え?仕事なくなるかも。
ええええ。
いや、どうするも、こうするも。
とりあえず決定を待つしか。
大丈夫やと信じてみるけど。
それはもしかしたら今まででいちばん痛いぞ。
いやん。
最近、自分が何を考えているのかよくわからない感じで、
これはあんまりよろしくない傾向なんだけど。
過去 → 現在 → 未来 みたいなフレームに今の自分をつっこむことができたら、
自分の立ち位置も見えてくるのかしらと考えてみた。
過去については変わらないものだし、
ブログに書いてあるのはだいたい過去のことだし、
なんとなく積み上げる分の積み木のピースはそろっている感じなんだけど、
ええと、私はその積み木で何を作ろうとしていたのかなというのが
現在や未来についての自分を説得するストーリーが組み立てられない
今の心境にちかいのかも。
川岸にレンガを積んでいます。
橋が架かったら、みんなの生活が便利になるのです。
だと、希望のもてる話になるし、
レンガを積んでいます。今日は暑いです。レンガは重いです。
だと、あんまり楽しくないよね。
自己物語っていうのはとても重要、少なくとも私にとっては。
未来、未来。みくじゃなくて、みらい。
どうでもいい話、私が幸田クミがミクじゃなくてクミだと覚えた頃には、
彼女はすでにマスコミにあんまり取り上げられなくなってた。
羊水発言とかあったなー (古)。
はい、クミちゃんじゃなくてみらいちゃんの話ですが(ほんとどうでもいい)。
まず、ボストンへ来たのはSoLに関わる仕事ができないかと言うことだったのだけど、
ワークショップにも満席で参加できなかったし、
P.センゲにアポ取ろうにもメール返事こないし、
MBAの授業や勉強は思ってたよりも時間を食うし、
いろいろ言い訳があって何にも進んじゃいない。だっさー。
いま、少し現実的なのは、日本へ帰って「ご年齢とご経験が一致しませんね」って言われながら
過去の経験レベルに基づいたびみょーな仕事を探すよりも、
それよりはMBAが評価されるこっちでの就職を探すこと (そして履歴書に年齢欄がない)。
米国での就職と言うのは、留学生にとってはより狭き門なのだけどさ。
幸い、メンターと良い関係を築けているので、関心のある企業があれば知人を紹介してもらえる。
いくつかプロジェクトをやったので、P社のチームからもReferenceも書いてもらえるし。
少なくとも、英語圏での仕事経験のない留学生と比べれば優位。
永住権持ちやネイティブと比べたら超不利。これは考えても仕方ないけど、
仕事を探すときに考慮すべき点。
ほかに今度の就職で留意すべき点は、ばかばかしい話、今さら業界と職種。
(今までの経歴にびっくりするほど一貫性がないからねぇ)
いい加減、自分が何屋なのかをはっきりさせられていく職種であることと、
業界にしても、絞ることの意味がようやく腑に落ちてきた。
ふつうの人と比べて軽く10年ほど遅いけどさ (長生きしよう)。
うーん。
で、気づくのが就職、就職、就職というので思考が停止していること。
結局シュウカツしながら思考を深めていくしかないのかもしれないだろうけど。
行動するしかないなぁ。
漠然としていて、また誰かに相談しないといけない内容としては、
・ 今のメンターがやっているような業界や競合に関するリサーチは性に合っている。
・ コンサル機能の内部化(外部の戦略のみコンサルは仕事が減ってる)は私にとって有利か?
・ 全然そうでもなくて、どうせそういうとこにはコンサル出身者が入ると考える方が妥当。
・ 将来的には調べ物だけじゃなく、そこから導かれる方針を実現するための組織変革の役割を担いたいなと。
・ インターンをさせてもらうマーケットインテリジェンスという部門は割りとやりたいことに近い。
・ がんばってバリューを出してくしかないだろーよ。じゃあどうやって。
みたいなかんじ。
どうでもいい話のついでに、カンフーパンダから一節を。
The past is history, the future is a mystery, and today is a gift.
That's why it's called the present.
訳すと、微妙な感じなるんだけれど、日本語を当てるとすればこんな感じか。
過去はヒストリー、未来はミステリー。だけど今日という日は(天からの)贈り物なんだ。
だから、英語で「今」のことを「プレゼント」っていうんだよ。
これはあんまりよろしくない傾向なんだけど。
過去 → 現在 → 未来 みたいなフレームに今の自分をつっこむことができたら、
自分の立ち位置も見えてくるのかしらと考えてみた。
過去については変わらないものだし、
ブログに書いてあるのはだいたい過去のことだし、
なんとなく積み上げる分の積み木のピースはそろっている感じなんだけど、
ええと、私はその積み木で何を作ろうとしていたのかなというのが
現在や未来についての自分を説得するストーリーが組み立てられない
今の心境にちかいのかも。
川岸にレンガを積んでいます。
橋が架かったら、みんなの生活が便利になるのです。
だと、希望のもてる話になるし、
レンガを積んでいます。今日は暑いです。レンガは重いです。
だと、あんまり楽しくないよね。
自己物語っていうのはとても重要、少なくとも私にとっては。
未来、未来。みくじゃなくて、みらい。
どうでもいい話、私が幸田クミがミクじゃなくてクミだと覚えた頃には、
彼女はすでにマスコミにあんまり取り上げられなくなってた。
羊水発言とかあったなー (古)。
はい、クミちゃんじゃなくてみらいちゃんの話ですが(ほんとどうでもいい)。
まず、ボストンへ来たのはSoLに関わる仕事ができないかと言うことだったのだけど、
ワークショップにも満席で参加できなかったし、
P.センゲにアポ取ろうにもメール返事こないし、
MBAの授業や勉強は思ってたよりも時間を食うし、
いろいろ言い訳があって何にも進んじゃいない。だっさー。
いま、少し現実的なのは、日本へ帰って「ご年齢とご経験が一致しませんね」って言われながら
過去の経験レベルに基づいたびみょーな仕事を探すよりも、
それよりはMBAが評価されるこっちでの就職を探すこと (そして履歴書に年齢欄がない)。
米国での就職と言うのは、留学生にとってはより狭き門なのだけどさ。
幸い、メンターと良い関係を築けているので、関心のある企業があれば知人を紹介してもらえる。
いくつかプロジェクトをやったので、P社のチームからもReferenceも書いてもらえるし。
少なくとも、英語圏での仕事経験のない留学生と比べれば優位。
永住権持ちやネイティブと比べたら超不利。これは考えても仕方ないけど、
仕事を探すときに考慮すべき点。
ほかに今度の就職で留意すべき点は、ばかばかしい話、今さら業界と職種。
(今までの経歴にびっくりするほど一貫性がないからねぇ)
いい加減、自分が何屋なのかをはっきりさせられていく職種であることと、
業界にしても、絞ることの意味がようやく腑に落ちてきた。
ふつうの人と比べて軽く10年ほど遅いけどさ (長生きしよう)。
うーん。
で、気づくのが就職、就職、就職というので思考が停止していること。
結局シュウカツしながら思考を深めていくしかないのかもしれないだろうけど。
行動するしかないなぁ。
漠然としていて、また誰かに相談しないといけない内容としては、
・ 今のメンターがやっているような業界や競合に関するリサーチは性に合っている。
・ コンサル機能の内部化(外部の戦略のみコンサルは仕事が減ってる)は私にとって有利か?
・ 全然そうでもなくて、どうせそういうとこにはコンサル出身者が入ると考える方が妥当。
・ 将来的には調べ物だけじゃなく、そこから導かれる方針を実現するための組織変革の役割を担いたいなと。
・ インターンをさせてもらうマーケットインテリジェンスという部門は割りとやりたいことに近い。
・ がんばってバリューを出してくしかないだろーよ。じゃあどうやって。
みたいなかんじ。
どうでもいい話のついでに、カンフーパンダから一節を。
The past is history, the future is a mystery, and today is a gift.
That's why it's called the present.
訳すと、微妙な感じなるんだけれど、日本語を当てるとすればこんな感じか。
過去はヒストリー、未来はミステリー。だけど今日という日は(天からの)贈り物なんだ。
だから、英語で「今」のことを「プレゼント」っていうんだよ。
土曜日。ハーバードスクエアへ足を伸ばして、美術館へ行ってきた。美術には全く詳しくないが、美術館ですてきな絵画や彫刻を見ると、なぜだか気分は良い。
芸術家というのが職業として成立することについて、ぼんやりと思考をめぐらせたりしたり、英国時代に比較文化学のアンドリューが話していた文化や芸術の話を思い出したりしていた。
唐突に、絵画と写真の共通点と違いみたいな話を思い出した。絵画と写真の違いの1つとして、写真は絵画と違って嘘をつけない、真実を写すものという思い込みがあるが、実際は写真も写す対象を選んでいるし、その対象をどのようにフレームに収めるのかを写し手が選択し、白黒なのかカラーなのかを選択しているのだから、単なる無作為に切り取られた客観的な現実の一部というものではなくて、そこには写し手の意図が介入していると言う意味で絵画と共通していたり。
また、対象として選ばれる物体も、形や色、対比されるもの、社会的背景によって、写真には単なる意味なき存在としての現実の一部ではなくなって、なんだかんだの意味が与えられる。そんな意味を持つ写真というものは、アートなのかもしれないし、メッセージなのかもしれないし、プロパガンダなのかもしれないし、細かいことは写真を写す側と、それを見る側の関係性によって決めてもらえばいいと私は思う。要は、写真にしても絵画にしても作り手の意図があるコミュニケーションのツールだよなという点において共通点があるのだよなと。
絵画の場合には、ここにさらに作者の技法だとか、主観が強く介在するように思う (もちろんそう思わない人もいるだろうが)。色使いや、筆使い、あるいは筆を使わないことで、絵画というのは写真よりもときどきリアルだったりする。ここでのリアルというのは、私のアタマの中のイメージにより近いということで、例えば、とてもラフなタッチで描かれた大きな岩が転がる力強くて美しい山の風景画は、私が山を歩いているときに自分がデジカメで撮った写真よりも、私が実際「見たもの」にずっと近い。見るという行為は、私という主体を介して行われるものであり、絵画は描き手や表現技法を通して、私にとっての現実にぐっと接近してきたり、あるいは私には見えなかったものを見せてくれたりする。

昨日は、とても気に入った一枚があった。作者は、忘れた。ヨーロッパの町を行くパレードの様子なのだが、古いレンガ造りのヨーロッパの建物、通り沿いに続く大きな街路樹、馬に乗った兵隊、大小さまざまな馬車と、それに乗った高い身分だと思われる人たち、軍服と軍帽で警備に当たる兵隊、その後ろに群がってパレードを一目見ようとする群衆などが描かれている。しかし、驚いたことに、近づいて見てみれば、前述のどれも実際には描かれてはいない。たくさんの群集は、たった2本の直線的な筆のストロークで、馬車は数本の縦横のストロークの組み合わせだ。葉が生い茂るように見える木々は、実は色とりどりの曲線の集合体だった。とにかく私たちの見るという行為は、自分の意識や無意識により、単なる曲線や直線の集合体に意味を与えるという行為なのだということがよく分かる。
一見理解しがたい絵を見たときや、理解しがたい考えを聞くとき、そうか、それはあなたにはこういうふうに見えたんだねと、いったん相手の立場に足を下ろして考えられるようなスタンスを心掛けられればと。
芸術家というのが職業として成立することについて、ぼんやりと思考をめぐらせたりしたり、英国時代に比較文化学のアンドリューが話していた文化や芸術の話を思い出したりしていた。
唐突に、絵画と写真の共通点と違いみたいな話を思い出した。絵画と写真の違いの1つとして、写真は絵画と違って嘘をつけない、真実を写すものという思い込みがあるが、実際は写真も写す対象を選んでいるし、その対象をどのようにフレームに収めるのかを写し手が選択し、白黒なのかカラーなのかを選択しているのだから、単なる無作為に切り取られた客観的な現実の一部というものではなくて、そこには写し手の意図が介入していると言う意味で絵画と共通していたり。
また、対象として選ばれる物体も、形や色、対比されるもの、社会的背景によって、写真には単なる意味なき存在としての現実の一部ではなくなって、なんだかんだの意味が与えられる。そんな意味を持つ写真というものは、アートなのかもしれないし、メッセージなのかもしれないし、プロパガンダなのかもしれないし、細かいことは写真を写す側と、それを見る側の関係性によって決めてもらえばいいと私は思う。要は、写真にしても絵画にしても作り手の意図があるコミュニケーションのツールだよなという点において共通点があるのだよなと。
絵画の場合には、ここにさらに作者の技法だとか、主観が強く介在するように思う (もちろんそう思わない人もいるだろうが)。色使いや、筆使い、あるいは筆を使わないことで、絵画というのは写真よりもときどきリアルだったりする。ここでのリアルというのは、私のアタマの中のイメージにより近いということで、例えば、とてもラフなタッチで描かれた大きな岩が転がる力強くて美しい山の風景画は、私が山を歩いているときに自分がデジカメで撮った写真よりも、私が実際「見たもの」にずっと近い。見るという行為は、私という主体を介して行われるものであり、絵画は描き手や表現技法を通して、私にとっての現実にぐっと接近してきたり、あるいは私には見えなかったものを見せてくれたりする。

昨日は、とても気に入った一枚があった。作者は、忘れた。ヨーロッパの町を行くパレードの様子なのだが、古いレンガ造りのヨーロッパの建物、通り沿いに続く大きな街路樹、馬に乗った兵隊、大小さまざまな馬車と、それに乗った高い身分だと思われる人たち、軍服と軍帽で警備に当たる兵隊、その後ろに群がってパレードを一目見ようとする群衆などが描かれている。しかし、驚いたことに、近づいて見てみれば、前述のどれも実際には描かれてはいない。たくさんの群集は、たった2本の直線的な筆のストロークで、馬車は数本の縦横のストロークの組み合わせだ。葉が生い茂るように見える木々は、実は色とりどりの曲線の集合体だった。とにかく私たちの見るという行為は、自分の意識や無意識により、単なる曲線や直線の集合体に意味を与えるという行為なのだということがよく分かる。
一見理解しがたい絵を見たときや、理解しがたい考えを聞くとき、そうか、それはあなたにはこういうふうに見えたんだねと、いったん相手の立場に足を下ろして考えられるようなスタンスを心掛けられればと。