サークルにいると、とかく手話の勉強に傾きがちになりますね。
ある程度の手話ができるようにならないと、その先が開けてこない
ので、それはそれでまぁ構わないんですけど、やっぱり小手先の
手話だけ覚えて終わってしまうのはもったいない気がします。
これは、手話が単なる語学学習という要素だけでなく、
聴覚障害者のこととか、文化的なマイノリティの要素とか、
そういう色々な背景があるからではないかと思うのです。
手話には、言語学習という要素と、身近な異文化との接触とか、
障害者問題との関わりといった要素があるのですね。
身近にいる聴覚障害者が、実は日常的に差別を受けている。
そんなことを知って、どうにかしたいと思うようになった人が、
サークルに長く残って活動をしていくようになったり。
そういう手話サークルで活動しているうちに、様々な行事に
参加したり、自分でも企画したりするわけですね。
よくある企画の一つに、「聞こえない体験をしよう」とか、
そういう企画があるわけですが…。
この企画、話しをしてみると、面白かったりします。
一般的には、
耳栓や手で耳をふさいだり、テレビやビデオの映像を消音して
見たりするわけですね。あとは騒音の中で会話してみるとか。
そういう企画では、相手の話が「聞こえない」ことを体験する
ことができるわけです。
まぁ、それはそれで面白いのでしょうけど。
少し考えると、違う見方が提供できることが分かります。
そもそも聴覚障害者は、「これから誰かが何かを話すぞ」とか、
「今この人が話をしているぞ」という前提でその場にいるのでは
ないのです。
誰がどういうタイミングで会話の口火を切り、どんなテーマで
会話が進むかもわからない。話の流れがどう変わり、誰がそれに
口をはさみだすかも分からない。
そもそも、声があるかどうかすら、分からない環境にいるわけで。
みんなが笑ったりそれぞれ動き出したり、大きな反応をしてから、
「あれ、何かあった?」という状況になっています。
その場にいれば、嫌でも聞こえてくる声がありますね。
耳ざとい人であれば、隣のグループの話にまで口を出してきたり。
逆に、その場にいても聴覚障害者は会話に参加しているわけではない
とも言えるかも知れませんね。
みんなが、何か共通の話題で、一斉に笑い出す。
自分だけ「何があったのか」まったく分からない。
自分が手話で話しているときに、こそこそ話してクスクス笑い出す。
もしかしたら、何か変な事を言っているのだろうか?
聞いてみても「いやいや、何でもない」とニヤニヤ笑い。
こういう疎外感。
想像するだけでも嫌な感じがしますね。
聞こえる人が同じ体験をするのは「いじめ」か「仲間はずれ」のとき
くらいではないでしょうか。
これを、単にテレビの音を消したり耳をふさいだりして、
「分かったつもりになる」というのが、一番イタい企画では
ないでしょうか。
「聞こえない体験」というのは、耳の体験だけではないのです。
少なくとも私は、そう思っています。
心理面にまで踏み込んで、体で感じて理解するくらいまで深い体験を
提供しないと、なぜサークルで「しゃべらないで」と言われるのかを
理解できないのかも知れませんね。
企画には、意図があります。
意図を大事にしなくては勢いが滞りますし、効果が薄れるわけで。
「聞こえない体験」というのは、何を体験することなのか。
その体験を味わうために、どういう環境を設定すると良いのか。
企画する前に、しっかり考えなくてはいけませんね。
ちなみに、今回の心理面に踏み込んだ「聞こえない体験」を
サークル内でやってみようと思うのですが、準備物など色々を
教材化することも含めて、企画をちょっと考えています。
1セットを1000円で販売するとしたら、どなたか購入を希望される
方はいらっしゃいますか?いらっしゃれば一般教材化も検討します
ので、メールを下さい。
こちらまで→ fuku-wave@mbn.nifty.com
収入は私の所属サークルの事業収入になります。
発送時期未定、送料別になるでしょう。
真剣にサークル活動をしたい方と長くお付き合いしたいので、
お金をとる企画にしたいと思います。
ある程度の手話ができるようにならないと、その先が開けてこない
ので、それはそれでまぁ構わないんですけど、やっぱり小手先の
手話だけ覚えて終わってしまうのはもったいない気がします。
これは、手話が単なる語学学習という要素だけでなく、
聴覚障害者のこととか、文化的なマイノリティの要素とか、
そういう色々な背景があるからではないかと思うのです。
手話には、言語学習という要素と、身近な異文化との接触とか、
障害者問題との関わりといった要素があるのですね。
身近にいる聴覚障害者が、実は日常的に差別を受けている。
そんなことを知って、どうにかしたいと思うようになった人が、
サークルに長く残って活動をしていくようになったり。
そういう手話サークルで活動しているうちに、様々な行事に
参加したり、自分でも企画したりするわけですね。
よくある企画の一つに、「聞こえない体験をしよう」とか、
そういう企画があるわけですが…。
この企画、話しをしてみると、面白かったりします。
一般的には、
耳栓や手で耳をふさいだり、テレビやビデオの映像を消音して
見たりするわけですね。あとは騒音の中で会話してみるとか。
そういう企画では、相手の話が「聞こえない」ことを体験する
ことができるわけです。
まぁ、それはそれで面白いのでしょうけど。
少し考えると、違う見方が提供できることが分かります。
そもそも聴覚障害者は、「これから誰かが何かを話すぞ」とか、
「今この人が話をしているぞ」という前提でその場にいるのでは
ないのです。
誰がどういうタイミングで会話の口火を切り、どんなテーマで
会話が進むかもわからない。話の流れがどう変わり、誰がそれに
口をはさみだすかも分からない。
そもそも、声があるかどうかすら、分からない環境にいるわけで。
みんなが笑ったりそれぞれ動き出したり、大きな反応をしてから、
「あれ、何かあった?」という状況になっています。
その場にいれば、嫌でも聞こえてくる声がありますね。
耳ざとい人であれば、隣のグループの話にまで口を出してきたり。
逆に、その場にいても聴覚障害者は会話に参加しているわけではない
とも言えるかも知れませんね。
みんなが、何か共通の話題で、一斉に笑い出す。
自分だけ「何があったのか」まったく分からない。
自分が手話で話しているときに、こそこそ話してクスクス笑い出す。
もしかしたら、何か変な事を言っているのだろうか?
聞いてみても「いやいや、何でもない」とニヤニヤ笑い。
こういう疎外感。
想像するだけでも嫌な感じがしますね。
聞こえる人が同じ体験をするのは「いじめ」か「仲間はずれ」のとき
くらいではないでしょうか。
これを、単にテレビの音を消したり耳をふさいだりして、
「分かったつもりになる」というのが、一番イタい企画では
ないでしょうか。
「聞こえない体験」というのは、耳の体験だけではないのです。
少なくとも私は、そう思っています。
心理面にまで踏み込んで、体で感じて理解するくらいまで深い体験を
提供しないと、なぜサークルで「しゃべらないで」と言われるのかを
理解できないのかも知れませんね。
企画には、意図があります。
意図を大事にしなくては勢いが滞りますし、効果が薄れるわけで。
「聞こえない体験」というのは、何を体験することなのか。
その体験を味わうために、どういう環境を設定すると良いのか。
企画する前に、しっかり考えなくてはいけませんね。
ちなみに、今回の心理面に踏み込んだ「聞こえない体験」を
サークル内でやってみようと思うのですが、準備物など色々を
教材化することも含めて、企画をちょっと考えています。
1セットを1000円で販売するとしたら、どなたか購入を希望される
方はいらっしゃいますか?いらっしゃれば一般教材化も検討します
ので、メールを下さい。
こちらまで→ fuku-wave@mbn.nifty.com
収入は私の所属サークルの事業収入になります。
発送時期未定、送料別になるでしょう。
真剣にサークル活動をしたい方と長くお付き合いしたいので、
お金をとる企画にしたいと思います。