【ミニレポ】 中世~近世の愛媛県を考察してみる① | ユウキのまにまに。~ツバメと艦これ、たまーに探検~

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話題はプロ野球中心。東京ヤクルトを中心に、自分なりの視点で切り込んでいく、つもり。
テキトーに書いてるので、更新頻度はかなりまちまち。

現在「プロ野球80年史」をつらつらと執筆中です。

どうもこんばんは。野村です。
前回言い忘れていたけど、この「ミニレポ」は基本不定期です。
不定期でやりたいことをやります。





今回の「ミニレポ」は、自分の出身地である愛媛県の歴史をちょこっと振り返ります。
とは言っても、えらく局地的ですがね。



ぼくが幼稚園から小学校までの9年間を過ごしたのは、愛媛県西予市野村町。
平成の合併前は、愛媛県東宇和郡野村町と名乗っていた場所です。
さらに絞ると、惣川地区(旧惣川村)となります(地図はこちらから)。



地図を見てもらえればわかるとは思いますが、南予の山奥ですぐ南は高知県です。

導入として、明治・昭和・平成の大合併での市町村の変遷を示してみます。


…見づらくてすみませんm(_ _)m

おおまかに言えば、現在の惣川地区・
舟戸地区が律令時代の宇和郡惣川村。
そして小松地区大野ヶ原地区が浮穴郡小屋村となります。

明治時代になると宇和郡は東西南北の4つ、浮穴郡は上下2つに分かれ、また小屋村は1889年の町村制施行時に上浮穴郡北平村・川上村と合併して浮穴村となります。
(余談となりますが、上のうち現在存在しないのは東宇和郡と下浮穴郡の2つ。東宇和郡は現在の西予市から旧三瓶町を除いた範囲、下浮穴郡は1897年の時点で伊予郡・温泉郡に吸収されて消滅しています。また「浮穴村」の名称も上下2つにそれぞれありました)

旧惣川村の地図を拡大するとこうなります。
今回はYahoo!地図からスクリーンショットしています(一部加工)。



ほとんど山だらけで何がなんやらわからないと思いますが…。


っと、ここからが本題です(前振りが長いな←)。

戦国時代、ここは予土国境にあり必ずしも軽視できない土地でした。
それを示すのが今に伝えられる城砦(じょうさい)の数。


数が分かっているだけでもこれだけあります。
名前こそすべて判明していませんが、およそ10ほどの城砦がこの狭い村にひしめいたことが分かっています。

ちなみに城主を挙げると、
天神ヶ森(てじがもり)城…相津伊豆守
四天地城…丹忠本光
京ノ森城…日野勘右衛門(勘解由とも)
藤森城…大野筑前守

大野ヶ原にある笹が峠古戦場は、1570年代にこの地で久万大除城主大野直昌(なおしげ)と長宗我部軍(おそらく伊予軍代久武親信が指揮を執っていたか?)が激突し、大野が勝利したことからこの地を大野ヶ原とした、という謂れがあります。
大野ヶ原については、ここで話すと長くなるのでいずれまた…。

それでは、なぜこれだけ城砦があるのか?
それは次の図を見てもらえればわかるはず。



上の図はだいたい1560年代の勢力図。
戦国時代の伊予国(現在の愛媛県)は、かつて鎌倉時代に守護を務めていた河野氏がこのころには内紛を繰り返して没落。せいぜいその勢力は中東予にしか及ばず、南予には喜多郡の伊予宇都宮氏、宇和郡の西園寺氏がそれぞれ割拠している状態でした。
さらに周りを見渡せば土佐国(現高知県)には長宗我部氏や一条氏が伊予を狙っており、北には1555年の厳島の戦い以降急速に勢力を伸ばしている毛利氏、豊予海峡を挟んで西には鎌倉以来の名族である大友氏が勢力を伸ばしていました。

その中にあって、互いの勢力の均衡線上にある惣川村・小屋村(黄色で塗られた範囲)は攻めるにとっても守るにとってもどうしても無視できない土地でした。
河野・宇都宮・西園寺からしたらここを破られると本拠地まですぐに攻められることになるから是が非でも守りたい。
長宗我部・一条からすればここさえ手中に収めればそこを拠点に伊予を攻めやすくなる。
…といった感じで、1560年代後半から1580年代前半までこの地は断続的に戦いが起こっていました。

最終的には、長宗我部元親が1583年までにこの惣川村・小屋村を勢力下におくことに成功。
2年後には四国平定をほぼ成し遂げますが、直後に豊臣秀吉に攻められて降伏します。



ちなみに。
現在の西予市城川町には、西園寺氏配下の北之川親安が守っていた三滝城があります。
上の地図に挙げた天神ヶ森城はその支城で、1583年の三滝落城(年数については諸説あり)と運命を共にしています。



さて、10数年間にわたって戦乱が絶えなかった惣川村・小屋村も、豊臣秀吉の四国征伐後は平穏を取り戻します。
最初は毛利両川のうちの一人、小早川隆景が伊予一国を拝領しますがしばらくすると国替え。
この後がまたややこしいので、次回はそれをメインに書いていきます。
コメントは次回にて。





参考文献:
・惣川誌(1964年)
・大洲旧記
・三滝城史










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