雲ひとつない2021年11月6日(土)、
母が天国に旅立ちました。




もともと母の口から
「もう長くない」と告げられたのは
2ヶ月前、自転車がパンクした日の夜。

11月17日の75歳の誕生日まで
もつかどうか、という余命宣告。



体調があまり優れないという話は
軽く聞いてはいましたが、
LINEにも普通に返してくれていたので
まさかそんなだとは思っておらず
とにかく信じられなかったです。


すぐにでも飛んでいきたいところでしたが
時は9月、緊急事態宣言真っ只中。
関東からだと県内で2週間待機、なんて
とてもじゃないけど働く子持ちには
現実的ではない状況だったため
様子を見ること半月。


10月になり緊急事態宣言が解除され、
最初の週末にPCR検査して姉と帰省。
ただこの時はまだ面会が1日30分までと
制限があり、バタバタと行って帰って、
って感じでした。



その後、先生の判断で
30分制限を特別免除してもらい、
できるだけ会ってあげてくださいと、
それはつまり終わりが近いということでもあるのだとみんなが分かりながら、
有休もいただき、またPCR検査して
中旬に4日間帰りました。



毎日病室を出る時に、

「また明日ね」

って言って手を振って別れられるのが
とてもとても嬉しかった。


もちろんその数時間後に
容態が急変する可能性だって
決してゼロではないのだけれど、

何かあったときにすぐに
駆けつけられる距離にいるのと
そうでないのとは、
気持ちの余裕みたいなのが全然違う。



身体は本当に弱りきっていて
食べ物もほとんど口にできず
いつどうなってもおかしくない、
そんな状態ではあったけど、
首から上は本当にしっかりしていて


美味しい食べ物の話、
あちこち行った旅行の話、
孫の話、
家族の話、
とにかくあれこれ話をして


大変だったことも色々あるけど、
振り返ったらいい人生だった。


と母が言ってくれたので
残された私達は本当に救われました。


この4日間の時間は、
母にとっても私にとっても
本当にかけがえのない時間でした。
この時間がなかったら、
私は今頃もっと後悔や自責の念に
押しつぶされてると思います。


結局この時が、
私が母と話ができた最後でした。