10月の最初に撮った、
最後の4人家族写真。
孫たちのお手紙も。
周りの人にどうこう言われたり
心配されるのすら嫌がる母が
とにかく最後に望んだことは、
“家族だけに静かに見送られたい”
ということでした。
いやそれだけならまだ
そういう人も多いと思うけど、
何より驚いたのは母が電話の際に
本当は火葬が終わってから
言うつもりだったんだけど
と言っていたこと。
は??
って感じですよね。
“子供たちに迷惑をかけない”が
口癖のような両親で、
元々実家の荷物もかなり整理され、
先祖代々の墓もしまってくれ、
本当に子供からしたら最高に
ありがたい親ではあるのですが、
それはないでしょ!!
とさすがの私も怒りました。
どうやら医師の先生や看護師さん達に
あまりに説得されたようで(そらな)、
しぶしぶ伝えたようです。
母らしいといえば母らしいし、
父は母の頑固な意志を尊重するため
勝手に知らせたりはしないので、
もし先生達が強く言ってくれていなかったら
何も知らずに今頃お骨とご対面してたかと思うと、、、
本当に感謝しかありません。
食べ物も特に欲しくない母への
お見舞いに持って行った匂い袋。
個室だからできたんだろうけど、
ほっと肩の力が抜けるような
優しい香りが部屋中に広がって、
看護士さん達も入室するたび
「いい香りで癒される〜」なんて
言ってくれていたので、
母も嬉しそうで良かったです。
ずっとその空間にしかいない母は
鼻が慣れてしまったようで、
追加のリクエストを父からもらい、
それを持って先週末の帰省途中に
逝去の知らせを受けました。
あと数時間後に会えるはずだったのに。
間に合わなかった……と思ったら
新幹線の中でボロボロ泣けてきて。
マスク様様でした。
始発で行ってたら
死に際間に合ってたかな、とか
昼着の私のお迎えがあったせいで
父が朝から病院行けなくて
立ち会えなかったのかなとか
考えてもしょうがないことを
ぐるぐる考えたりして。
でもきっと、
私とも先月ゆっくり話せて、
姉とも直前にゆっくり話せて、
母的には満足してくれたんだろうなと。
そう思わないとやっていけない、
というわけでもなく、
なんとなく母の声がそう言ってる、
そんな気がしました。
本人も周りも唯一の心残りは
コロナが落ち着いたら…!!と
色々計画していた各地への旅行に
行けなかったこと。
一人旅や出歩く事が大好きな母、
持病もちでコロナは厳禁だったので
この1年半我慢に我慢を重ねていて、
結局その希望が叶わなかったこと、
それだけはとてもとても残念でした。
心から叫ばせてください。
コロナの
バカヤロー!!!!!!