自己嫌悪って実は1番辛い作業だと思う

自分をダメな奴だと、嫌いだと、否定することが確実に心を消耗していく。

精神をすり減らした先には何も無い。


だいすきだった彼を失ってからは、ポジティブに自分を大切にしようと心に決めて日々生きてきた。


自分を安売りするのも自分を否定するのも辞めよう。

手っ取り早い温もりを求めて寂しさを募らせるそんな自分を蔑ろにする行動はだめだ。

自分の行動で落ち込むことはあっても、それで否定して嫌いになるんじゃなく、それを踏まえて反省して行動しよう。

自分をもっと大切にしよう。
私がもし何もかも失っても、私には世界で一番の味方であるママがいてくれるんだから。

だから、嫌いになる前に反省して成長していきたい。

何もかも無意味だったと思いたくないから。


そんな、無けなしのプライドをもつようにした。


そう思って日々を生きてきた。

私は自分を可哀想な女になんてしたくない。

周りが私を見下して可哀想だと思ったとしても、私は自分を蔑ろにして卑屈になんかなってやらない。それなら孤高に生きたい。飄々としていたい。

それがプライドな気がする。
生きるためのしなやかなプライドも少しは必要だなと。


今までプライドなんて邪魔なものだと思って生きてきた。

事実、いらないプライドもある。でもそれはあたしに言わせればプライドってよりエゴだ。

生きるためのプライドってもんは確かに存在する。

プライドも必要なのだと知った21歳。

今でもまだ大好きな彼がそれを教えてくれたな。皮肉な形で。

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人生そう上手くはいかないもので、自己嫌悪に陥るような自分の価値を軽くするようなことをしてしまったりする。

後悔して激しい自己嫌悪に陥りそうになって、そんな時に自分を助けてくれるのは無けなしのプライドなんだと思った。



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諦めはあったとしても、今でもまだ大好きなまんまなんだな。
まだまだ弱い。