母の手

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母はよく言っていた。
「私が父親役もやるから、大丈夫だからね。私があんたたちを守るから」

いつも言っていた。
母は本当に強かった。
トラックの運転手は力仕事。
土日は養鶏場で働いていた。
本当に働きものの母。
140㎝の身長で大きな荷物をひょいひょい運び、8トントラックにひょいっと乗り込む。

力こぶもすごくて💪
かっこよかった。
今でもかっこいい。

ゴキブリも新聞紙🗞丸めて一発。
母が泣いている姿は一度だけしか見たことがない。

あれは、5、6歳くらいの頃、、。
家に帰ると母が1人で部屋のソファでワンワン泣いていた。
私は母が泣いているのを始めて見たので動揺した。
「お母さんどうしたの?どこが痛いの?」
駆け寄ると
母「にこちゃん、お父さんに会いたい?」
と泣きながら聞いてきた。
私はとっさに
「会いたいと思わない。だってお母さんがお父さんでしょ?会いたくないよ」
と答えていた。
それが本当の気持ちなのか、、
わからなかった。
しかし、母の涙に動揺して、とっさにそう答えていた。
私は父親に会ったことがない。
会いたいか?と聞かれたら、正直どちらでもよい。
どんな人か興味はある。
しかし情も愛も全くない。
逆に憎しみもない。
なんの感情もない。
他人のような感覚。
目の前に急に現れたら
「あーそうですか。あなたが私の父親ですか」という感じなのだろうか。
大好きな母を裏切ったのだから
憎しみがあっても良さそうだが、
父と母のことはやはり当人でないとわからない。
私は会ったこともない父親に対して
なんの感情もない、というのが正直な感覚。
母の涙は
この先もずっと私の頭から離れなかった。

母は学校の行事は必ずきてくれた。
仕事の途中で、
いつも大きなトラックで。
参観日はもちろん、昔は父親参観日というものもあって、、
父親参観日のプリントは破って捨てて、母に見せてないのに、
知らないはずなのに、、
父親参観日に母は来てくれた。
後ろから手を振ってた。👋
周りの目も気にせずに。
周りの父親達の中に混ざっていた。
みんなスーツだったのに
母は仕事着できてた。
「その格好はなんとかしてよー」
いつも母にお願いしていたが、
母は「ごめんごめん🙏着替える時間がなくて」なんて笑ってた。

参観日には、
今の時代では考えられないことだが、
「父親の似顔絵を描いてください」
という課題。
私は堂々と母の似顔絵を描いた。

おそらく、
相当お金には困っていたはずなのに、
全く私たちには感じさせなかった。
自分の家にお金がないことをあまり実感していなかった幼少期の私は
友達が何か習い事をすると
私もやりたくなり、母におねだりした。
「〇〇習いたい」
母「本当にやりたいことなの?」
「やりたい‼️」
母「わかった。頑張るんだよ」
と、なんでもやりたいことはやらせてくれた。

月謝が高いとか気にしていなかった当時の私は
スイミング、書道、バイオリン、エレクトーン、そろばん、と、次々と習い事を始めてはやめてしまっていた。
続いたのはスイミングと書道だけ。
姉もたくさんの習い事をした。
母子家庭でお金ないはずなのに。
母は文句も言わずに月謝を出してくれた。

大人になってから
すごく申し訳ないことをしたと反省した。

母は怒ると怖かった。
本当に怖かった。
ビンタされたこともあった。

ありがとうとか、ごめんなさいとか、
ちゃんとできなかった時に母はすごく怒った。
人に感謝しなさい。
とよく言っていた。


私は母が誇りだった。
もちろん今でも誇り。
だから母子家庭で辛かった思い出はない。
貧乏な思い出もない。
母子家庭だからできなかったことも思いつかない。
母は土日も働いていたけど、
もちろん休みをとっては、たくさん色々なところに遊びに行った。
キャンプ、海、山、釣り、遊園地やディズニーランド。
色々遊びに行った。
だから幼少期に、お父さんいなくて悲しいとか寂しいとか思ったことはない。
強がりではなく。

いつもガサガサの手で、私と姉の手をしっかり握ってくれて、
眠くなるとおんぶしてくれた。
私は母に甘えたくてよく嘘寝をした。
車で寝たフリした。


母の背中は暖かい。



母の手は小さかったけど、
真っ黒で綺麗じゃなかったけど、
すごくすっごく大きかった。