私は佐野洋子にものすごくはまった時がある。

100万回生きたねこの、あの佐野洋子である。


緩和病棟と在宅ケアについて書こうかなと思った時 

 自分がホスピスに対して抵抗感を持つようになったのは 

佐野洋子を読んでからだったことを思い出した。 


どうしてそう思ったのか確かめたくて 

アマゾンからもう一度取り寄せて読んでみた。 


 やっぱり佐野洋子、好きだと思った。 


 けれども病気や命知らずの健康体そのものだった私が読んだときと

夫の一部始終を看取った今とでは

理解度に雲泥の差がある。 


闘病記は嫌いと言いながら 

佐野洋子は「自分が死ぬ」ということ、 

「人が死ぬ」ということと 

がっぷり四つに組んで 

見事な闘病記を結局書いたと思う。 


すでにあれから16年余り経っている。

ターミナルケアについての実践や研究、薬が進んで 

今や別次元におそらく来ていると思う。 


 私は3週間ほどしか在宅ケアを経験していないので、何も言える立場ではない。


 ただ、今の福祉制度は想像以上に進んでいることが分かって驚いたことは確かだ。 

 なにせ国のお金が入っていますからね〜、

と福祉用具の業者の方だったかが 

話されたのが印象に残っている。 

だから一つ一つの単価が異常に高く設定されているんだなと感じた。 

患者側の負担が少ないのであまり可視化されない。 


 夫の場合

 在宅ケアに関わってくれたのは 


主治医 

病院の地域連携室 

訪問看護ステーション(看護師派遣)

訪問医療センター(訪問医派遣) 

地元自治体の地域包括支援センター 

ケアマネ、 

介護認定員 

介護士派遣センター 

それと 

調剤薬局、 

介護福祉用具会社、

 酸素ボンベ会社、 

福祉タクシー、 


 おかげで、私は夫と子どもたちと一緒の貴重な時間を家で普通に過ごすことができた。 

子どもがいる生活は、子どもたちの高校以来のことで私はとても嬉しかった。 


 訪看さんが毎日来てくださり 

バイタルチェックとお風呂や清拭を受け

 整体師さんによるリハビリも入ってもらえた。


夫も話し相手ができて

リズムができたように思えた。 


なので私の場合、在宅ケアにおける負担は感じなかったと思う。 


 ただ、夫の体調が急速に変化して行く時期だったので、 

そこにうまく対応ができていたかとなると

また話はちがう。 


 訪看さんが毎日入れ変わりで来たので

 夫の体調変化を把握するのは難しかったと思うし、 

本来は私が一番わかるべきが、 

そこは経験のない全くの素人、 

限界があったと思う。


逐次適切な薬に変えて行くターミナルケア時期、

訪問医の訪問スパーンは週に一度だった。 

それ以外に訪問医に緊急に来てもらう必要があるかの判断を仰ぐのは、

訪看か家族になる。 

強力にプッシュしたのは結局私だったが、

もっと早く私が強めに動いていれば、

夫の苦しさは早めに緩和されたかもしれない。


 学んだことは 

在宅ケアでの家族の役割はモンスター家族になる決意で 

小さなことでも気になることがあれば強く言う事。 


普通に言っていたら訪看さんにとっては報告書に記載する材料程度の役割になってしまう。 


 振り返って見たら私は毎日細かく報告していたと思う。

 やれ夜中苦しそうだったとか

 食事量はどれくらい、

 本人は苦しくても我慢してレスキューを飲まないとかこまごまと。 


しかしそれを聞いて、訪看さんはケアの方針に生かしてくれはしなかった。

 私がなんとかしてくれと強く言って

初めて訪看も訪問医も動いてくれた。


家族はボーッとしていては

絶対にいけない。

何か積極的に訴えなくちゃいけない、

モンスターになるべきと学んだ。


 私がボーとしていたために、 

さらには運が悪いことに 

3連休と重なったこともあり、 

確実に4、5日のロスはあったと思う。 


それで左肺に水が満杯に近い状態で

たまっていたことがわかり 

主治医のいる病院に急きょ入院、 

緩和ケア病棟に入った。 


しかし水は抜かないことになり、 

強力な薬による緩和に入って行った。

 

この頃になってやっと夫は薬については素直に受け入れるようになったと思う。 

もはや我慢できる体調ではなく、 

自分から、薬を要求するようになった。 


これは主治医の先生と差しで話し込んで「薬による緩和」方針に心底納得してからのことだった。

夫は筋金入りの頑固者である。

人生の最終わずか1週間前のことであった。


 腕の腫瘍の痛さについては、

もっと早くから緩和のやりようがあったと思う。 

夫は麻薬のパッチを絶対に拒否し続けた。

主治医の先生はもっと強く出てもよかったと思う。

いよいよになる前にも 

差しで話し込んでほしかった。 


家族が「痛みは我慢しない」と

100万回言ってもダメだった。 


 筋金入り頑固者用の「痛みの緩和」「超説得術・強力マニュアル」は絶対に必要と思う。 

優しく「お話しましょう」レベルでは通じません。 


 緩和病棟で感じたことはブログでも書いたのでここは省きたい。 


 ナースさんの患者へのきめ細かさの程度には

病院によって差があると思うが、 

主治医の先生が毎日様子を見に来てくれるというのは、 

それは患者と家族にとって

どれだけ「安心」につながったことか。


在宅ケアは、

医療的観点で言えば、私自身に不安が絶えずつきまとったが、

 病院は違った。 

5年間見てくれたお医者さまがすぐにいらっしゃるのだから。


 呼吸が苦しくなった日、

あの日も2人で映画を見てきた。

夕食を食べようとした時

突然吐き気が始まり、

それから約一ヶ月余りで夫は逝ってしまった。


それだけ体調の変化はすさまじく変化していった時期だった。

結果から言えば在宅ケアでのんびりできる状況ではなく、

私につきまとった自信のなさの根源もそこにあったと思う。 


 🌿 🌿


1週間入院していよいよ明日退院という日、 


夫はついに力尽きた。 


私は病院で良かったとつくづく思う。 


あの日の夜、

血圧が下がりだして 

ナースさんがしょっちゅう見に来てくれた。

いよいよ何が始まるか私にもわかった。


ナースさんはチアノーゼが始まった夫の足をさするように指示してくれた。 

たくさん話しかけてくださいとも教えてくれた。 


 おかげで

私は夫の最後の呼吸までずっとそばでパニックにならずに見守ることができた。


これは夫の最後の贈り物だと思っている。 


ナースさんはとても優しかった。 

最後の一呼吸のあと、

ナースさんは、心臓はまだ動いていますよと教えてくれたので、 

私は、ベットに登って隣で一緒に寝てもいいですか?と、すぐに尋ねた。 


ナースさんは「はい、いいですよ」と言って 

夫のパジャマを両手でガシッと引っ張って片脇に寄せてくれたのにはちょっと驚いたが、 


すかさず横に滑り込んで 

心臓が止まったようになっていた私が 

夫の動いている心臓をさすった。 


夜が明けてもまだ私は隣に寝ていた。 

夫はいつまでもあたたかく

柔らかい指を一本一本触ってそっと私の手を絡ませた。

指には意外と肉がついていた。 


 🌿 🌿 


病院から出る車の助手席に座って 

家に戻る時 


私は嗚咽することはなかった。 


主治医の先生も、みんなも見送ってくれて 

あれだけ大泣きしたのに 

 車に乗ったら、ピタリと声が出なくなって 、ものすごく静かになって 


そうしたら

 涙がゾロゾロと目から流れ始めた。 

運転手さんがテッシュの箱をそっと近づけてくれたのが印象に残っている。 


その後も涙が止まることがなく、 

あまりにも不思議な泣き方をしている自分に 

ああ、これがさめざめと泣く、

ということかと発見して 


それでも冷静に声のない涙で

泣き続けた。 


 75年の生涯で初めてのことだった。

あの日以来、

私は多分あまり泣いてないと思う。 


 🌿 🌿 


 49日が終わってもまだ忙しい。 


食事をあげても食べてくれなくて 

それを捨てるときが 

心臓に悪いほど悲しくて苦しくなるのでもうお裾分けはやめた。


結婚以来一人で暮らしたことがない。 

私が我が儘放題できたのも人がいたから。 

今こそ、一人だから我が儘放題かもしれないが

一人だと「わがまま」している感じがしない。 


どうして一人でいることがこんなにさみしいのだろうか。 

おばけでも、夢にでもいいから現れてほしいが

頑固者だからなー。


 🌿 🌿