなことで喧嘩をしていた最中にむすっとしたまま、タカベェは私に言った。
「結果的にダメでもいいから、やりたいことをやってみろ。金はないけど、おれでできることなら何でもやってやる。」
そのころタカベェはよくいらついたように独り言をつぶやいていたのを覚えている。
「まったく、おれには時間がないんだよ。」
自分のことを差し置いたタカベェの言葉が背中を押してくれたおかげで、私はやっと「やってみようか。」という気になれた。怖かったけれど、あのとき、決断できたことは、私にとってすべてを変えてくれた。その変化がなかったとしたら、今の自分はどうなっていたのか、想像もつかない。
最後まで自分の道を突き進んだタカベェの姿と言葉がロバート・フロストの詩と重なった。
行かなかった道
ロバート・フロスト
駒村利夫 訳
黄ばんだ森の中で道がふたつに分かれていた。
口惜しいが、私はひとりの旅人、
両方の道を行くことはできない。長く立ち止って
目のとどく限りを見渡すと、ひとつの道は
下生えの中に曲がり込んでいた。
そこで私はもう一方の道を選んだ。同じように美しく、
草が深くて、踏みごたえがあるので
ずっとましだと思われたのだ。
もっともその点は、そこにも通った跡があり
実際は同じ程度に踏みならされていたが。
そして、あの朝は、両方とも同じように
まだ、踏みしだかれぬ落ち葉の中に埋まっていたのだ。
そうだ、最初眺めた道はまたの日のために取っておいたのだ!
だが、道が道に通じることはわかってはいても、
再び戻ってくるかどうかは心許なかった。
今から何年も何年もあと、どこかで
溜息まじりに私はこう話すだろう。
森の中で道がふたつに分かれていて、私は___
私は通る人の少ない道を選んだのだったが、
それがすべてを変えてしまったのだ、と。