2026年3月19日 真弓ダム・真弓水力発電所

 

 真弓ダム(真弓取水堰堤)は左岸が愛知県豊田市桑原町、右岸が同市稲武町の一級河川矢作川水系名倉川に位置する中部電力株式会社(以下中部電力と記す)が管理する発電目的の重力式コンクリート堰堤です。

 

 矢作川は、急峻な地形と豊富な降水量に恵まれ、明治期より水力発電の好適地として注目されてきました。1897年(明治30年)に運転を開始した岩津発電所を端緒として、1910年代には多くの事業者が開発を競いました。
 1920年代に入ると、二大勢力による棲み分けが明確化します。1919年(大正8年)に設立された矢作水力は電力王・福澤桃介が経営に関与し、実質的な大同電力系の有力企業として、高落差が得られる本流上流域の開発を主導しました。
 本流中流域でも大同電力の傍系会社である尾三電力が電源開発を推進しました。同社は時瀬、和戸の両発電所を建設したのち、1931年(昭和6年)に親会社である大同電力へと統合され、その開発地点は大同電力の直系地盤として継承されていきました。
 一方、下流域においては、電力の鬼・松永安左エ門率いる東邦電力系の勢力が台頭します。東邦電力系の三河電力(越戸発電所)や旧中部電力(百月・阿摺発電所)が、本流下流から中流域にかけての電源開発を担いました。
 このように矢作川本流は、戦前の5大電力のうちの二社である大同・東邦両陣営がその覇を競う舞台となったのです。

 

 真弓発電所は矢作川上流域の電源開発を担っていた矢作水力4番目の発電所として、1923年(大正12年)に運転を開始しました。

 矢作川左支流の名倉川に建設された真弓ダムで取水された水は、総延長4323.14mの導水路によって真弓発電所へ送られ、最大5600kWの水路式発電が行われています。
 その後、1934年(昭和9年)には真弓発電所の渇水補給を目的として、名倉川支流の黒田川に黒田ダム(黒田貯水池)が建設され、河川流量の季節変動が平準化されることで安定した発電が可能となっています。
 しかし、同社を含めた矢作川流域の発電施設は電力国家管理政策により日本発送電に接収されたのち、1951年(昭和26年)の電気事業再編成によって中部電力が事業を継承し、現在に至っています。

 

 愛知県豊田市の国道153号小田木交差点から東へ5.6km、車で7分ほど進むと左手に真弓ダムが現れます。
 堤高は3.33mで河川法上のダム要件は満たしておらず、本来は取水堰堤と呼ぶべき規模ですが、現地に真弓ダムの表記があるため本ブログではそれに従います。

 堤頂長は38.84mで、全面越流式の堰堤が名倉川を横断しています。写真の対岸にあたる左岸側には、ともにスライドゲートの取水用制水ゲート2門と土砂吐ゲート1門が設けられています。

 

 左岸のゲートピアには、ゲートの起立を制限するためのコンクリート製ストッパーが設けられています。

 駆動方式は不明ですが、当ゲートは渇水期や低流量時において起立させることで水位を上昇させ、導水路へ必要な水量を確保するためのものと考えられます。

 

 鋼製の起伏ゲートをズームアップすると、その表面を覆う無数のリベットが見て取れます。真弓ダムが建設された1923年(大正12年)当時は、土木分野において電動アーク溶接はまだ実用段階に達していませんでした。
 当時は鋼板を接合するために、赤熱させたリベットを穴に差し込み、反対側から叩いて締め付ける熱間リベット打ちが主流でした。リベットが冷却される際の収縮力によって鋼板同士を密着させ、高い水密性と構造強度を確保するこの技術は、造船や橋梁、さらには大規模なゲート建設における主要な接合手段となっていました。
 また、緩やかな曲面構造についても、現代のように大型ロール機で大判鋼板を成形する技術は確立されておらず、この鋼製ゲートにおいても小さな鋼板に曲げ加工を施し、それらをリベットで継ぎ合わせることで流線型のフォルムが形作られています。
 運用開始から100年以上を経過した現在においても、建設当時のゲートがほぼそのままの姿で残っている点は、矢作水力が良質な素材を採用していたことに加え、日本発送電から中部電力へと引き継がれる中で、歴代の管理者による丁寧な保守管理が継続されてきた証左といえます。

 

 右岸上流から取水口を望みます。赤いスクリーンが取水口で、その奥に制水用のスライドゲート2門が設けられています。扶壁を挟んだ手前側は土砂吐で、こちらにもスライドゲート1門が配置されています。
 ダム左岸側には「真弓ダム」と記された管理棟と電気室がありますが、職員は常駐せず巡回管理となっています。

 

 対岸(左岸)の沈砂池を望みます。取水口から取り入れられた水は、この沈砂池で水中の土砂を沈殿・除去したのち、延長4369.5mの導水路によって真弓水力発電所へ送られます。

 

 下流に架かる桑原橋からの眺めです。

 一般にダムは下流から正対して見上げる姿が最も壮観とされますが、真弓ダムは堤高が3.33mしかないため、正面から見ても物足りなさを感じるというのが偽らざる印象。

 

 左岸寄りに設置された土砂吐ゲートです。真弓ダムでは、余水や河川維持流量放流はこの土砂吐ゲートから行われています。

 

 右岸に移動します。

 上流側から見た取水口と土砂吐ゲートで、左手の赤いスクリーンが取水口で、スクリーンの奥に制水用のスライドゲート2門が設けられています。

 右手は土砂吐ゲートの取入れ口で、河川維持流量放流はここを通じて行われています。

 

 取水口および土砂吐の上部には、制水門と土砂吐ゲートの開閉装置が並んでいます。

 

 

 取水口と堰堤。

 

 取水口で取り入れられた水は、まず名倉川に沿って下流方向へ流下していきます。この水路は写真奥で左へ直角に折れ、沈砂池へと続いています。

 

 水路が左へ折れた先に位置する沈砂池の近影です。

 ここでは水路幅を広げて断面積を確保し、流速を一定以下(一般に0.3m/s程度)まで落とすことで、水中の砂などの粒子を重力によって底部へ沈殿させます。

 

 沈砂池の左岸側には、もう一本の細い水路が並行して設けられています。その配置から余水路としての機能は考えにくく、2003年(平成15年)の設備刷新時に残された旧水路の遺構であると思われます。

 

 真弓ダム敷地フェンスに掲示された水利使用標識。

 最大取水量は3.90m³/sとなっています。

 

 真弓ダムの北西約4.6km、矢作川本流左岸に位置する真弓発電所の全景です。奥に見えるのが発電所建屋で、手前には変圧器などの開閉所設備が配置されています。
 真弓ダムで取水された水は延長4323.14mの導水路によってここへ送られ、有効落差175.5mを利用して最大出力5600kW(常時出力2000kW)の発電が行われています。発電形式は水路式、発電方式は流れ込み式で、主要設備として横軸ペルトン水車および同期発電機が各2台設置されています。

 

 1923年(大正12年)の運転開始当時から残る真弓発電所の建屋です。壁面に等間隔で配置された突出柱(バットレス)は、大正期のRC造(鉄筋コンクリート造)発電所に共通して見られる特徴で、内部のクレーン走行を支える構造的役割と、外観における垂直方向のリズムを両立させています。
 大同電力読書発電所に見られるような円形(アール)を多用した華美な意匠は採られていませんが、全体の端正なプロポーションからは、発電所を単なる産業施設にとどめず地域の象徴となる近代建築として捉える桃介流の美意識が共有されていたことがうかがえます。

 

 真弓水力発電所の水圧鉄管です。条数は2条で、延長は487.87mに及び、口径は上流側の940mmから下流側の750mmへと絞り込まれています。

 

 真弓ダムの堤高が3.33mに留まるため、「ダム愛好家」視点で見れば真弓水力発電所関連施設は影が薄い存在になりがちです。
 しかし、鋼製起伏ゲートに見られる精緻なつくりなど、当時最高水準の技術が投入された痕跡は随所に認められます。さらに、最大出力5600kWは運用開始当時において矢作水力最大規模であった点を踏まえれば、本発電施設は大正期における矢作川水系を代表する発電施設の一つといっても過言ではないでしょう。

 

真弓ダム

左岸 愛知県豊田市桑原町

右岸     同市稲武町

矢作川水系名倉川

3.33メートル

38.8メートル

----千㎥/----千㎥

矢作水力⇒日本発送電⇒中部電力(株)

1923年

国土地理院地形図