榴ヶ岡も初天神 | ふくらく通信「ゆるゆる歩記」

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暦に初天神とある1月25日。
仙台の榴ヶ岡天満宮も、初天神の日にご祈祷がある。

震災によって本殿が損壊したため、数年は本殿の脇に仮社殿が置かれていたが、2013年に修復が終わり、その年の11月には、つつがなく御祭神も本殿にお戻りになった。
よって、今はもとのように正面のご本殿にお参りできる。

この初天神の日には、鷽替えという神事も行われる。
江戸の頃から、亀戸天満宮(亀戸天神社)では「鷽替えの神事」があり、木彫りの鷽鳥を取り替えて「厄災を嘘に変え、吉を招く」という祈念がなされるそうだ。

仙台の榴ヶ岡天満宮でも、鷽替えのお守りが用意されている。
鷽替え祈願もあるが、この時期は受験生のための合格祈願も多いそう。
優れた学者であった、道真公にあやかろうというものだ。


天満宮に祀られた菅原道真公は、承和12年6月25日(845年8月1日)に生まれ、延喜3年2月25日(903年3月26日)に亡くなったとされている。

生まれも命日も25日ということで、年の初めである一月の25日には、「初天神」として祭りや儀式がある。


その道真公だが、天神様になったのには、政敵であった藤原時平の讒言が発端だと言われている。


昔から、事実を偽って悪く言うことで、他人を陥れる者はいたらしい。
他人を陥れるためにする、その言動を「讒言(ざんげん)」という。
だがこれは、卑劣な行為だ。

讒言をする者は、どんな罰を受けるのだろう。
歴史の中では、讒言をする者に、恐ろしい出来事が待っていたようだ。


時は平安時代、藤原時平の讒言によって、道真公が大宰府に左遷され、貧しい暮らしに身を置きながら亡くなった。
その後、都に異変が起きたというのだ。


まず、道真公の死から6年後、時平が急死する。その後も、道真公の死から20年経って朝廷の跡継ぎが次々に病死した上、さらにその7年後には清涼殿に落雷があった。


清涼殿の落雷の時、朝廷の要職にあって、以前に大宰府の道真公を監視する役目を担った藤原清貫が焼死し、他にも多くの死傷者が出たという。

この変事に、人々の間に道真公の怨霊による祟りだという噂が広まった。

生前の道真公自身は、天皇を恨むことはなく、ただ誠実に過ごした人であったという。
しかし、無実の罪をきせられたことは無念であり、正したいとは思っていたろう。

道真公の怨霊という話が出たのは、道真公を追放した者達が、人を陥いれる罪悪を思ったからだろう。

だが、卑劣な者への「天罰」というのも、本当にあるかもしれない。


都の変事や怨霊の噂によって、朝廷は菅原道真の名誉を回復し、道真公のために北野天満宮を建てたという。


さて、初天神の日。

道真公にあやかって、合格祈願や学問の向上を願うも良し、道真公の人生から誠実さと讒言の罪を思い起こして、心を清めるも良しである。


もしも、初天神の日に祈るなら、さて何を願おうか。
近頃は、政治家が自分に都合良く憲法を変えようとして危うい。傲慢な政治家の、ひとりよがりな政治をひっくり返してもらいたいかな。

参考:太宰府天満宮 
   榴ヶ岡天満宮 
   亀戸天神社
   北野天満宮
   南里みち子著『時平像の形成』 
2012年1月公表記事を再編集