どうしようもない男の呟き

どうしようもない男の呟き

どうしようもない男のどうでもいい呟き。どうしようもなくヒマな方はどうぞ。
たまに、まともなこともつぶやきます。多分。


Amebaでブログを始めよう!

久しぶりのブログアップです。


震災発生以来、世の脆さ、儚さ、素晴らしさ、そして人のすることのどうしようもなさや愛おしさ、そんないろんなことに向き合って、気がつけば暑い夏も8月下旬。震災から5ヵ月半。


あの時、私は東京に居たので直接被災しているわけではないが、原発事故の現場で危機に直接対峙していた方々に、この命を借りてしまったことを肝に銘じねばと心に固く誓ったのも5ヶ月前。


気がつけば、その思いも、明らかに震災前とは違うはずの「日常」の中でうやむやになりがちで。以前と同じような生活が惰性で続く。


初心忘れず、持続させることって一番すごいことですね。全然出来ていないと謙虚に認めることも、怠惰な惰性の日常の中では難しい。





そんな中、今日は、会社で、一日べったり、今後の戦略を考えるミーティングがあり。


それも中堅以上のおじさんのみ(私も30代後半なのでその部類に入るが・・)のMTG。


我が社的にはあまりない試みで、MTGの場は、あまり自分の意見を述べることに慣れていない人のはじらいや、微妙な人間関係が交錯しつつ、現場のヘッド以下、初々しい感じで思いの丈を述べ合ったのでした。




我が国の世の中の真理(大多数の人間集団の真理)として。

一. 一つの組織において、上に行けば行くほど、人間のレベルは下がり、「ありえない」仕事がまかり通る。

一. 一つの組織において、組織としての全体最適化は、部分最適化に劣後する。

一. 一つの組織の構成員は、組織の構成員であること、給料の対価が何であるか、よく忘れる。


最近私がよく思うことです。




我が社も悲しいかな、例外にはならず、安定的にそのような真理があり。

それは、本日のMTGでもいかんなく発揮されたのでした。



そうすると、何が起こるかというと。




「しょうがない」的な大人の対応か。


「何でそうなんだよ。ちげーよ」的なジャイアン的対応か。


「もしドラ一直線!」的な美しい対応か。




いずれにせよ、一つの組織が一丸になって燃え上がるような、そんなドラマのようなことはなく。


最近の政治の世界のように、しれーっとした雰囲気でMTGは進行。





私はというと。


結構な中堅どころなので。


チームとして次に続くMTGにしたくて、積極的に参加(してたはず)。


が、あまりに議論がまどろっこしく、議論を取り纏める立場の人の、明らかにやる気のない、のらりくらりな感じが、癇に障り、途中からジャイアン化しました。




普通に考えれば分かるじゃん


現状にとどまれない以上、知恵を振り絞って、怖くても前に進むしかないじゃん


多くの若手をリードするには前を走るしかないじゃん


何より覚悟するしかないじゃん




ということを、大人の言葉で、シチュエーションとアジェンダに応じて、述べさせていただいたのでした。




ただし、ジャイアンなので、謙虚ではなかったかもしれない。


気持が入ってしまって、なりふり構っていなかったかもしれない。


そして、直接的な言い方で、直球勝負、顔面直撃したところはあったかもしれない。


はたまた、何となく険悪な雰囲気をかもし出してしまったかもしれない。




けれども、我慢ならなかったのです。

TVの向こうの永田町の世界ではなく、自分の目の前の、自分のことなのです。スタイルはどうであれ、現状にぶつかっていかないと、うそになるのではないかと思ってしまう。



それでも・・・、終日のMTGで一応、ヘッド以下、皆が真摯に参加していたのだから、構成員として、謙虚なジャイアンであるべきであったと思う、今この時です。



明日もMTGはあるので、せめて明日につなげよう。




これ、一応、反省文です。

自分に対する備忘録として。



当然のことですが


放射能は目に見えない


その被害も、なかなか想像できず、わかりづらい



目に見えず、よく分からないものに対して


人は最高の恐怖を持つもの



何だってそうだ



全く知らない病気に突然なったら


誰だって恐怖に慄く



未知の病気でなくとも、自分にとって初めてなら、同じこと



今回は、日本国民全員が初体験



初めての事柄に対する恐怖心に打ち勝つ必要があるのです


黙って、耐える部分がどうしても必要になってくるのです



東京に居る私は


他人のことを言う前に


原子炉の制御のことを言う前に


そういう意味で自分のコントロールを万全にしたいと思ふのです




徒然に


まさに今、自分の身を守るために避難中の方


被災地の救援に当たっている方


そして、原発の放射能を食い止めるために奮闘いただいている方々



まさに戦いはピークが続いている



これは、5年から10年ぐらいの時間軸の戦いになるのでしょう


今の超短期の戦いで、できる限り多くの方の無事を確保し


中長期的に、安全で快適に過ごせる環境と社会を整備していかなくてはならない


やらなきゃいけないことはたくさんありますね


衣食住



私の仕事は金融なので


超短期のフェーズでは私のスキルはほとんど役に立たない


しかし


中長期のフェーズで、環境・社会整備に向け、金融は大きな役割を担う




あぁ


これまで、プロとして、いろいろ経験を積んで、しんどい思いをして、成長してきたのは


今回の危機を乗り越えるためだったんだと


今、本当に思っています


ここで仕事をしないでどこでする


知恵を振り絞って、仲間と知恵を出し合って



この国の復活に携っていきたいと思っているところです






未知の物に対する恐怖心がいかなるものか、東京の人達は実感しているところでしょう(私も東京在住ですが)


「最悪の事態」に対する恐怖心


いろいろな情報や言葉が飛び交い、恐怖や不安を抑えきれなくなった人たちが、気持を吐き出し、周りを巻き込もうとする


皆さん


震災前までに、ヒジョーに有難いビジネス本をたくさん読んでいたのではないですか


最悪の事態を覚悟すれば落ち着いて行動できる

→最悪の事態とは具体的に何か?ということについて何も知らないのに騒いでいるだけなのではないか(結局、東京のことだけ、自分の住む地域のことだけを心配しているのではないか)


仲間を信じること

→国や原発の現場で決死の作業を行っている方々の取り組みがそこまで信じられないか(結局、銀行の取り付け騒ぎを起こす群衆と同じではないか)


あきらめないこと

→戦後の復興の経験値、日本人の粘り強さ、這い上がる強さにもっと自信を持ってもいいのでは(何故、被災地から遠く離れていて、少し停電するだけで日常生活にほとんど支障のない東京でパニックっぽいことになるのか)



私は阪神大震災も経験しましたが


大抵の災害は他人事ですませられる


自分が被災者として当事者になることは所謂「想定外」


被災した方々、原発事故に対する恐怖に「被災」している方々皆、心底、夢なら早く覚めてほしいと思い続けた

1週間だったと思います


けれど、これはどこまでいっても現実なのです



首都東京も巻き込んだ、全国民が向き合わなくてはならない現実


非常にシビア


今年の夏はクーラーも充分に使えないかも


・・・なんていうレベルの心配事はどうでもよくて



私が強く思うのは



これで日本は再度強い国になれるだろうということ


逆境に対するこの国の強さを私は強く確信する




今、自分に本当に出来ること


①募金すること

②節電すること、買いだめしないこと

③自分の役割を果たすこと

④仲間を信じること

⑤あきらめないこと


・・・ぐらいしかない


これぐらいしっかりやりたいと、一人の人間として思います




非日常が続いている。

マンガの中にいるようで、そうではないことに気付く瞬間。

東京や関東、そして被災地の東北まで、まさに国難。

そして、原発の現場で懸命の対応をしている方々のことを思い、沈痛な気持ちになる。

東電の対応に非難はあるだろうが。

まずは、現場の方々の無事の帰還と、事故の収束を祈るしかない。

みんなが応援してます。
現場の方々、頑張って下さい!

ここ数年の経験上


「あり得ない」ということは世の中ない


ということを学んだが



やっぱりそうですか


総理



世の中、こんなに適当な感じでいいのなら・・・


皆が本当にそう思い始めたら



我が国は本当にダメになる





これでも何となく許されるんだ


しらけた雰囲気が世の中に広まり始めたら


我が国はpoint of no returnに到達した証




民主党の先生方



これ以上、がっかりさせないで下さい



次の代表の対抗馬なんて調整しなくても、ダチョウ倶楽部のように



はい!はい!って立候補するもんじゃないのか



そんなに危機感がないものなのか?



今、勝ち目がなくても、一歩前に出る政治家を国民は求めているのに




オチはありませんが。脱力した一日でした。


物事には区切りがあり、日本のfiscal yearである3月末は年度末ということで、一つの区切り感がある。

今年度は、何ができて、何ができなかったか。何が足りて、何が足りなかったか。振り返るとざっくざっく出てくるもの。

一つクリアなことは、振り返った時に後悔したくないということ。自分の信念や覚悟、目標から外れないこと。ただそれだけなのです。

今年度は、マーケット環境も悪く、思うようにならないことばかりだったけれど。環境のせいにせず、もっと自由にやりたい。それだけの力を貯めていく努力を地道にやっていきたいなと。そんなに大層なことではないけど、これをやったらスゴいことになることを僕は知っている。
今日は、嫁が外出、ムスメと二人で公園ツアー。

ムスメは最近のマイブーム、インラインスケート。ワタクシは、4月4日のハセツネ30Kに向け、ジョグ。2週間ぶりのジョグなので、軽やかな空とは違って、カラダが重い‥。

今年度も後少し。仕事も大体見えてきて。

来年度はどうするか…。

今の職場は、チームも環境も良く、何か言ったら罰が当たるぐらいで、本当に有り難いことだ。

次、わくわくするような目標は何にするか。自分をもっと追い込んで成長させるために、何をするか。
アセらず、サボらず、自分に水をやっていこうと思う、いつもの日曜日でした。

なんで、「自分は、大体間違えることなく、大抵うまくやれる」と無邪気に思ってしまうのだろう・・・。


気づいて、忘れて、思い出して、反省しての繰り返しですが。


繰り返しの中に発見があったりして。


つまんない自分にほっとする瞬間が、生きてて幸せを感じる時のひとつですね。

最近、何かもっともらしいことが、もっともらしい雰囲気で語られることが多いような気がする。


「民意」とは、よく言ったものだ。


民意とは抽象の塊で、誰かが言ってるものでもないし、最大公約数を取ったときにそれらしくなるかもしれないけれど、結局は本質を突いていないものであるかもしれない。誰も当事者として発言はしていないから。


そんな「民意」を聞きながらなんて、言っているから、つまらないことで足をすくわれるんじゃなかろうか。


ポリシーがはっきりあるんなら、絶対安定多数の議席があるんだから、やればいいんだ。



それしかないでしょ。



「市民団体」とか、「民意」だとか、そんなまやかしはどうでもいいし。政治資金の話も本当にどうでもいい。



まずは、仕事をしてほしいと切に願う。次の選挙のためのパフォーマンスもいらないし、足を引っ張る人に正面から向き合う必要もないし。


日本の新聞とかテレビとか、本当にクオリティが低い。逆に言えば、新聞とかテレビが言えば、簡単一丁、「民意」ができあがる。


そんな茶番はどこまでも続かない。


日本の借金は日本人が背負っている。戦時国債を買っているのと同じポジション。国債の流動性がなくなり、円金利が上がれば、国民全員火の車。すごいリスクを取っている。



朝青龍もそうだけど、強いだけじゃだめだというが。強くないと始まらないでしょう。強くないと存在意義がないでしょう。


政治家も命がけで仕事するんなら、いいでしょ。ぼこぼこにたたかれても、覚悟決めて、この国のために仕事するなら、いいでしょ。


本来の勝負で命をかけてがんばるなら、いいでしょ。ちょっとぐらい服装がだらしなくても。



なりふり構わずやる人に、僕はベットしたい。



世の中の多数意見に馴染む、品格のある人に、今の種々の困難は乗り切れると思えるほど、鼻くそみたいな能天気にはなれないな。