奥歯を抜いてきました。。。
30年以上私の体の一部として機能
してくれた。どうもありがとう。



後世に残る名曲だ!



パパパパパーマ パーマのパーマ
ケケケケケムシ パーマのケムシ
タタタタタワシ パーマのタワシ
パパパパパーマ パーマのパーマ
パッパッパッパパーマネントパーマネントパーマネント~~
頭の中までパーマネント~~~~♪
60秒にまとまらなかった。。
失敗。。

暴走族って聞いていいイメージ持つ人いないとおもうけど、世の中ってのは皮肉なものでさ。。。因みに暴走族ってのは、共同危険行為型と、いわゆる走りやと言われる違法競争型とある。
どちらも暴走族という。


若者の車離れっていうでしょ。
簡単にいえば今の10代後半から20代にかけて
車に興味ある人いなくなっちゃったわけで。。車に対する憧れってのもない。

シルビアやソアラと聞いてゲームのキャラの名前?と答が戻る、今はそういう時代。

今から25年~30年ほど前の人はもう40
代~50代。暴走族は全盛でもあった。
悪い事や、まずい行為と分かってはいても
その車に憧れをもったり、入手願望はあったはず。勿論暴走行為までは想定してなかったろうが。。

また、異性からのモテルアイテムの一つでも
あり、また、ステータスの一部でもあった。
カップラーメンすすっても車にポリマーかけたりする人も珍しくなかった。

メディアも暴走族キャラを悪としない展開の出版物や、テレビ、ビデオ、色々あった。

さて、今はどうだろう。確かに警察や市民が望む通り、暴走族は当時から比べて激減した。共同危険型など生きた化石とも言われる有り様だ。  果たしてめでたしめでたし?

自動車産業は日本経済でかなり重要なポジションを占めている。トヨタは国内最大の企業でもある。 人々から自動車の興味はどんどん削がれて行くだろう。その結果、
白物家電(洗濯機や冷蔵庫)と同等の価値観
まで低下する。 
もはや憧れる対象ではない。

暴走族は確かに迷惑、間違っても誉められたものではないし、擁護するつもりもない。

しかし、彼等暴走族もそんな気持ちは毛頭なかっただろうが、自動車業界の売上に大きく貢献し、日本経済を成長させる影響力になっていたのだ。彼等がいなければ経済は低迷し、税金ももっと高かったかもしれない。

しかも当時の暴走族がいなければ、そのときの反省もない。メーカーの作る車のレベルも改造される予防策を講じないレベルの低い車になったろう。

彼等の時代が終わったから言えるが。。。



1つの事物には善悪が必ずある。
表面だけのコインが存在できないように。。 

 

誰が見ても悪いこと、あなたは本当に胸を張って間違えなく悪いといいきれるだろうか?

立場と法律、その時期と場所にたまたま
そぐわなかっただけなのでは?

昔にさかのぼれば今では考え方られない事が是とされることが沢山ある。


打ち首ご免!  
今の時代ならば総理大臣がやっても殺人罪。


また国が変われば、レイプして裁かれるのは
男性でなく女性と言う国が今でもある。
日本じゃ考えられないだろうが、逆に
その国では日本が考えられない。

今一度自分が評価した事物、考え直して
みれ必要があるのかな。。
大切なのは自分のポジションを見失わない
事だ。。。

そう考えると暴走族は単に悪だけだったの
だろうか。。。




暗黒の不景気の中に投げ込まれている私たち。。
一部の投資家や、幸運にしてアベノミクスにあやかっている人も
いると思うが極々一握りの人間である。

私は希望という言葉に期待というものが全くない。
希望をもつというのは素晴らしい事といわれるが、私流に言えば
この情勢の中希望をもつというのははっきり言って危険以外のなにもの
でもない。 バブルの真っただ中であれば首も縦に振れるが、暗黒の不況に
希望をもつというのは、ドツボにはまる可能性とリスクを併せ持つと感じ取れる
からだ。

過去は日本の情勢だけを考えていれば、その中でどう生きていくか、どう仕事
してゆくか・・・で開業したり、事業を興したりできたものだった。
しかし今はグローバル経済。非常に活気高い響きのいい言葉に聞こえるが、
これはおそろい世の中であることを示す単語でもある。
競争相手や見極めるべき情勢が世界であるということだ。

世界を相手に経済活動を個人の思いつきでやれば、失敗するか、どん底に叩きつけらるか
のどちらかだ。 1/10000000ぐらいの確率で成功を収める人もいるかもしれないが、
太平洋の中に落とした指輪を拾うような可能性である。

希望をもってはいけないということではない。
ただ本当の現実を見据えると、この世の中に本当に希望に値する事があるのだろうか・・・?

まず世の中は平等ではない。これは頭に叩き込むべきだ。
人により幸せの感じ方は違う。また発生する事物に幸福に感じる、不幸に感じる色々だ。
一つのパンが与えられても、「なんだ・・パン一個かよ・・・」という人もいれば
「わ~い今日はパンだよ!おいしそう~~」という人もいる。
立ち位置が違うので、同じ事物で幸福感がまるで違うわけだ。

これは実際にある現実でもある。

もっと不平等な現実を話せば、戦中の国が存在することも事実であり、こうしている
間にも、弾丸を喰らって絶命している幼い命もある。 もちろんその子には何の罪もないのだ。
しかし人を殺意・悪意持って殺し、時効成立してのうのうと生きている人もこの日本にはいる。  
あってはならない・・・? それは良識ある人間の単なる倫理観でしかなく、事実はそうなのだ。 
そしてその事実は誰にも変えられない。変えられた歴史もない。
理不尽はあってはならないことは机上の空論でしかない。

とかく世の中は理不尽な事が当たり前におきて然るべく所なのだ。

一つ・・・・この長引く不況は平和ボケしている人間に教訓を教えてくれた。
理想は理想でしかない。そして理想は不都合な現実に逆らう要素でしかなく、理想の裏にも
その後のリスクがついて回るということだ。

医療の進んだ素晴らしい国作り!!  確かにその理想は現実のものとなった。
さらに現在進行形で医療は発展し続けている。

しかし人間は浅はかであった。局所的な理想しか追わなかった結果・・・・

その理想がもたらした結果はまだ結果でもないが、70億人という人口爆発であった。 
地球で抱えきれないこの人口爆発現象は今もなお進んでおり、もう地球が持たないといわれている。
100億・・150億と増えていく事は必至であり、世界大戦も起きない世の中を理想としている。。。
この問題・・一体どう解決するつもりであろうか・・・宇宙進出?? 今の技術力と世界の経済力では
150億の人口に達する時間のほうが早いといわれている。

増えすぎた生物の末路は・・・待ち受けるのは自壊。
スペースに限りがある以上、そこで増殖できる数にも限りがある。

地球において、人間が住まうに値する地域(南極とか赤道直下とか環境が異常に悪い所を除いて)
で、全ての生物界の食物連鎖に影響を与えないように生きていくための理想的人口は約30億人と
言われている。 それを倍以上超過し、まだまだ増えようとしている。

満腹の腹に食物を限りなく詰め込めばどうなるかは子供でも分かる結果だ。

人間は自らを殺わなければならない日がきっと来るだろう。
そんな日は来ない?? 何を根拠に? 
逆に来る・・・? その根拠は・・生存競争が始まるのだ。

これは自然の摂理であり、生物の歴史は全てそうであった。
人間だけがなぜ例外と言い切れるか・・

人間は地球上の中では、王座であり、もっとも知能の優れた生命体であることは言うまでもない。
しかし、所詮小さな地球上だけでの話。 言い換えればその知能の力が及ぶのも、地球上レベルと
言い換える事ができる。 これだけの技術と知能がありながら、たかが38万キロしか離れていない
月に旅行することすらできない。 火星をテラフォーミングすることもまだ空想の域をでていない。
ようやくささやかれたのが、軌道エレベーター・・・カーボンナノチューブを用いた・・・・
0.5%ほどの現実性を帯びた研究ではあるが、こんな不景気で世界のリーダーであるアメリカが財政
不況である昨今、仮に技術が追いつても、金が追いつかない。もっとも技術も追いつかないが。。。
そもそもそれができた所で人口爆発になんの解決性も生み出さない。

これからの人間は、はっきり言って近くの将来を見据えても、遠くの将来を見据えても、
はっきり言って希望というものは皆無に等しい。 屁理屈言えば小さな小さななんらかの
希望はあるかもしれないが、継続性と持続性のあるいわゆる希望はない。

現実を見据える・・・・これはすごく辛いことだ。
しかしそれに対して、一度に襲われることはないのだから、一つ一つ堅実に対処して
クリアしてゆく・・・

私が思う生きる事が辛い、生きることが仕事と皮肉をいうのには、こういう背景がある。
コインの表と裏。コインに表があるのは、裏の存在があるからだ。裏もまた表ありきで存在が確認される。
何もコインに限った事ではない。

この三次元空間には、人間が一般的に確認できるものとして、縦・横・奥行きがある。
ひとつでも欠けたものは存在しない。非常に薄い紙であっても0.001ミリであっても厚みがある以上は
奥行きが存在することになる。 この3つが欠けた立体は3次元空間に存在しえない。

さて・・・考えた事もないだろうが、事柄に関してはどうだろうか。
事柄には、大きく善悪がある。そう、必ず起こった事柄には、善悪が存在するのだ。
しかし事柄に関して言えば、これだけは、人により見解がまちまちであることも忘れてはならない。
前項に絡めて言えば、立方体のどの面を前面でどの面が底面なのかを議論しているようなものである。
困惑が起きないように、しるしをつける・・・ここを前面と定義する。。。事柄においては、すなわち
それはルールであり、法律であり。

しかし・・・私は思う。 そのルールはどこに行っても本当に正しいのだろうか・・

これから書くことは屁理屈を網羅するわけではない。
人間の最も犯してはならない罪。それは他人の命を奪うこと。これは誰もがおのずと認知していることと思う。
・法務省の死刑執行者は何を基準に、罪人ではないのか。
・戦争のときにはなぜ、それを例外といえたのだろうか
・大名行列を横切ったものは打ち首。これは妥当な刑なのだろうか

多少極端かもしれないが、誰もが当然と思うような殺人でさえ、時と場所が異なればそれは正義にもなりえる
ということであり、人の死においても、いいことと悪いことの見解が分かれる。

とかく現在までの日本の秩序と、状況においては、殺人は罪としたほうが、万人にとって都合がよいので
そういうルールにしているだけの話だ。

今・・・世界の都合はどうなのか・・・
世界の人口の推移
西暦元年1億人
1000年2億人
1500年5億人
1900年15億人
現在 66億人

現在の世界人口は70億人に迫ろうとしている。
産業革命を境に、人口は爆発的に増え始め、現在はその適正を大きく超過し、地球環境に影響を及ぼす
までに至っている。

さてここで。。
人がこれ以上増加するということは、イイといえるだろうか。
人の死というのは、一概に悲しむべき事だけと言い切れるだろうか。
医学の進歩は賞賛すべきだけの事柄であろうか。
戦争は悪だけと言い切れるだろうか。


人間は自分が当事者で経験がないので実感する事は困難であろうが、
物事は一定の限界を超えると、必ず何かが起こる。
そして限界というものは何に関しても必ずある。

今、地球人口は限界に達しつつある。
今を生きる我々には残念な話かもしれないが、もう今までのヒューマニズムは通用しない。

これからこの平穏安泰な日本も、経済が崩壊し、少子高齢化が加速、貧困層が急激に増加し、
政府は対応しきれず、政治機能を果たさなくなる。 弱腰な外交のため。韓国や中国に領土を侵略され
内乱や戦争が勃発、憲法9条などは、役目を果たさない紙に書かれた文字と化し、人々は本能の赴くまま
弱肉強食の、生物の食物連鎖本来の姿に戻らなくてはならなくなる日がくるかもしれない。

もはや絵空事とも言い切れない経済不安は、見ぬふりをしてきた我々に容赦なく現実となって襲いかかる。


これは・・・人間界の必然なのかもしれない。
いい悪いなどともう言ってられない日が目前に迫っており、
自分の身は自分で守らなければならないようになる。
リゲインでわかる日本の衰退・・・

24時間・・・戦えますか・・・・
http://www.youtube.com/watch?feature=endscreen&v=reCVRVRDTn0&NR=1

バブル期のサラリーマン(歌詞中ではビジネスマン)を題材にしているが奇しくもこの頃からバブル期は終焉に向かって動き出すことになる。
http://www.youtube.com/watch?v=CPCE0UXCqsk

そして、バブル崩壊後の不況が慢性化した時期にはその世相を反映する形で、CM曲として坂本龍一のピアノによる「energy flow」が使われ、同曲もOA当時は支持を集めた。
http://www.youtube.com/watch?v=i6qcNmJdFx4


また、この時期に佐藤浩市扮するサラリーマンが電柱、銅像など至るものにぶつかったり、http://www.youtube.com/watch?v=M2KIeEMd18U%E4%B8%8B%E8%BB%8A%E9%A7%85%E3%81%A7%E9%99%8D%E3%82%8A%E6%90%8D%E3%81%AD%E3%82%8B、下車駅で降り損ねる、ゴミの代わりにカバンを捨ててしまう、
http://www.youtube.com/watch?v=7Fv7EwssTnQ%E3%82%B4%E3%83%9F%E3%81%AE%E4%BB%A3%E3%82%8F%E3%82%8A%E3%81%AB%E3%82%AB%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%92%E6%8D%A8%E3%81%A6%E3%81%A6%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%86、

などロクな目に遭わないCMも放送され、


『24時間戦えますか』の時代とは正反対の当時の世相を反映していた。
人間には希望や期待、願望がある。
しかし 現実というのは 見事にそれを打ち砕く時もある。

『大丈夫 心配しないで・・』これらは全て第三者が当事者から当事者に対する
気休めでしかない。現実は なるようにしかならないのである

しかし、不思議な事があるものでその人の持つジンクスや、
運によっては希望や期待の叶った割合が多い人もいる
そのような方々は前向きという気持ちがいかに大切か・・・
と思うだろう。

しかしその逆の人もまたいるわけで・・・

どちらかと言えば私はその後者で願う通りに事が進まないのが私だ。

そこで私が考えたのは どうせ、、の理論である。

皆からは、口々に言われる。

どうせ~。。

お前、そんな風に思ってると 本当にそうなっちゃうよお前ほんとにそれでいいの?

私以外の人でも弱音を吐いた時にによく聞く言葉だろう
おっしゃる通りであって 本当にそうなってしまう。

しかし、期待しったって その逆のことしか起こらないことが多い。

つまり、どちらで考えても 結果は同じ事だ。期待した分だけショックがでかい。

そこで考えたのが どうせの理論である。

願い事 期待事をどうせ~できるんだから。。
とネガティブに皮肉るのである。


普通の願い事の場合、明日のテスト、100点が取れますように。。

これをこう変換する。明日のテスト・・どうせ100点になっちゃうんだから。。

不思議なもんでこれが、意外に当たる。多分自己誘導の指令プロセスに どうせ・・
、がはまる脳の構造なのかもしれない。


天気に関してもいえるのが更に不思議なことだ

明日は雨で困るなー とおもったとき、

なんだかんだいってどうせ晴れちゃうんだから。。そう念じていると本当に晴れる日があるのだ

ポイントとしては このとき 晴れたらば都合の悪いところを一つでも 思い出すことそこに晴れたら困るという念を強くこめて、逆に雨になると 都合のいい事を強く念じて雨降ってほしいな・・・と思う、これが、ポイント。

私が幸せだなと思うとき、それは自分がどれだけついていない人間かということに いま気づけた事だ。細かく再分化すると、私にとって都合の悪いことが起こるようになってる。

運に見離されたことを逆手に取ればそれはついてる奴になる。

神が存在していればきっと神様は悔しいがっているだろう。

俺の運を上手に操れなくて残念だったね
そう神様にいってやりたい。

ひねくれた人生を歩むshadowwalker。


Android携帯からの投稿
(1)放射能汚染・原発問題
(2)累積債務問題
(3)高齢化・少子化問題
(4)中国・韓国の侵略・反日問題
(5)メディア・報道への不信、報道規制問題
(6)沖縄・米軍基地(普天間)問題
(7)TPP問題
(8)自給率問題
(9)政治力低下問題
(10)地方経済崩壊問題
(11)格差問題
(12)年金破綻問題
(13)増税問題
(14)国内産業空洞化問題
(15)不景気・経済危機問題
(16)教育崩壊問題
(17)治安悪化問題
(18)経団連・経営者の質の劣化問題
(19)検察・官僚・行政への不信問題
(20)国防(自衛隊・憲法9条)問題

解決できてる問題は一つもない・・・・・

現実とはこういうものだ・・・・

新たな問題と借金だけがこうしている間も増え続けている。。。